年の暮れ 激変するこの国のさまざまな人間模様が
毎日のようにニュースとして耳や目に入ってきます。
病弱な奥様を介護する生活の果てに
奥様との心中を決意し 奥様が亡くなり
自分のみ 生かされた61歳の男性の話が
今朝の新聞にありました。
奥様の首を絞めるときの 「行くよ・・・・」という おそらく
かすかなつぶやきに 思わず落涙しました。
先に逝った高校生だったご長男のところへ行こうと奥様を説得したのでした。
生活が苦しく もう葬式代しか残されていない
経済状態によって 心中を選んだ誇り高き人は
生活保護を受けることも 介護の制度にたよることも
しないで 自立して生きられない自分達の身上によって
死を選んだのでした。
「出来る事 考えられること 全てをやりきったのち
努力のはてに切羽詰まり最後は 祈るしかないという世界
そこまで行った人のみが ある日 ふと 明るい扉の前に
居ることに気付きます。」
城山だよりの坂田先生のこの言葉は 絶望のふちに立ちながらも
なお 希望をみつけることを忘れない人にのみ与えられる栄光かも
知れません。
高速道路のサービスエリア 障害者専用の駐車場に
目をやれば かなりの高齢者であるご主人が 奥さまを
車椅子に乗せるところでした。
こうした老々介護の実態はますます広がりをみせていくことでしょう。
自宅の東となりの タバコやのおばあちゃんは 長く一人で
暮らしてみえました。ネコ四匹と一緒です。
朝 閉じられたシャッターのむこうで ネコをしかりつける しっかりとした声が
聞こえなくなりました。その声が今日もお元気 という印でした
おばあちゃんは 介護施設へと移りました。
残されたネコは ご親戚に移されました。
うち一匹のネコはその前にヒモをちぎって 逃げました。
誰もいない お隣さんとの細い隙間に ときどき顔を出します。
ヒモは首に少しついたままです。
掃き掃除するこちらの姿を見つけると 寄ってきて「ニャー~~」
まるで 「おばあちゃんは どこへ行ったの?」と
尋ねているかのようです。
はがき祭りで初めてお会いして はがき交歓が続く
写真家のWさんから ブータン旅行を告げるはがきが届きました。
ブータンは国民総生産ならぬ「国民総幸福量」が国家指針の
敬虔な仏教国にして国王制度の国です。
「ブータンは2004年12月に禁煙国になっています。
国全体禁煙とは凄いですネ。また首都には信号機がないようです。・・・・」
こんなことが書いてありました。
一人や二人では生きていけないご老人を
国民全体で見る やさしさをみんなが持ちたいと願います。
そんな国づくりを これからはなさなくてはと強く念じました。
12月は速いです。
短観 0911 「誇り」
冠之会と望年会のご案内
今年は望年会はしないんですか。?というメールやおはがきが
たくさん届きます。 なんだか信用が収縮していくような感じなので
あんまり気乗りがしなかったのですが 冠之会の日に 開催となりました。
冠之会や望年会だけのご参加でもいいし どちらもでも結構です。
冠之会のみ
望年会のみ
どちらも参加 のいずれかを明記の上 送信ください。 山田
ファックス 052-.361-7201
「冠之会」
日にち 12月21日(月)午後6時15分から
場所 サンコム(山善ビル4階) 中村区名駅南一丁目10番9号
参加費 1500円
「望年会」
午後8時から (山田で予約しています)
場所 いねや 名古屋店
住所 名古屋市中区栄1-2-7 リッチモンドホテル1F
伏見ヒルトンホテルの西です。
費用3000円くらい
以上です。
お待ちしています。
天音天画 091019
冠之会予定
★11月16日(月)
熱田神宮 龍影閣 午後6時30分から
★12月21日(月)
サンコム
午後6時30分から
いつしか
「お父さんが 坂田さんにものすごい影響を与えたと
書いてありましたが 詳しく教えてください。」
長い間の友人の後藤さんは ある月刊誌の記事を手に持ちながら
ハガキ道の坂田先生に質問しました。
初めての名古屋での「ハガキ祭り」の前夜祭 気晴亭さんでのことです。
「それはねーーー」坂田さんはいつもの調子で語り始めました。
「まかないがねー 別だったんです。5回も結婚したんです。
それでもねえーー なまんだぶつ なまんだぶつって言ってたんだよねーー。」
いささか酔った私の目から 静かにですが激しく
涙が流れていました。
この お話で。?
わかりません。
どうなっているのか。
友人が長く ヨーロッパにみえて「日本に出張します」とメールが来ました。
そして クラウンさんで飲みました。
「日本へ出張ですか。?」と私。(笑)
なじみの仲居さんが おっしゃるようにいただきました。
アルコールに弱い 四日市のUさんはいつものようにこっくりさんです。
ヨーロッパから出張中のOさんは 目の前で突然慟哭されました。
Oさんはとても純粋なのです。その純粋さと現実の大きな差が
慟哭の理由でしょうか。
そんな話の内容ではないのです。
Oさんが さらに好ましい男にみえました。
いつしか年は過ぎて みんな同じように細胞が年齢を体験します。
おじいちゃんは すこししっかりした頭で 「90までは生きるぞ!」って宣言しました。
「だめ! 100まで僕は160までだから!。」って言いました。
今 88歳です。
感激の体験 今会う人の素晴らしさ。
黄色だけれど黄色ではない 透明な黄色の光に満たされて
私たちは生かされているのでしょうか。
いつも一緒の家族には もう会えないとよく言われます。
だからこそ今一緒の体験を大切にしたいと・・・・
そう思うのです。