致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 24 「人はその人の性格にふさわしい出来事に出合う」

大島 修治 ジェイ・コスモス代表取締役

 約六年前、私が会社の社長室で仕事をしていると、ドアをノックする人がいました。はい!」と言って扉を開けた瞬間、何者かが私にガソリンをかけ発煙筒を焚きつけました、熱い・・・。燃え盛る衣服を剥ごうとして、私の右手は焼けただれてしまいました。その後、救急車で病院に担ぎこまれましたが、身体の六割以上が焼けてしまった私を見て、医師は、「もう無理です。助かりません」と言ったそうです。しかし、私は悪運が強いんですね。五度の危篤状態に陥り、血圧が二十以下に下がってもまだ生きていました。奇跡的に一命をとりとめましたが、ベッドに横たわり考えるのはいつも死ぬことだけでした。全身焼けただれ、ちょっと消毒するにも金だわしで傷口をえぐられているように感じます。「なぜこんなに俺を苦しめるんだ!いっそ一思いに殺してくれ!!」病院中に私のわめく声が響き渡ることも少なくありませんでした。

 そして、さらに私を打ちのめしたのは右腕の切断宣告でした。これでもう経営者として復帰できないと思った私は、死を考えました。しかし悲しいかな、焼けただれた私の右手には指がありません。首をくくろうにも紐を握ることもできない。ならばビルの屋上から飛び降りようと思っても、まともに歩くこともできないのでした。
 切断手術の前日、両親が見舞いに気ました。聞けば両親は事件の日から一日も家に帰らず、ICU(集中治療室)の外で見守っていたといいます。当時両親は父が八十六歳、母が七十五歳。その八十六歳の親父が、「今度修治をやっつけに来る奴がいたら父ちゃんが守ってやるけん」と言って、木刀を杖代わりに待機していてくれたんです。 また、母は涙を流しながら、「どんな体でもいい。おまえが元気になったら母ちゃんはもう一人こどもを産んだと思うからな。頑張れよ。生きろよ」と言ってくれました。
 翌日、覚悟を決めて手術に臨みました。術後、麻酔が覚め意識が戻り、私は驚きました。右腕がついているのです!。医師は、「切断はいつでもできる」と言って、腐った肉だけを全てそぎ落としてくれたのでした。骨の上にわずかな肉があり、その上に筋がある。そしてその上に血管が乗っているだけの細い細い腕。しかしそれでも動くのです。私は、「人間って凄い!」と思いました。
 どうにか元氣になって退院することができましたが、私は犯人をどうしても赦せないのです。憎い、忌々しい。いつか見つけ出して仕返ししてやる、いつもそう思っていました。そんな憎悪の念を燃やしているとき、友人の誘いで参加した講演会で私は運命を変える一言にであったのです。「人はその人の人生でその人の性格にふさわしい出来事に出合う」
 私は眼からうろこがぼろぼろ落ちました。
 「自分が大やけどを負ったのは犯人のせいじゃない。自分の性格が悪かったんだ。だから敵を作ったんじゃないか!!」私は、再び歩み出した二度目の人生は、よい人間関係を築き人様のお役に立てる人生にしようと心に刻みました。