神の使者から奇跡の道へ その48~特別な愛を伴う関係が・・・

「特別な愛を伴う関係が自分に救済を
もたらすと信じることが、分離が救済を
もたらす信念に他ならない」

人生の中で様々なお人に会いますね。

異性に心惹かれたり、同性でも妙に
気が合って、何日一緒にいても
飽きることがない人に会います。

なぜたくさん人に会っても、そんな特別な
関係の方があるのだろうかといつも
不思議です。

もちろんなぜかある特定の場所に行きたかったり、
また特定なお人に御会いしたかったりもありますが。

とくにご縁の中でなぜ心惹かれる方と、
そうでもない人があるのでしょうか。

特にもちろん恋人、配偶者、そして親友
などなど。
さらに肉親となる家族もですが。

過去も未来もないとしたら、前世って変。
そして来世も変ですね。
人は互いに相手がいないと救済されることが
ないと何度も言われました。

特に特別な関係の方とでも、もちろん
救済(分離感の解消)に導かれるのでしょうが、
むしろ特別な方だから救済をもたらすと
考えるのならば、それは分離が救済を
もたらすと信じることに他ならないようです。

特別な一部に限らず、全的な救済しか
救済とは呼ばないとなると、むしろ
特別な愛は分離感を守ってしまう要因に
なりそうです。

特別に限らず、すべての出会いに関して
全的な救済に至ることは、人間として
人生を送る者にとってはとても困難なことにも
思えます。

愛するならばすべての人、
愛するならばすべてのもの、と
呼びかける心があります。

今日、お人と話しているときに、
特別な人というのは、トラックにまだ残っている
荷物という言葉が出てまいりました。

たくさんの荷物をトラックに積んで
運転手として人生という道を走っています。

始めは満載です。
すこしずつさまざまな体験をしながら
その多くの荷物を消していきます。
もともとないものだからですが。

途中で増えることもあります。(笑)

そしてすこし残った荷物の中に
特別な愛の兄弟との救済が待ちます。
決して一部的な愛でなく、全的な愛を
その方に与え、そして受け取るときに、
振り返れば、その荷物は消えているのでしょうか。

とてもやっかいに見える特別な愛の関係は、
自我の切り札にもなりそう。

トラックの荷物を空っぽにして、
トラックも消えたとき、見えざる手に
引かれて扉の前に立っているのかも
知れません。

でも特別な愛は一番やっかいですね。(笑)

「特別な愛を伴う関係が自分に救済を
もたらすと信じることが、分離が救済を
もたらす信念に他ならない」