神の使者から奇跡の道へ その66~奇跡とは偽りの神々を・・・

「奇跡とは偽りの神々をすべて手放した神の子が
兄弟たちにも同じことをするように呼びかける行為」

兄弟がいなければ奇跡には至らないと
聞いています。
そして奇跡とは癒しであり救済であるとも。

だいたい神々なんてことはなくて、ただ一つの神の
子である自己が出会った兄弟たちを通じて行う行為が
奇跡(赦し)です。
その行為を通じて、兄弟たちにも同じように
赦しをおこなって、と呼びかけることが奇跡でもあります。

だいたいは過去の不満を思い出すためのものなら
なんにでも惹かれがちで、そうした関連付けを
する連想がどれほど歪んでいるものであっても、
なんだかそれが愛という名で呼べるようなもののように
思えてしまいます。

そして逆に特別な関係の中に、自分で捨て去ったものを
探し求めてさえしてしまいがちです。

肉体をコミュニケーションの必要手段だとみなしさえ
しなければ、コミュニケーションは途切れずに
残るのにです。

兄弟にキリストを見さえすれば、特別な関係の中にでも
真のコミュニケーションは続くのでしょう。

聖なる時間を体験した方のお話では、
それは一瞬なのか、長いことなのか
よくわからないと言われます。

でも聖なる瞬間は永遠なのでしょうか。

「奇跡とは偽りの神々をすべて手放した神の子が
兄弟たちにも同じことをするように呼びかける行為」