神の使者から奇跡の道へ その31~もし「法外」と言えるような何かを・・

「もし法外と言えるような何かを兄弟が
あなたに求めるなら、それが重要でないからこそ、
それをしてあげなさい」

法外なことさえも。?とすぐに疑問符の
方も多いことでしょう。
さらにイエスは「1000円欲しいと言ったら
2000円上げなさい。」さらに「一緒に100歩歩こうと
言われたら200歩一緒に歩きなさい。」とも言ってますね。

一体全体何。!

法外と思ってもそれは重要ではないこと。

何故でしょうか。?
法外なのに。(笑)

それはきっと自分の救済に出現した兄弟だから。?
あらゆることが自分にある「自我想念」からの
癒しの現象だから。?

「兄弟からの要求はどれもみな、
あなたのためのものである」

その昔のことです。
この携帯電話の時代ですから相手への
連絡はピンポイントで相手に届きます。
幾度も幾度も電話のたびに「お金が欲しい」と
言われる方がいました。

そのたびにできるうちはしました。
「返さなくてもいいからね。」
「きっと返します。」
そんな会話でした。

いつしかお渡しするお金が無くなってきて、
また電話があったら、なんと悲しいことだろうと
思っていました。

それでその後には電話に出ないようにしました。
それは電話に出たら断らなくてはならないからです。
悲しいことです。

今はもうその方からの要求は止まりました。
電話はあります。普通に。

幾度も考えました。
お金の要求を何故受けるのだろう。
起きることはすべて自分のことです。

「まださまよっているのか!」

天からの強烈な叫びに思えました。

お釈迦様もフランチェスカも何もかも捨てて
真理を求める旅にでました。

「貧しきものは幸いなり」

この貧しきものとは、誤ったところに思いを
投入してきた者たちのこと。
経済的なことではありません。

「あなたにこの世界のものごとに対する
思い入れがまったくなければ、貧しきものに
彼らの宝がどこにあるのかを教えることができる」

人生上で出会うさまざまな人たち。
それに伴う多くの体験。
縁起。

そのすべての方たちがすべて自分のために
現れてくださる兄弟です。

「感謝のみが兄弟に対する適切な応答である」

「もし法外と言えるような何かを兄弟が
あなたに求めるなら、それが重要でないからこそ、
それをしてあげなさい」