すべては光 031110

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平成15年11月9日 午前6時 西光寺の広間で壇上和尚が
お話をしている。
「私が中学の頃きいた言葉が、この道に導いていただく
大きなきっかけとなりました。
それは私たちのからだの細胞はなんでできているかという
問いについての答が衝撃的だったのです。
私たちの細胞は 光でできていると聴いたのです。」


壇上和尚は450年の茅葺き寺院を お一人で守る方。
西光寺は、広島 中国道 三次インターから車で30分の
静かな山里にあった。
広島 ひふみ村主催の「ありがとうございます祭り」は
このお寺で 開催された。
名古屋からプライナス関係5名、慈藹塾(伊路波村)関係
大人9名とちびちゃんアイドル亮太くんが参加。
片道7時間の旅。
山郷のわりに広いと感じられる駐車場につき、荷物をもって
急な坂を登り歩く。見上げれば 古寺。
もうすでに広島ひふみ村の人達が お食事の用意を
してみえる。
境内には樹齢600年のもみじの木が目をみはらせる。
そして樹齢800年の樫の木は周りを威圧するかのよう。
思いおもいに 境内や本堂に遊ぶ参加者の人々。
遠く仙台からの 元気アップ村の大久保さん、そして
やすらぎの村と伊路波村と三田和村の混在メンバー谷畑さんと
ともに、早速庭でビールをあおる。
ありがとう村の奏上殿建設に関わった あの南江棟梁もいっしょ、
縁の花村の岩谷さんもいっしょに酒盛りが始まった。
ほろ酔いかげんになった頃 まさGこと、川野政次さんが
奉納太鼓の 準備を始めた。
中国道 三次インターで 待ち合わせの時 お会いしたかった
川野さんが ふらり 休んでみえた車から出てみえた。
もうそれは全てを捨て切って平和の祈りそのもののお姿だった。
暖かい手から伝わる祈りは あるということの幸せ感そのものだった。
川野さんは喉頭ガン末期。声はほとんどでない。
時折テイッシュにもどすタンがいたいたしく感じられた。
みんなが本堂の登り階段に陣取る。
仏様への道だけ開けて、小太鼓鼓奉納は始まった。
「ポン ポン ポン——-」
そこにあの 弱弱しい川野さんはいなかった。
まさに 光。
音は光。
次第にその光は強さを増していった。
不浄なこの身に 光が降り注ぐ。
ありがたくて もったいないような平和の祈りの中に
包み込まれていったかのよう。
演奏終了後、自然の昆虫や樹木が棲息、生い茂る
森を歩く。水源のある地点でもまた 川野さんは祈りを捧げている。
賑やかに 食事が始まる。
なんにもしないはずの ひふみ村の人々の
深い深い愛が伝わってくる。
お酒 しょうちゅうに棟梁はメーターがあがってきた。
川野さんの 凄い太鼓のあと、キッカケをさがすかのように
時は過ぎていった。各地の村びとたちがふれあった。
壇上和尚は気さくに望遠鏡を設置し、満月をみんなに
自由に見せてくださった。
プライナスがやっとこ 始動した。
歌声が 満月のしたの 高台にあるお寺にこだまする。
人々は庭で自然に踊り始める。
嬉しさでいっぱいだ。
恥ずかしさもなく、こちらのからだも踊りだす。
変な満月の夜。プライナスの唄は 歌詞の意味が
わからない歌が半分くらいある。
それでも 歌声に共鳴してか、幾人かが涙ぐむ。
唄声は 光。
プライナスが終わると いよいよ堰を切ったかのように
喜びが爆発する そば打ち般若の吉岡 潤さんの
おもしろソングの数々。
そしていよいよ壇上和尚さんもギターをもって
「ホンマカイナ ソウカイナ」
私たちは 歓びの中に 知らず光を感じる。
意識は光。
宴は終わり、お堂内に布団を敷きみんなで雑魚寝、
老若男女を問いません。
午前2時まで それから語りあった人々もいたよう。
朝5時 壇上和尚の「ホンマカイナ ソウカイナ」の
CDが目覚まし。おもわずわらって おきてしまった。
毎日がこうでありますように。
そして午前6時から 法話と坐禅がはじまったのである。
なにも決めない 思いつくままに集いをしても、
誰かが助け、だれかが役割を果たしていた。
だがしかし 何日も前から 心をつくし精神をつくした人々が
そこには厳然としてあった。
2日間お付き合いいただいた広島の人々。
私たちには もうひとつのふるさとが出来ました。
そして もう崩れようのない精神をもいただきました。
あらゆるものは光である。
音も声も全てのものも、
さらには意識さえも。
私たちは いただいたいのちを 精一杯輝かせることこそ
いただいたことへのご恩がえしでしょうか。
町には人々が溢れ、広島のお好み焼きやカキを頂き、
名所 旧跡にはサッパリご縁のない旅。
こんな旅が伊路波の定番です。
名古屋に10時半無事帰った。
川野さんの背中の感触が まだこの手に残る。
ありがとうございます