随想 伊路波村から47~ジャストナウ

土木研究室を卒業する学生3人にむけての
研究室教授のはなむけの言葉です。

「ジャスト ナウ」

なんでも判断しないで、人に言われたことは「すぐに」しなさいとの
教えでした。

全国に散らばった3人の学生は後に、一人は国立大学の
教授、一人は東証一部上場会社の取締役に
そして一人は小さな企業の経営者にとなりました。

はなむけの言葉をいただいた30数年後に
先生にお会いできたのは名古屋今池でのイスラエル大使の
講演の集いででした。

友人のご案内で出向いた会場で座った席のすぐ後ろに
先生はみえました。
びっくりしました。

原始キリスト教を実践する先生らしく、何事にも
怒ることなく、温厚にして誠実な方でした。

その「ジャスト ナウ」の御言葉はその後の人生での指針と
なり、いまだにその実践行動中です。

ものごとに善悪を考えて判断していると、行動が遅くなる。
他の方から言われたことは即実践行動。

でも人生も50半ばを過ぎる頃、頼まれごとを一回だけ断わることが
できてしまいました。
それは「保護士」という御役目です。

この世で言う罪をおかし、服役し、再び世の中にでてみえた
保護観察中の主に若い方と定期的に接触していく仕事です。

頼まれごとに自我をはさんでしまいました。
罪を犯したことはないのだろうか。
そんな立派な人間なのだろうか。
導くことなどできるのだろうか。
人に言えない多くの罪を背負って生かせていただいている
ことを深く思いました。

そしてお人を更正させ導くようなことはできませんと
お断りしてしまいました。
保護士の依頼においでになった方は、そのことの
一年後くらいに天に戻られました。
今回の人生での強烈な思い出となりました。

ジャスト ナウ を ジャスト ワンス ただ一回やぶりました。
それからはその自縛の言葉から少し変更をしました。

すぐにはやるけれど、自分の道の方向を決めるときには
やりたくないことはしないようにしよう、と思いました。
思えば 今まで思ったとおりの現実になってきたと思います。
若くしてこの世を去った逆縁の娘が家族として
来てくれたこと。

急性胃潰瘍を患いながらも必死に経済活動に
集中してきた30代。

時代の変化を察知し、次なる行動を、道を捜し求めた
40代から50代。

20年を超える真理法則や実践の道の探究から
ようやく道に明かりがさしてきた60代半ば過ぎ。

すべて因果を清算すべきことがらが
目の前に現れてきました。

因果法則の真理を伝える出来事の連続でした。
それを次から次へと「ジャスト ナウ」の指針どおりに
行動し続けた結果が、永久の今となっていました。

22歳旅立ちの時、一人のお人の言葉が他の人の人生の道を
照らし、それぞれの行動のスピードを加速し、真理へと
導くスピードさえも増してくれました。

完成はなく、いつも途上ですが、これからの道はそうとうの
激動の道と感じさせます。

それでもいつもいつも「ジャスト ナウ」で行こう!!と
思わせていただきます。

ありがとうございます 先生!!。