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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月27日の記事を紹介します。
「与える喜び」
春日大社の元宮司、そして医師であった葉室頼昭さんによれば、
神さまは願いごとなどしなくても、ちゃんと叶えてくださる。
他の国で見られるように、必死になって自分の願いごとを祈っている姿とは異なり、
神道では、神さまを喜ばせる、感謝する、
ということが祈りとなります。
こちらから頼まなければ、
神様はやってくれない・・・というのは、神さまを冒涜すること。
神さまというのは全部知っておられるんです。
だから、神さまを認め、喜んでいただいたら充分なんです。
そうしたら、神さまはこちらに出てきて、お恵みをくださる。
そう仰っています。
あちこちの有名どころの神社や仏閣に出向き、
・あれをしてください
・これをしてください
・あれもくれ
・これもくれ
とお願いするだけでは、
神様も辟易(へきえき--閉口すること。嫌になること。)とすることでしょう。
そのような人間の欲望渦巻くところでは、せっかく力のある神さまの光も、
その闇にさえぎられてしまうことでしょう。
色んな神様がいらっしゃいますが、
この宇宙を創造し、維持し、破壊する創造の神様は
大本の神様であり、創造の源です。
レインボーチルドレンのそうた君の言葉で表せば、12次元にいらっしゃるそうです。
私たちの宇宙に住む、生命体が3次元存在、日本の有名な神々が8次元とのことで、
遥かに高い次元です。
創造の源の神様が喜ばれるのは、
・特殊な能力を持つことや
・優れた霊能を持つこと
・優れた過去世を持つこと
などではなく、やはり王道である、
・私たちの心を清く保つこと
・身近な周りの方々と、仲良く助け合って暮らすこと
そんな一見、平凡に見えることのようです。
それでは今日も、王道である
私たちの心を浄化し、神々へ近づくためのお話をご紹介します。
注意深く、周りを観察してみれば
どんな人にも自然や人を通じ、神さまはいたるところで、
その存在を教えてくださっています。
今日のテーマは「与える喜び」です。
私たちは、物でも、お金でも、優しさや、真心でも、
まず、自分から出すこと(与えること)が先です。
与えた時の心の状態が、宇宙の果てまで、見える世界、見えない世界を飛び回って
同じ波長のものを、仲間を連れて帰ってきます。
時々、「優しさや親切を人に与えると、損した気分になる」
そうおっしゃる方もいらっしゃいますが、そんなことはありません。
神々のエネルギーは無尽蔵です。
与えることで、その何倍もの恩恵を私たちは受け取ります。
それでは、渡辺和子さんの言葉よりご紹介します。
<引用開始> 引用元
近頃、もらう喜びは知っていても、
その他の喜びをあまり味わっていない子どもが、増えているように思えてなりません。
その他の喜びとは、
・与える喜び、
・分け合う喜び、
・そして自分で物事をやり遂げる喜びです。
マザー・テレサがこんな話をなさいました。
カルカッタの街に、八人の子を抱えてお腹を空かしている家族がいたので、
お弁当を作ってもって行ったところ、
その母親は押し戴いて喜んだ後、すぐどこかへ出て行きました。
やがて戻ってきた母親は、
「実は隣の家族も、このところ食うや食わずの毎日だったので、
半分あげてきました」と言ったそうです。
マザーは、この話をしてから、
「貧しい人は偉大です。
飢えを経験した人には、他人の苦しみもわかるのです」と言われました。
本当の豊かさとは、このように、他人に与えるものをもっている心を指すのですね。
最近、自分でやり遂げる喜びを、
子どもから奪っている過保護の親も増えているようです。
それは、子どもたちを愛しているように見えて、
実は彼らから、その成長に必要な自信と、自立の喜びを奪っているのです。
もらう喜びしか知らない子どもは、自分中心の世界で生きています。
どれほど多くのものを持っていても、その子の心は貧しいのです。
与える喜び、分ちあう喜び、
自分で何かをやり遂げた時の喜びをも味わわせることによって、
子どもの生活を本当に豊かなものにしてやりましょう。
<引用終了>
確かに、何か物や、お金をもらう喜びよりも
・与える喜び、
・分け合う喜び、
・そして自分で物事をやり遂げる喜び
の方が、私たちの心を喜ばせてくれますね。
与えたほうも、頂いたほうも、笑顔、幸せになれます。
そこには、調和が生まれ、平和が訪れます。
どうせ与えるならモノではなく、
・感謝
・喜び
・笑顔
・いたわり
・優しさ
・思いやり
など、美しい心を与えて差し上げたいですね。
その心は、巡り巡って、必ず自分に帰ってきますから。
与えるものは、物質的なモノである必要はありません。
貧しかった良寛さんは、
「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。
だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。
それならいくらでもあげることができるから」
良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を
・あたたかい言葉
・やさしい言葉
・思いやりに満ちた言葉
にしたいと思って行動していたそうです。