随想 伊路波村から53~谷神(こくしん)

真理は勉強したり理解したりするものでなくて、
気づくことなんですね。

個人が気づかなくても、厳然として
いつも真理の中にあるわけです。

だからなんだかいつも集中して一つことに
今を生きている人そのものですね。

それも楽しくて楽しくて仕方ない人は
すでに真理に生かされていますね。

そこに善悪や正邪の判断はありません。

欲って言葉って 昔神様は谷に住むって言う
伝えがあって、だから神谷さんっていうのかと
変に納得したことがありました。

だけど神様はあるっていうか、形がなくて
一つし かないようなので、それはなんだろうって
思ったら、飯島さんに会ってそれは真理法則のことと
納得しました。

だったら欲って言葉がわかります。
谷が欠けている。
谷は神様の住むところだから、いいかえれば、
神様は住むわけないので、真理そのものが谷。

真理そのものが欠けた生き方が「欲」ですね。

真理とは分離感のない「元一つの源」が私達の
ふるさとと、気づいて生きることですね。

現実と思われる世界のどんな欲望も、元一つの源を
感じることに比較すれば、比較しようのないちっぽけなことでしょうか。

車の運転中に「そこ」にはいった飯島さんは、
「目にワイパーがいるよ」って言いました。
激しい慟哭と涙は、何にもかえがたい感慨のようです。
先日のテネモスミーティングのGさんもそうでしたね。

「いつも喜んでいなさい。」

イエスさんがほほえんでいます。