スリランカ 3

もしやあなたは
版画家 齋藤吾郎さんの作品です。
左が愛知県東栄町の花祭りの榊鬼
右側がスリランカの古都キャンディーのペラヘラ祭の鬼です。
花祭りもペラヘラ祭も踊りや楽器で祝う民衆の祭りです。
花祭りはもともとお釈迦さまの生誕を祝う祭りですが、
東栄町のそれは神々を降ろし神々を祝い、神々が還るという祭りです。
ペラヘラ祭りは今はお釈迦様の歯をメインにしていますが、もともとは
神々を祝うまつりです。
スリランカは2500年の歴史を持ち、日本は皇紀2750年の
歴史を持っています。ほぼ同じ長さです。
スリランカは南方仏教の元の国です。
世に言う小乗仏教の発信国なのです。
「天上天下唯我独尊」はすべての人は光り輝いている、
尊い生命をいただいているとする、お釈迦様誕生の言葉です。
小乗仏教はこの国から、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオス
などに広まっていきました。
お釈迦様が生存中に三度セイロン島(スリランカ)を訪問し、
この地が仏教を永遠に守る地となることを予言しています。
そのゆえにお釈迦様の死後多くの遺骨がスリランカに
もたらされました。写真は前3世紀の仏塔ルワンワリサーヤ仏塔です。
お釈迦様の左鎖骨が安置されています。
もの凄い振動を感じさせています。
ルワンワリサーヤ仏塔.jpg
紀元前三世紀アショカ王の妹が、お釈迦様悟りの地の
一本の菩提樹の枝をもたらし、その枝が見事に育ち仏塔のシンボルと
なりました。多くの人たちが絶えず訪れ、民の寄進によって明かりはともり続けています。
近くには前1世紀に建造されたこのような仏塔も残っています。
これもすべて世界遺産です。
アヌーラダプラ仏塔.jpg
近代になってポルトガルに占領されるまで、この国には
多くの王朝が生まれまた滅していきました。
ですが、すべての王朝はお釈迦様の教えを守り、仏教を守るという
歴史上のこの国の役割を忘れることなく、その王朝以前の
すべての仏塔や遺跡を守りながらも、自身のものを近隣に建造していきました。
ですからほとんどの遺跡や仏塔が破壊されずに残されたようです。
マディカさんは初めてお会いしてから一貫してその大らかな
態度と、何事にも動じない動かない信念のようなものを感じさせていました。
その理由がスリランカの歴史そのものにありました。
バンダラナイケ空港に降り立ったとき、それまでの異国に感じた
違和感が一切なく自然だったことに不思議な感慨を覚えました。
そして堂々としたマディカさんが、いっぱい歩いているではありませんか。
マディカさんはこの国そのものだったようです。
私たちの国、大和日本はどうでしょうか。

スリランカ 2

8年ぶりの海外旅行でワクワクしていたのですが、
いつもの旅と同じように、行き先の情報を調べずにいました。
行き先のことを調べて出かけますと、自分の仕入れた知識どおりの
固定概念でその地を見てしまうからです。
ただスリランカを感じるままに味わいたい、そう思いました。
ですが北海道より少し小さいスリランカには6箇所もの
文化遺産と2箇所の自然遺産が世界遺産として存在することだけは
知っていました。
それからスリランカの意味は「光り輝く美しい島」だということも。
そして70%が敬虔な仏教徒であることも。
紛争は大多数を占めるシンハラ人とインドからのタミル人との
戦いだったことも。
また政治的には20年以上も民族紛争が続き、それを収束させた
大統領が長く勤めた後、この一月に民主的な大統領が新しく
当選し任期の一期5年しかやらないことを宣言していました。
世界遺産で一番有名な場所はシギリアロックです。
シギリヤロック.jpg
親殺しの王様が、報復を恐れてこのような高い山に王朝を作りました。
けれども、長くはこの王朝は続かなかったようです。
あとは石造のお釈迦様涅槃の石仏などがあります。
釈迦涅槃.jpg
マデュカさんや同行してくださったマデュカさんの
友人スジットさんにさまざまなお話を伺いながら
旅を続けました。
一日目はとにかくコロンボから西へ60キロほど離れた
アラッワ市の町外れにある山村の小高い山の上の水タンクに設置された
風力発電機とソーラーパネルの作動状況を確認しに行きました。
マデュカさんたちが去年の夏に設置し半年が経過していました。
その村の水源は個々の家に掘った井戸です。
家々が離れているために、水道管を敷設するよりも
コストがかからないので政府が個々の家に補助を
して井戸を掘ってもらうのです。
それでも水源が枯れたり、水を大量に必要とすることが
おきたりする事態に備えて水タンクが山上に設置されています。
水は1,5キロ離れた山の下からポンプで押し上げています。
ここが水タンクの水源です。
風スリランカ3.jpg
ポンプアップ
風スリランカ4.jpg
そして山上の水タンクでの風力とパネルの設置状況ですが
これです。
1風スリランカ.jpg
風スリランカ2.jpg
タンクの中は行ったときは空で、急いで水をポンプアップしてくれました。
空なので撮影できました。
5センチほどの塩ビパイプにセラミックを詰め
ソーラパネルの交流二極と風力の交流二極を
別々に振動圧の電源としていました。
(少し見えにくいですが)
風スリランカ6.jpg
そして直流電源のソーラーを一旦12Vバッテリーに
蓄電しコンバーター(直流を交流に変換)を通して
セラミックに通電していたそのコンバーターのサインは
緑ランプでバッテリーは健全であることを示していました。
風スリランカ5.jpg
一安心でした。
水は常に外気圧よりも少し高い圧に保たれ
水もまた健全な吸引状態を確保できます。
二日目以後スリランカの歴史と現状、何故東栄町とスリランカ
なのかの謎が次第に解けてきました。

スリランカ 1

日本人で始めてルーブルでの模写を許された
版画家の人が愛知県の西尾市にみえます。
その方の版画のうちでひときわ私の目を引いた
作品がありました。
それは愛知県の豊川の奥深くにある村が関わりがあります。
花祭りで有名なその村の名は東栄町です。
水が豊富で村のあちこちから水が
湧き出ているのです。
その版画とはなんでしょう。
実は大きな地図に日本とスリランカも載っています。
そして日本のその東栄町の場所には大きな赤鬼が
鉾を持って立っています。
スリランカの方向を見ています。
その視線の先にはスリランカの上にキリッと 立つ緑のショールの赤鬼、
両者はじっと見つめ合うのか、にらみ合うのか、
対峙しているのです。
私にはその版画がとても気になって、東栄町には行ったことがあって、
夜中に花祭りも見させていただいたのですが、スリランカと
東栄町の赤鬼のイメージが脳裏に焼きついていました。
そしてその想念が呼んだのか、今回の旅。
スリランカを訪問させていただいて、わかったことがありました。

スリランカへ

明日26日スリランカへ参ります。
テネモスさんをあとに、国へ戻ったスリランカの人
マディカさんにご招待をいただきました。
日本とスリランカの二つの国の国籍を
持つことができたマディカさんです。
きっと新しい親日派の大統領のように、
両国の架け橋になって下さるものと思います。
名古屋のマディカさんのお友達ガネヒさんに
旅立ちに当たって、航空券のお世話になりました。
結局航空券は電子チケット、ビザは大使館のホームページでの
電子申請で取得。保険はクレジットカードに常時付いていて、
誰にも会わず、一切のペーパーなしでスリランカに行くことができます。
おそらく25年前の十分の一の労力で達成できます。
情報社会の到来は、処理スピードと情報の共有、そして
情報の通知の速さと量で身にしみて理解できます。
真っ黒の画面にc>と出て始まったパソコンでのキー操作の時代から、
CLOUD(雲)で情報を共有し、ソフトウエアを引っ張って、組み合わせる
時代が来ました。まさにホピの予言のようになっています。
そしてIT機器を世界のほぼどこにいても使うことができます。
インターネットはもう社会生活に欠かせない技術となっています。
ユビキタス(神はいかなるところにも遍満する)の時がきたり、
いよいよ世界が大変革を迎える予感です。
人類が進むべき方向に向かう時が来ているかのようです。

奇跡講座

一人で行う、自学講座である「奇跡講座」を終えた。
365日毎日毎日一章のみを読み日々実践する。
一日に一章だけずつ進む。
だがその第一日目「あなたのまわりに見えるものには何の意味もない」
で、え~~~~~~!!という感じ。(笑)
ある方から紹介されて3年目にやっと心が動いて実践してみようと
思った。本もいただいた。だからかもしれないが(笑)やってみようと
体も心も動いた。
その方には大恩がある。
終わってみて、とてもわかったとは言えないけれど何か嬉しい。
もともと「それにいた」ことから始まっていたはずだった。
おそらくもう戻らない。それは確信です。
それどころか、戻らないつもりでこの15年くらいは生きてきたのだから。
そのダメ押しのような感がある。
ワークブックが365日分の文章。
テキストはまた別の本。
このテキストはどこから読んでもいい。
そのテキストはまた凄い。
そのテキストのことのほうが心が洗われて、確信に至る手助けに
なるのかも知れない。
テキストは一度読み終え、二度目に入っている。
おそらく何度読んでも、100度読んでも新鮮さを失わないだろう。
イエスのことばと言われているのだが、イエスでなくても十分に
伝わってくるその真理の単純な繰り返し。
そして美しさ。
生涯の聖書。
真の聖書と言えるかもしれない。
私たちは抵抗する。
不変であるものこそ真理であるのに。
目の前の日々の変化こそが現実の世界と疑わないでいる。
そしてますます自我のトリックに迷宮入りとなる。
変化するものが実相と思い込み、不変なるものこそ実相だと気がつかない。
しかし変化するものによってこそ、不変なるものである実相を知ることしか
この現実に現われたのならば出来ないのも事実だ。
書物や人の口から、また御天画でも幾度「元ひとつ」を見ただろう。
そして聞いたのだろう。
そう思わなくても、元一つであることには変りがないけれど。
もし元一つならば、誰が誰を嫌うのだろう。誰が誰を愛するのだろう。
誰が誰を怒るのだろう。誰が誰を攻撃するのだろう。
誰が誰に感謝するのだろう。
誰かを殺せば、誰かに殺される。
戦争反対と叫べば叫ぶほど、平和は訪れない。
テロは絶対に赦さないといえば、テロはなくならない。
赦さなければ、赦されない。
あらゆることにあった時、相手を赦し、同時に意識してしまった自分を赦す。
その繰り返しの実践が人生と言ってもいい。
幾度もの繰り返しの中で次第に「元一つ」が確信となっていく。
そんな現象が現われてくる。
そしてやがては誰もがなつかしい「ふるさと」に戻るのだ。
戻るための旅。
万人が戻る場所がある。
なんて素敵なことだろう。
例外がないなんて。
すべてのことは自分が自分にしているのだから。

ある返信

人形141128.JPG
今毎日眠っている部屋にある人形です。
これは40年前に生まれた忍のお祝いにと、ある方から
いただいたものです。
この40年間に5度の転居をしましたが、ずっと一緒にありました。
私にとってはとても思い出深く、決して捨てることなどできないものです。
人形ケースの奥の方が始めの人形で夫婦と子供一人でした。
それから時が過ぎ、3人の増加があって人形を一つずつ足してきました。
一番最後が末娘で色が白かったもので、白い人形に
したのでした。
家族6人の人形ケースです。
その中の一人が今年の6月に欠けてしまいました。
お年賀の辞退おはがきを送りました。
幾枚かの返信のお便りに、この人形を下さったYさんからの
ものがありました。
Yさんは私が今日在る大恩人のお一人です。
伊路波村の過去記事にYさんのことを書かせていただいてました。
また返信にあるUさんのこともあわせて書いてありました。
もしよろしかったらYさんとUさんのことを読んでみてください。
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「堅い人」      2005年(平成17年)7月1日
今日は雨。
カラカラ名古屋に久しぶりのお湿り。
みんなホッとしているのだろうか。

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高倉 健 さん ありがとう。

映画のシーンに無言で登場するだけで
泣けてしまう俳優 高倉 健さんが天へと戻りました。
さまざまな検索をしていましたら、井口さんの
ブログに 健さんのエピソード集がありました。
シェアさせてください。
つぶやき「あなたに誉められたくて
井口さんブログ 「高倉健さんが逝った!」 ここから
新作映画の撮影中、いつも持ち歩いていた台本に、1枚の写真を貼り付けている。
震災の残骸の中、唇をかみしめて歩く少年。新聞から切り抜いた。
「宝物です」。
被災地を思う高倉さんは「人生は切ない。
切ないからこそ、何かに『うわっ』と感じる瞬間がある」と語る。
『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭で、刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂で、女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、ラーメンとカツ丼を食べるシーンがある。
その収録で「いかにもおいしそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田洋次監督からOKが出た。
あまりにも見事だったので、山田が問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なに語り、唖然とさせた。
真冬の福井へロケに行った際、高倉は休みの日だったが、ロケ現場へ激励に現れた。
厳冬下であったので、出演者・スタッフは焚火にあたっていたが、高倉は焚火にあたろうとしない。
スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めたところ、高倉は「自分はオフで勝手に来た身なので、自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えた。
このため、スタッフだけでなく、共演者も誰一人申し訳なくて、焚火にあたれなかったと発言している。
やがて「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれ、「じゃあ、あたらせていただきます」となり、やっと皆で焚火にあたることができた

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いのちの実相  ここにいながら故郷に帰ること

よく考えてみましたら、何かの直感が湧いたときは
もうすべてあきらめて絶望感に至ったときとか、
この肉体が危険になったときとかでした。
(肉体の危険は、なにかしら分からない声がある)
車にぶつかって、体が飛んだ時は「ぼく 大丈夫?」。
経営の方法、方向が分からずどうしたらいいんだろうかと
思い悩んだとき。「外に出なさい。!」
娘が薬を抜き快方に向かっていながら、
再び元の状態に戻ってしまったときの絶望の中では、
「セカンドオピニオン!」
いずれも短い言葉です。
それで、神の声ってあるんだろうかとネット検索してみました。
ありました。
それは「魂のインターネット」というページでした。
「神の声」
http://members.jcom.home.ne.jp/dawn-watcher/99_blank006178.html
あとほかのページも興味深いです。
あとがきから読むと、著者の体験があります。
人間はどのようにして神の国から幻想の世界に来たのかは
大人の童話にあります。
「エデンの園の地下洞窟」
http://members.jcom.home.ne.jp/dawn-watcher/99_blank006185.html
「自他の合一」では「私はあなた」を明快に説明しています。
http://members.jcom.home.ne.jp/dawn-watcher/99_blank006175.html
そしてこの本の参考図書の一番目に「奇跡講座」があったのです。
いずれにしても人間は究極の絶望感に至ったときに
新しい展開が与えられるので、とにかくその声や直感に
したがって行動することが大切と、体験から教えられました。
もしそれで行動しないでいると、もったいない感じです。
ここにいながら、体を持ちながら少しでも「ふるさと」に
近づくことができれば、それが人間にとってとても大切なことのように
思うのです。
その道の途中では、幾度も不安感におそわれます。
そしてみんな消えてしまって、人間的な喜び悲しみ
楽しみや変化を味わうことができないのではないかと
疑いを持ちます。
そのような思いこそが自我さんの栄養になるようです。