
「真理を幻想のもとに、実相を空想のもとに
運んでくることに人生を費やしてきたあなたは、
夢の道を歩んできた」
今世界で起きていることが、あまりにも
はげしくて、これがとても幻想だなんてと、
またのんきな父さんだ・・とのお声が聞こえそうです。
(笑)
目の前に起きていることは、ただ「受容」するしかない
ようですし、それをどのように感じるかは
すべて個人の自由意思に任されています。
“再録 奇跡の道へ その65~真理を幻想のもとに、実相を・・” の続きを読む

再生大和 霞の中にて活動する

「真理を幻想のもとに、実相を空想のもとに
運んでくることに人生を費やしてきたあなたは、
夢の道を歩んできた」
今世界で起きていることが、あまりにも
はげしくて、これがとても幻想だなんてと、
またのんきな父さんだ・・とのお声が聞こえそうです。
(笑)
目の前に起きていることは、ただ「受容」するしかない
ようですし、それをどのように感じるかは
すべて個人の自由意思に任されています。
“再録 奇跡の道へ その65~真理を幻想のもとに、実相を・・” の続きを読む

「私は何もする必要がない」
アレレ する必要がないと言うことは
必要なものはいつもすべてある ということですね。
そして、まさかのこの言葉を ただの一瞬でいいので
信じ切れば、1世紀にわたる観想以上のものを
あたえられると聞きました。
どうも肉体次元で考えがちな自我人間なので、
「み~んなお任せ」の心境にはなかなかですね。
この「み~んなお任せ」でのうてんきだと
肉体の病気も消えるようですね。
だってないものをあると決めているのは
自我のこころですからね。
“再録 奇跡の道 その67~私はなにもする必要がない” の続きを読む
「赦しでさえも終着点ではない。赦しは麗しさを
もたらすが、創造しない。それは癒しの源ではあるが、
愛の源ではなく、愛の使者である。」
自分と兄弟を赦しても、また赦しても
それは麗しさを感じるだけであって、
決して創造はできないようですね。
だから癒しの源を感じはしますが、
愛の源を感じることは出来ずにいて、
赦しはただ愛の使者とはなる様です。
「学びが終わるのは、愛ではないすべてのものを
あなたが認識したときである」
愛ではないすべてのものを認識したとき。?
それではすべては愛であると魂の底から、
そしてそのことさえも感ずることがなくなるとき。?
見るもの、聞くものすべては愛と。
そうですよね、愛って学ぶようなものでなくて
もともと愛ですね。
“再録 奇跡の道 その69~学びが終わるのは、愛ではないすべてのものを・・・” の続きを読む
「肉体は赦すことはできない」
そうですね。
肉体は決心できませんね。
あたりまえですが。
すべては人間の最大の能力である
自由な心で決めるんですよね。
そしてだれでもが持っている自由な心。
“再録 奇跡の道 その70~肉体は赦すことはできない” の続きを読む
「死に対する恐れがなければ、あなたには何が
見えるのだろうか。もし死があなたにとって魅力を
もたないものだったなら、
あなたは何を感じ、何を考えるのだろうか」

「もし法外と言えるような何かを兄弟が
あなたに求めるなら、それが重要でないからこそ、
それをしてあげなさい」
法外なことさえも。?とすぐに疑問符の
方も多いことでしょう。
さらにイエスは「1000円欲しいと言ったら
2000円上げなさい。」さらに「一緒に100歩歩こうと
言われたら200歩一緒に歩きなさい。」とも言ってますね。

「実相世界を見ることは、全的な知覚である」
見る。?
全的な知覚。?
実相は「空」ですから見ることも
知覚することもできないのかも。
ですが全的知覚なら物質である言葉では
表現できない「空」をギリギリ語れる
限界の言葉なのでしょうか。
“再録 奇跡の道 その32~実相世界を見ることは、全的な知覚である” の続きを読む