「最後には一人ひとりが審判されるのか」
まさしく!その通りのようですね。
しかし、もはや恐れと結びつけなくなるときまで
それは訪れませんね。
誰もがそれを歓迎するようになるとき、それが彼に
与えられるのでしょうか。
その時世界中のあらゆるところで、自分の無罪性が
宣言されて、世界を解放するのを聞くことになるようです。
これが審判であり、その中に救済が内包されている。
永遠が近づくと時間は停止し、世界は静まりかえり、
全ての者が神の子についてのこの審判を聞くことでしょう。
「あなたは神聖なる者、永遠にして自由であり、全一なる者。
神のこころの中で永久に安らかなる者。
今どこに世界があり、どこに悲しみがあるのだろう。」
「最後には一人ひとりが審判されるのか」