「片方の手をフリーに・・・」  法則の伝えから

大変な病気の方が、霊能者あるいはヒーラーに治療してもらい、すっかり良くなったとします。そうすると人は、その霊能者やヒーラーに両手でしがみついてしまいます。

でも決して両手でしがみついてはいけません。必ず片方の手は緩めておかなくてはいけません。その理由は、私たちを導いてくださっている、光の存在・守護霊が、私たちをどうように導いてくださっているか、その導きにしっかりと反応出来るようにです。

例えば本屋に行ってイスラム教に関する本を見つけました。読んでみたいと一瞬感じたとします。ところが自分はあの霊能者だけを信じているんだと、自我が働くことによって出した手を引っ込めてしまいます。それによって守護霊の導きを断ってしまうのです。

でも自分が良いと信じるものでも、この世に絶対はありません。ですから片手は必ずフリーにしておくのです。

例えば野球ですが、バッターがバッターボックスに立って構えたとき、そのバットをギュッと握りしめている人はいません。必ず利き手を緩めています。緩めているからこそ、飛んできたボールに反応出来るのです。

スポーツと同じように心にも柔軟さを求められます。宗教団体の場合も同じです。ここに身を置く人たちも、片方はその宗教を掴んでいても、もう片方は守護霊の導きに反応出来るようにフリーにしておかないといけません。

ところが宗教団体に入っている人の多くは、両手で掴んでしまっています。宗教団体は組織です。そうすると、信者か否かというところで、線引きをしてしまいます。その宗教を信じているか、いないかによって段差を付けるわけです。そして救われるか救われないかの話になります。

もしここで片方の手をフリーにしておけば、他のスピリチュアリズムに触れたとき、「他にもこういう捉え方があるんだ」と学ぶことが出来、宗教からの囚われを払うことも出来ます。このことがその人にとって大変なプラスになります。