気の発生

友人から久しぶりにメールがありました。
その中で「坂本敏夫さんの最近の本よかったです。」と
書きとめてありました。
そう聞きますと、言った友人がなかなかの人ですので
俄然興味が湧きました。
キンドルで読みました。
「典獄と934人のメロス」
典獄とは刑務所所長の大正時代の呼び名です。
罪を起こしてしまった罪人や、冤罪で刑務所にいる者や
典獄以下刑務所に働く人たちやその家族の物語的実録です。
大正12年9月1日午前11時58分32秒に
横浜沖を震源とした大地震は10万5千人の死者と
大きな火災を、主に神奈川、東京にもたらしました。
横浜刑務所は塀が全壊します。
そんな状況下で典獄がとった処置、および発した言葉、そして行動が
周りのすべての人々の心に迫ります。
若い帝大出身の典獄の日常の心が全員に染み渡るのです。
10分間に一度はグッとくる内容でした。
珍しい本です。
罪を起こした人ほど、まったくその逆の目覚めがあることが
よくわかります。
この世に良いも悪いもなく、ただ自らが悟るべき出来事が
現象として次々に目の前に現れるだけでしょうか。
一般の人たちが大震災時にとる行動と罪人たちとの
それとの対比はあまりにも好対照です。
なんだか人間って美しくて善なるものとの
嬉しい気持ちが湧き上がります。
もうひとつ北陸つながりの友人が名古屋を訪ねてくださり、
御二人のうちのお一人がしきりに「あの映画よかったわ~~~」と
おっしゃった映画を、翌日金沢へ戻られるお一人と共に
その戻られる日の午前に見させていただきました。
それは「人生の約束」です。
物語は富山県の新湊での曳山を中心とした物語です。
新湊は22歳の頃に近くの小杉というところで、高速道路の工事を
した時に、ちょうど新しい港が開港したばかりでした。
ですからとてもなつかしくて、またつるべさんの番組で映画の宣伝を
兼ねてか、写っていましたので何か縁を感じました。
350年続く曳山。
ちょうどこちらの町にも唐子車という山車があります。
呼び方が異なるだけで、曳山も山車も同じこと。
350年という継続期間も同じでした。
祭りは女も男も老いたる人も子供も、みんながひとつの
山車を引っ張って神様に感謝するイベントです。
昔はみんなが山車を維持するのが大変だとか、
山車を動かす若い衆がいなくて、専門の人たちに
お金を払って曳いてもらうので、とても気を使うとかの
話を家内がしていました。
「そんなのやめてしまえばいいのに・・・・・・。」と
言っていたのに、今やその山車を維持管理していく立場になっていました。
そんなときにこの映画です。
どんなときも泣かない男(主人公)が泣きます。
主人公は大企業の有名な若手経営者です。
家族もなく、ただ企業を大きくすることだけにエネルギーを
注いできた人間がある事件で挫折します。
さまざまな展開があって最後には、泣かない男が
人間の絆を心にしみて感じ、落涙します。
上も下もなく力の限り山車を曳き、疲れきってエネルギーを出し切ったとき、
創業時共に開業しながら、自らが辞めさせた、心を大切にした友人の気持ちが迫ります。
そして落涙するのです。
伝統を守ることも大切ですが、絆を守ることのほうがもっと大切。
絆こそが共に生きる人々にとって一番大切な精神でした。
本と映画、ふたつとも友達からの話題でした。
そして出会いや情報が日常を越えた体験を下さって、
また新たなるエネルギーを出す勇気となります。
縁は気の発生の最大のものでしょうか。

今、世界はさまざまに揺れているかのようです。
フィリピンを訪問されている天皇陛下と皇后陛下ですが、
出発前後の様子を語る新聞記事やフィリピンでの
歓迎のパティーでのアキノ大統領や陛下の御言葉に、
心がキュンとなったのは何故でしょうか。
アキノ大統領は陛下の心中を慮り、
「当事者でない陛下が、この戦後の70年間の重荷を
背負って生きてこられたことに敬意を表する。」と
述べられました。
貧困が漫画になったり、真にそのような方たちがこの国で
増加してきたり。
子供をあやめる親が増加したり。
公称3万人をこえて、、また不明者を加えれば
戦争で亡くなったかたたちを上回るような累計自殺者の数。
仁徳天皇のように「民のかまどの煙」を見ることもない
政治に携わる方たちや、御役人さんたちを知ります。
世界では異常なる気候に翻弄される人々や、
国を負われ他の国に逃れたら、そこで行き場のない
待遇を強いられる人たち。
同じ地球に同じ時期に共に生かされる
人々が、あまりに異なる状態に生かされることに
心が震えるのです。
みんな自分の心がなしたことでしょうか。
今日本に生まれ60年を超える時間を生かされ、
一体何をなすべきなのか。
この国の人々がどのような形で、どのような道を
歩んでいけば、心から喜べる社会となっていくのだろうか。
さまざまな難題を抱え苦しむ人々や、まだ自我も芽生えないままに
肉体の終わりを迎えなければならない生命体や、
戦争という名のもとで、殺人を余儀なくしている人たちや、
お金だけが目的として食べるものさえ偽る人たちや、
お金が安全に優先する企業風土や、
先の希望を失い、体や心の不調から肉体生命を脱ぐ人たち。
全部自分の姿でした。
ただ祈るだけしかないのでしょうか。
イエスは天に祈りました。
自分をあやめる人たちのことを祈りました。
「主よ彼らを赦してください。
彼らは自分達が何をしてるのか、わからないのです。」
何をしてるのかわからず、互いの人生をみんなが
懸命に生きています。
それでもイエスは赦せといいました。
もしかしたら、自分がなしていたのかもわからない行為。
人間はひとつの生命を生きています。
すべてが自分なのです。
今世界は大きな変革の時を迎えているのでしょうか。
小さな力でも、できるだけのことをしたいと
小さな心が今、思いました。

ジャスト ナウ

土木研究室を卒業する学生3人にむけての
研究室教授のはなむけの言葉です。
「ジャスト ナウ」
なんでも判断しないで、人に言われたことは「すぐに」しなさいとの
教えでした。
全国に散らばった3人の学生は後に、一人は国立大学の
教授、一人は東証一部上場会社の取締役に
そして一人は小さな企業の経営者にとなりました。
はなむけの言葉をいただいた30数年後に
先生にお会いできたのは名古屋今池でのイスラエル大使の
講演の集いででした。
友人のご案内で出向いた会場で座った席のすぐ後ろに
先生はみえました。
びっくりしました。
原始キリスト教を実践する先生らしく、何事にも
怒ることなく、温厚にして誠実な方でした。
その「ジャスト ナウ」の御言葉はその後の人生での指針と
なり、いまだにその実践行動中です。
ものごとに善悪を考えて判断していると、行動が遅くなる。
他の方から言われたことは即実践行動。
でも人生も50半ばを過ぎる頃、頼まれごとを一回だけ断わることが
できてしまいました。
それは「保護士」という御役目です。
この世で言う罪をおかし、服役し、再び世の中にでてみえた
保護観察中の主に若い方と定期的に接触していく仕事です。
頼まれごとに自我をはさんでしまいました。
罪を犯したことはないのだろうか。
そんな立派な人間なのだろうか。
導くことなどできるのだろうか。
人に言えない多くの罪を背負って生かせていただいている
ことを深く思いました。
そしてお人を更正させ導くようなことはできませんと
お断りしてしまいました。
保護士の依頼においでになった方は、そのことの
一年後くらいに天に戻られました。
今回の人生での強烈な思い出となりました。
ジャスト ナウ を ジャスト ワンス ただ一回やぶりました。
それからはその自縛の言葉から少し変更をしました。
すぐにはやるけれど、自分の道の方向を決めるときには
やりたくないことはしないようにしよう、と思いました。
思えば 今まで思ったとおりの現実になってきたと思います。
若くしてこの世を去った逆縁の娘が家族として
来てくれたこと。
急性胃潰瘍を患いながらも必死に経済活動に
集中してきた30代。
時代の変化を察知し、次なる行動を、道を捜し求めた
40代から50代。
20年を超える真理法則や実践の道の探究から
ようやく道に明かりがさしてきた60代半ば過ぎ。
すべて因果を清算すべきことがらが
目の前に現れてきました。
因果法則の真理を伝える出来事の連続でした。
それを次から次へと「ジャスト ナウ」の指針どおりに
行動し続けた結果が、永久の今となっていました。
22歳旅立ちの時、一人のお人の言葉が他の人の人生の道を
照らし、それぞれの行動のスピードを加速し、真理へと
導くスピードさえも増してくれました。
完成はなく、いつも途上ですが、これからの道はそうとうの
激動の道と感じさせます。
それでもいつもいつも「ジャスト ナウ」で行こう!!と
思わせていただきます。
ありがとうございます。

縁って、お人とだけでなく、本や、もの、場所など
たくさんの縁があります。
すべては自分の人生を彩る、天からの霊(言)だと
知るとき、人生がすばらしく明るく輝くのでしょうか。
あまり本というものが好きでなくて、というより余裕がなくて
たくさんを読みましたとはとてもいえない私です。
ただ多感な(そんな時もありました)頃の10代後半から
20代前半には、アルバイトなどで少し余裕が出たことも
ありまして、いろんな本を読みました。
中でもこのように生きたいものと強く思わせた、魂を
揺さぶる本が、故 芹沢 光治良さんの「人間の運命」全7巻です。
芹沢さんの自伝的小説ですが、主人公の次郎は心優しく、
怒らず、温厚にして積極的な人物です。
若い頃の人生の指針としてむさぼるように読んだことを
思い出します。
一押し推薦の長編です。
著者の芹沢さんは自分の死期を認識できる方だったようですが、
一度の死期を延長されてからは、その後も多くの著作を
残されました。
東京中野に御住まいだったのですが、不思議なことに
今も御天画を通じて24年間の御付き合いをいただいています
同じ中野のNご夫妻が芹沢さんのご葬儀に最前列で参列されたことも
お聞きし不思議なご縁を感じさせていただきました。
長いときを超えて、
今年の賀状の中の一枚が芹沢さんの声を届けてくれました。
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差し出し人のIさんは、日本人としてのマザーの深い友人でした。
インド心の旅を30年もの間主催され、多くの人々をインドへと
いざなわれました。
マザーが亡くなった日はちょうどインドの心の旅を終えて
コルコタ(カルカッタ)から日本へと戻る日でした。
しかし飛行機は飛ばずキャンセルとなったため、いそぎ
マザーハウスへと戻りました。
そこにはちょうど棺に入ったマザーの遺体がありました。
牧師様にお願いし写真撮影を赦されました。
後にその画像はIさんの著書に掲載をも赦されました。
そのIさんに降りたメッセージ
「人間は他のいのちに仕えたとき、自分のいのちが
もっとも輝く」
マザーの声が聞こえるかのようです。

平成28年のお正月

新しい年が素晴らしい輝きとともに
明けました。
紅白、下の二階でそして朝明の岩魚の養魚場で
唄ったエックスジャパンのとしさんが、圧倒的な
歌唱力で変わらぬ魂を捧げました。
中学3年の時、男装の麗人丸山明宏さんの
テレビから聞こえるヨイトマケの歌が、歌というものに
初めて涙した体験をくれました。
何も変わらぬ明宏さんでした。
一人一人がさまざまな体験をしながら、さまざまな
望みを持って生かせていただきます。
役割を行かせていただいてます。
変わらなくていいと感じます。
ありがとうございます。

平成27年の年の暮れ

8階のベランダから名古屋の南方面を見ています。
産業界がお休みになるとこんなに空が綺麗なのかと、
輝く空を見つめる午後三時過ぎです。
今年を振り返りますと、2月突然のように全国にピッコロ現象
と言っていいような驚くべき現象がありました。
Eさんが遊び心で作成したピッコロという小さな箱が
毎日毎日ものすごい数で全国に旅立ちました。
特殊なセラミックをただ単三の電池一個で電圧を
かけただけの、しかも電池の消耗が自然消耗だけで
ほとんどないという仕組みでした。
ですがこの箱で痛みが消えたとか、とてもよく眠れるようになったとか、
信じられないですが、重篤な病が無くなってしまったとか、
本当に信じられない感想が全国を駆け巡りました。
その理由を考えてみました。
地電圧といって、地球の土の表面と場所によって深さが
異なりますが、地中のポイントとは電圧が確認されます。
その電圧で地球の土は腐らないようです。
地球は空間の圧よりも1.5vから2.0v高い圧にあり、
そのことでたえずエネルギーの吸引状態を保っています。
犬が散歩で土のところに好んで行きたがる理由は、
もしかしてこの自然に触れたがるのかもしれません。
私たち人間は人工的なほぼ放出状態の居住空間にあり、
自然から離れた状態にあります。
しかも日々の生活によるストレスによって身体の
さまざまなところに不調を作り出します。
痛みは酸欠であり、エネルギー不足と言えます。
そんな酸欠である場所に、母なる地球のミニュチュアである
ピッコロを抱く時、それは自然の状態に回帰することになるのでしょうか。
意識の変更なくしても自然の状態が保てれば、不調な箇所も
癒すことができることを証明しました。
この近20年の間、このままではいけない、何か重大なことを
人類は忘れてしまって、ただひたすら戦後を物質的繁栄と、
豊かな生活を目指して生きてきたことの弊害が必ず発生してくるだろう
との懸念が頭から離れませんでした。
そしてそのような時代に私たちはどのように生きて、
何を目指していくべきなのだろうと、深く思索し
あらゆる行動を試してきました。
近来に見る言葉の乱れは心の乱れであり、その心の乱れが
身体の不調を生み出し、
今起きているようなさまざまな気象現象や、人間同士の
争いを生み出している原因ではないかと感じるに至りました。
出した意識通りの現実が確実に目前に現れます。
私たちは一つ命を生きています。
私はあなたであり、あなたは私です。
真理が隠しようもなく現実に証明される現象が
次々に現れるような気がしています。
来る年がご縁をいただいたみなさまにとって
輝ける年でありますように、祈念申し上げます。
平成27年の暮れに。

突然に繋がってきたこと~その後

「突然に繋がってきたこと」の中の12年前のの実験
反響が大きかったようです。

その中で、水道水の茶色い浮遊物は何でしょう?とよく聞かれます。
それで会社にあります直流電源装置で再実験しました。
36Vで0.03Aの電流が流れました。
ステンレスの板を電極に使っています。

水1.jpg

5時間電圧をかけました。
そのときの状態です。

水2.jpg
水3.jpg

この茶色いものです。
まず水の色が茶色いのは塩素と電極の鉄分が反応したものです。
茶色い浮遊物は実は水道水の中に含まれるミネラルです。
そのミネラル(無機物)が水酸化物となったものです。
ミネラルは水がおいしいと感じる成分ですから大丈夫です。
だからビデオ中でも飲みました。
水道の浄水場では工程に応じてさまざまな薬品が投入されます。
最後に次亜塩素酸が大量に投入されます。
塩素は殺菌に利用されます。
水道管をとおり蛇口に出るときには一定の量が含まれないと
水道水としての試験に通りません。
そのために塩素が水道管中の有機物と反応して
トリハロメタンが発生します。
とくに夏場がすごいです。
入浴中のシャワーなんかでもトリハロメタンは多くなります。
一番風呂が肌にピリピリするのは塩素の影響でしょうか。
ここで実験の虫がむくむくしてきました。
ありがとうシートを敷いたらどうだろう。?
長い時間やってみました。
同じく36Vの電圧で003Aの電流でした。

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そして5時間後です。

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やっぱりというか、驚くべきことというか、少し塩素と鉄分との
反応で黄色くなっただけで、黄色い浮遊物はありません。
「ありがとうございます」という言葉は人間が見なければ
言霊(ことだま)として作用しないかもしれませんが、
人間が見れば、無音で読んでしまいます。
言葉にエネルギーがあるのでしょうか。
無機物がイオン化して水酸化物として黄色い浮遊物が出ますが
それが現象として出ていないということは。?
イオン化は放出です。
放出でないとすれば、ありがとうございますの言葉は
水道水に吸引力(エネルギー)を与えている証明になります。
結果にまさる証明はありません。
また物質を中和力で中和するバンブーシステム(エアー振動)で
バケツいっぱいの水を一晩かけてみました。
そして朝から5時間同じように電圧を36Vかけました。
やはり003Aの電流でした。
結果は・・・・・

水6.jpg
水7.jpg

やっぱり水が少し黄色くなっただけで、茶色い水酸化物は
現れませんでした。
マナエアーの吸引力が水を活性化したようです。
よくエネルギーの高い水だからいいとかなんとか
いいますが、エネルギーが高い状態は維持できるものではないようです。
マナウオーターも水がいいとかということではなくて、
マナシステムがエネルギー吸引状態のシステムであり、
そのシステムをいただくということのようです。

突然に繋がってきたこと 6 「出したものが返る」 終章

このシリーズを書いていた昨日、昨日の分が書き終わりを
迎える頃、パソコンの操作ミスで全部消えました。
すぐに「これは書いてはいけないんだ・・・。」と思いました。
それでも今朝からまた始めています。(笑)
意識が遠方に届くことを植物で実験したアメリカの研究者の話題が
IN DEEPにちょうど記載されていました。
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フォーゲルは、当時、27歳の IBM の上級科学者で、100以上の発明の特許を持っていた。そのキャリアの途中で、彼は、自身の持つ科学知識のさらなる有機応用に興味を持っていたのだ。
彼は、植物により放出された電流をテストした。
そして、彼が呼吸し、心の中で思考を巡らせていた時に、心の中の思考が明確で、呼吸が遅い時に、植物たちが劇的な反応を示したことを見いだした。
彼のチームの元研究員だったダン・ウィリス( Dan Willis )は、彼のウェブサイトで、フォーゲルの実験を説明した。
ウィリスは以下のように書いている。
「思想に対する植物の応答性は、8インチ(約 20センチ)離れても、8フィート(約 2.4メートル)離れても、あるいは、8000マイル(約 13000キロメートル)離れても同じだった」
「フォーゲルは、プラハから、そして、チェコスロバキアから、彼の研究室のあるカリフォルニア州のサンノゼにまで、植物に影響を与えることができたのだ」
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このように研究者の意識は距離に関係なく、何万キロ離れていても植物に
届くのだということがわかりました。
植物に意識がありそうなのです。
共時性のことが次なる疑問でした。
ほぼ同時に同じ発明をする研究者たち。
ほぼ同時に同じ行動をし、その行動が同種の動物に次々
広がりを見せる現象。
ここに呼吸の「呼」の意味を見ます。
「呼」とは呼ぶこと。
息は意識。
意識を出せば(息を吐けば)、その通り返ってくることは宇宙の真理です。
意識を出した方にとっての現実を「呼」ぶのでしょうか。
物理で言えば、作用反作用の法則です。
押せば戻る力が働く、それが宇宙の真理です。
疑問を抱けば、答えが返ってきます。
何万キロも離れた場所で、同じ疑問の回答を得た者がいれば、
同時期にその同じ回答を得るものが現れても不思議ではありません。
動物の行動と意識も同じでしょうか。
では最初の疑問を抱いたものは、どこから回答を得るのでしょうか。
疑問を意識し続け集中し、無意識から回答を得たのでしょうか。
聖書の「求めよ、さらば与えられん」はまさに至言といえます。
心が集中したり、また逆に「無」であればあるほど、解答を得る
速さが増すのかもしれません。
「無心」こそ疑問解決の鍵なのでしょうか。
いずれにしろこの現実世界はさまざまな意識が混ざり合って
できている世界と言えそうです。
出した意識どおりの現実が返ってくるのならば、
心から希望するような現実の「息」を呼吸し続けたいものです。
さらに「無心」の呼吸を続けることができれば、もうすでに
「万事如意」の条件が整ったと言えるのかも知れません。
私達は肉をもってこの世に生まれさせていただいて、
呼吸をしながら生かされています。
無意識のうちに本能が働き、自律神経、ある事柄についての執着、
湧き上がる感動、直感などを各自が持っています。
この世にいかされる時間が長くなる頃、
普通は意識が芽生え、考え方、希望、夢、計画をもちます。
無意識がどこから来ているのか、そして本能や自律神経などは
みんな同じなのですが、執着や直感や感動ポイントが何故それぞれ異なるのかは
わかりません。
肉体を持ってこの世にあって、さまざまな意識をいだくのは
なんのためなのでしょうか。
いろんな苦労や喜びや怒り、悲しみなどを体験するのは
なぜなのでしょうか。
もしかしてこのような生まれてからの意識が、無意識を知るためだとしたら・・・・。
最近は食べない人たちが話題です。
もう50年以上も食べていない愛知県内の女性を知っています。
一日青汁いっぱいでにこやかに人生を送る、ふっくらした女性。
8年間水も食もとらず、ハイテンションな弁護士さん。
インドのヨギである故バラマハンサヨガナンダさんは著書「あるヨギの自叙伝」の
中で、たくさんみえる食べない人たちのうちの一人の女性にインタビューしました。
その女性は答えました。
「食べないでいることは人間が肉でなく霊であることの証明です。」
食べ物は食べなくても大丈夫かもしれませんが、さすがに空気がなくてはと
考えましたが、とんでもない人が日本人にいます。
本屋さんに行きますと、横積になった本の著者ヨグマタこと相川圭子さんがその人です。
7年前迄に、インドで10回以上の公開サマディーをしています。
ものすごい数の公衆の前で、地下の小さな部屋に入ります。
その後部屋の上に土をかぶせます。
そして3日の後無事に生還してくるのです。
まさに空気が薄くなるかなくなって窒息するんじゃないかと考えてしまいます。
でも冬眠動物たちは、生命レベルをおとして、呼吸、内臓の働きを
極限までに小さくし尿などもせずに冬を越します。
おそらく人間でも無心の瞑想が、生命レベルを落とすことを
可能にし、少ない空気でも生きることをも可能にするのかもしれません。
無と有はまさに無意識と意識の関係。
空と色の関係。
霊と肉の関係。
すべて同じで原因は無であり、空であり、霊であるのでしょうか。
そして結果は有であり、色であり、肉。
疑問はまだまだあります。
長崎のあんでるせんで行われる人間の未知能力です。
人間の意識が、物質を変化させる。ガラスのビンが伸びる、曲がる。
他人の知らないことを言い当てる。
物質が空間を移動して額縁の中に入る。
紙幣の中に硬貨が入る。
はては何百キロも離れた場所へ物質をテレポートさせる。
不思議を詮索すればそれだけで一生を終えてしまいそうですが、
何故だろうと疑問を持たないほうが気がふれそうです。
喫茶店あんでるせんのマスター久村さんはおっしゃいます。
「人間ならだれでもできますよ。疑問を持ってやり続ければ可能です。
やれないのは、やれないと思うからです。
宇宙は巨大なフロッピーデスクです。
聞けばなんでも答えてくれます。」
ここでも「出したものが返る」真理の言葉が聞けます。
友人のYさんは時空の逆転現象を体験されました。
過去の出来事が巻き戻されたのです。
体験にかなう証明はありません。
またオカルトぽいですが、この現実世界は一様ではないのかも
知れません。
また人間の意識は最大のエネルギーです。
「ガラスビンを飴だと強く思えば、伸びますし曲がります。」
久村さんの声が聞こえます。
この現実世界は夢なのでしょうか。
旧約聖書では蛇にそそのかされたイブとアダムは
次々に「知恵の樹」の実を食べて、分離感をもちました。
有名な原罪のお話です。
神さまはその実を食べてはいけないといったのに食べた人間を
恐れたとあります。 次に中央の「生命の樹」の実を食べたら
人間が永遠の生命を得てしまうからと、エデンの園から追放をします。
人間はもともと永遠の生命だったのです。
そして「カバラ」生命の樹は、一本で全体を表す「一体全体」。
「あなたはわたし」なのです。
一本の木のどこかの存在である自分という永久の生命は、
どこかの部分であり、全体でもあります。
だから何かの意識を出してその結果を得れば、その結果は
全体に及びます。
出したものが返る真理は、この「生命の樹」にも見ることができます。
わたしたちは何故この世に現されて、さまざまな体験をし
さまざまに意識をし、生かされているのでしょうか。
生まれさせていただいたら肉が朽ちるまで、生まれ続けるようです。
そして生前を終えるのでしょうか。
霊肉一体何故?
永遠のたびは、今も続いています。