天降る光 吹き上がる光
天照る光 虹 12月5日 名古屋 中川区
再生大和 霞の中にて活動する
出雲から伊勢の大神楽へと導かれた12月の始め。空を見上げれば輝く日(太陽)です。
不思議なことが三つありました。
輝く太陽です。
ベランダで椅子に腰掛けながら美しく輝く太陽を撮影しようとしました。おそらくめがねをかけた方なら誰でもが体験していることでしょうけれどこの日はなんだか不思議な感じを受けました。めがねをはずせばもちろんわかりません。
めがねをかけて太陽の方向に身体を向けます。そして視線を正面から少しずつ上の太陽の方向に上げていきます。
そうすると太陽からの真っ直ぐな一筋の光が自分のハートに注がれていることを感じます。まさに真っ直ぐな一筋の光が太陽から自分だけに注がれていて、太陽と自分がつながっているような感覚が溢れてきます。
当たり前の 普通のことかもしれませんが。
「受容」の幅について、先生と生徒の真理探究について、
「受容」の幅の差が、関係を継続させると書きました。
敵さえも「受容」したイエスについては、すべての人との
「受容」の幅の差(ギャップ)が詰まることがないので
イエスに多くの人々が2000年もの間惹かれているのです。
それはお釈迦様も空海も道元も親鸞も日蓮も
宮沢賢治も良寛もその他の偉人達も同じように
人々を長い間ひきつけてやまない理由です。
「受容」の大きさが、人々を大きくひきつけるエネルギーとなっ ています。
「受容」すれば「0」になるからです。
すべてを「受容」すれば完全となり イエスになります。
逆に「0」になれないので人間として生まれたともいえるのでしょうか。
「0」になれない理由は「分離感」にあります。
「分離感」を無くすことが、すべてを「受容」することになるようです。
私達の感知する現実世界は一体全体でひとつの
生命であることはよく耳にします。
そのことと、意識はエネルギーであり光子でもあることの
証明が科学的になされました。
いつも暮れになりますと送られてくる風天さんの
冊子にその記述を見ることができましたので
掲載させていただきました。
すべてのモノはかかわりあって存在していることの証明が
上の項目でなされています。
そして意識はバイオフォトンという光子であることも。
光子ですから意識を向ければ(意識をすれば)電子が
動きます。そして思ったとおりになります。
「意識すればそこに量子が偏在する。
意識は光子(バイオフォトン)で エネルギー、 波であり物質(粒)である。
人は自分の見ているものすべてに影響を与え変化させる。
何かを見るだけでその何かの分子を変え、原子を変え
エネルギーを変えるほどの力を発している。
素粒子は人間が意識していないときは波(エネルギー)で
人間が意識したときだけ粒(物質)になっている」
真理法則の科学的証明です。
現実はよいわるいを抜きにして幻想の世界なのでしょうか。
先の水耕栽培の実験ではいろんなことがわかりました。
まず水耕栽培の水に空気振動圧をかけていますが、
その振動圧の高さに比例して生育のスピードが速いこと。
それから上からの光の種類(光の振動)によって
レタスの色目ややはり生育スピードが異なること。
振動圧がレタスの電子を活発化しまた光子も
同じように活発化して、レタスの生育を促進します。
空気も光も振動です。
何らかの圧が物質を作り出す元となることを
ずっと検証してまいりました。
そしてその最大の圧は意識であることも。
では「瞑想」のように瞑目しながら何も意識しないことは
人間にどのような影響があるのでしょうか。
もちろん眠っているときは何も意識していないと思いがちです。
でもほんとうに眠っているときは何も意識していないのでしょうか。
それでは眠っていさえすれば「瞑想」と同じ効果があるのでしょうか。
古来多くの人々が「瞑想」をしてきた意味が消えてしまいそうです。
おそらく眠っていても意識はあるように感じられます。
ただ横になって眠っていることで、物質的にはアースされた
状態となり、滞りが無くなることでしょう。
ですから眠るのは椅子で眠ったりせずに横になって眠ることが
大切といわれるようです。
ここでは人間の意識はずっと止まらないことに
なってしまいます。
そこで地球上の人間が常に意識していることは無限の
多さであり、無限の圧といってもいいでしょう。
無限の無限の意識圧です。
それが寝ても醒めても連続しています。
その無限の意識圧を現実化する膨大な接着剤の
光はどこから来ているのでしょうか。
「意識を起こして 意識せず」
起きていても眠っていても意識を起こしているのならば、
意識をしないことは逆に意識を起こしているときにしか
できないようです。
これが古来「瞑想」が重要とされてきた理由でしょうか。
もし「意識を起こして 意識せず」ができたならば光の元、一元の本源に
自分がそのままになることができるのかもしれません。
というよりも、もともとそうであったとの深い感慨を得るのでしょうか。
「瞑想」でふるさとへどうぞ。
そして「万事如意」の世界観を達成なさってください。
無限宇宙は無限意識そして無限のバイブレーションに満ちています。
以前に聞いた言葉でその時には理解できなかった言葉。
そのような言葉がなんでもないときに突然に理解に
いたる不思議な感覚があります。
「人生とは心をきれいにすること」
「仕事は掃除すること。掃除だけしていればいいです。」
「自然は陰陽の法則ですが、人間だけは類友です。」
人間の中の見えない心は現象を通じて理解できます。
最近よく言われる言葉は
性格は顔に、感情は声に、本音は仕草に、美意識はつめに
などなど出るといわれています。
見えない意識が現象に現れます。
最近のテレビは知識のオンパレードです。
らしいです。
糸川先生は「無知は罪」といわれました。
でも同時に世界中を旅し、世界中に友達ができ、
どんなことでも知っているはずの先生はご自分のことを
「自分の知っていることは0に等しい。」といわれたようです。
先生の「無知は罪」の「知」とは何でしょうか。
私達の思い込み、経済や知識偏重の心がその真の「知」に
大きな壁を立ててしまっているのかもしれません。
昨年5月の森信三先生供養塔建立の集いの日から
ご縁が繋がったKさんは森先生のお弟子さんのお一人でした。
旧知の友人内田さんからKさんのことは随分以前にお聞きしていました。
あの日からおはがきのやりとりをさせていただいて
日にちが過ぎてまいりました。
Kさんのことは2006年の伊路波村の記事で
「吉和だより」に感動して、書かせていただいてました。
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さらに2005年にも、森先生の三人のお弟子さんのことを
文章にさせていただきました。
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人を見ぬく天才といわれた故森 信三先生。
坂田道信さんに「あんたははがき書くといいよ」とおっしゃった。
言われた坂田さんは以来、はがき道を歩むことになる。
四日市読書会で坂田さんを生涯の師と心にきめている
内田富朗さんが今朝、偉人の涙について語った。
内田さんが尊敬する坂田さんの心の友である川原作太郎さん。
川原さんは尾道に住んでみえる。
その川原さんを最近訪ねた時に内田さんは彼にこんな話を聴いた。
坂田さんとのはじめての出逢い日。川原さんは当時神戸に居を
構える森先生をはじめて訪ねたのだった。森先生の本の一節に
感動した川原さんは神戸の森邸を捜す。ようやくにして家を
捜し当て、玄関を入る。森先生がお迎えし、川原さんの
顔を見た時「ここにもいたよ」とたまたま森邸を訪問していた
坂田さんと森先生の押しかけ書生をしていた、寺田一清さんに
森先生はおっしゃったそうである。
三人を前にさまざまな会話の途中、森先生の口をついた
言葉。「人間は道を求め実践を繰り返しやがて生を終える時が
近づくと、天と繋がることが出来るんだ。」そう言って、森先生は
ボロボロと涙をこぼされた。
現代の偉人といってもいい3人のご縁の方たちを前に
森先生は魂の邂逅(かいこう)を現世で得られたいのちの
ふるえを臆面もなく現したのだろうか。
素晴らしい方たちとの出逢い、それが今生でかなうことが
できる幸いは計り知れない。
そんな友人をもつことができた幸せをかみしめるだけで
ありがたい自分が いる。
ありがとうございます。
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心を揺さぶることにであった証を自分のブログの中に
みつけることができてなつかしく思い出しました。
年齢を経てさまざまなことから次第に自由になり
こだわりが少なくなった頃こそ、世の実相(人生の真理)について
深く求めるチャンスといわれます。
この世的なことに魂を奪われ、身体や経済的な不安感が
おそうのもまた歳を経てからです。
何も知らず、何も求めずこの世をさるのもまた一つの生き方。
ですがせっかくのチャンスを無にせず、少しでもこの世の
実相について求める心が続けば、きっと心の病や身体の病からも
開放されるのかも知れません。
精神の年齢を感じさせない坂田先生やKさんです。
「人生とは 心をきれいにすることです。」
坂田先生の金きり声が聞こえてまいります。
Kさんからのおはがきにこの言葉がありました。
お彼岸の日。
「小さく醜い 吾なれど
私があなたを 忘れても
あなたは 私を忘れない
・・・・・・・・・・・・・・・・・」
実の父と同じ家で眠った経験のない私は
離婚することもなく一人で四人の子供を育てた
母親の大きなそして懸命な心に育てられました。
そんな母親も父親も今はなく、ただ父との高校生の頃の
わずかな外部での共同作業の思い出と母のやさしい心の印象しか
残っていません。
幼い頃は友達の環境を見るにつけ、どうして
こんな家に生まれてきたんだろうと、つらかったことばかり
覚えています。
33年前63歳で逝った母、
その数年後に逝った父でした。
片親の思い出のみが強い私に転機が訪れたのが
25年前でした。
この世にあるうちは決して仲がよいといえなかった二人。
イメージの中でその二人が雲の上に乗って
仲良く並んで笑顔でいました。
そして私に手を振りながら、二人の雲は天上遠く去っていきました。
その時に思いました。
自分の人生できつい役をしてくださった父。
怒ることを見たことがないやさしい母。
その二人はすべて自分のためにいてくださったことを
心にしみて思ったのです。
長い長い間の 心のしこりがポロリととれた瞬間でした。
両親ありて吾がある。
この当たり前のご恩を忘れがちなのが 子供です。
でも子供が親のことを忘れていても 親は決して子供のことを
忘れはしない。
人の親となってやっとそのことがわかりました。
「私が あなたを 忘れても
あなたは 私を 忘れない」
すべての人は すでに赦されてここにある。
ご恩の中にすべての人は 生かされてあります。
感謝でいっぱいになりました。