旧サッポロビールの工場跡地(現在のイオン)近くに
JR中央線が通っていて、大きな道路に鉄橋がかかっています。
今から50数年前は、まだその橋脚に人が上っていけました。
小学生である私たちは、近くの鶴舞公園での遊びの行き帰りにその橋脚に
よじ登っては飛び降りたりして肝試ししました。
どうしてだかわかりませんが、そんなある日、サッポロビールの
長い長い塀を見て思ったのです。
「城のような家を建てる」
小さな子供の夢だったのかもしれません。
自宅は子供が増えて、家が手狭になったので、お風呂や部屋を改装して
まだ2~3年しかたっていなかったのですが、家を壊してビルを
建てるんだと、突然に強く思いました。
恐る恐るですが父に相談したら「それはいい!」でした。
男二人の同意は強いエネルギーとなり、女性群は仕方ない感じでした。
1987年に貸し事務所用と自宅用のビルが完成しました。
8階建ての8階の自宅ベランダからの町の眺めを見下ろしたとき
突然に「これが城?」とビルは小さいけれど幼い頃の夢が蘇り、
達成感に満たされました。とても幸せでした。
私が39歳、娘は中学校に入学する年齢となっていました。
そしてその5年後、17歳の正月に娘は発病したのでした。
いのちの実相 1
長女Sが今年6月18日の夜に息を引き取って、今生の人の一生を閉じました。
この世では40歳少し足らずの人生でした。
世に言う77日を8月6日に終えて忌明けとなりました。
彼女のことや自分のこと、また小さな時からのできごとを
すべてに差し支えのないことだけ(笑)を少しずつお話させていただきたく思います。
といっても 目に見えて感じることはすべては私のことかもしれませんが。
またただ今までの現実の人生で起きたことをお伝えすることで、
私の感じる「いのちの実相」を少しでもお伝えできればとても嬉しいです。
このブログは公開をしていないので、このブログを訪問くださる250名ほどの
お方たちと、私の人生を共有させていただくことをお許しください。
人ならば、誰でもその人しか体験できない、たった一つの人生を
送ることになります。あたりまえのことですが、 その人生の中でどうして自分だけ?と
思うようなことがらがどなたにでもあることでしょう。
娘は高校2年生の冬に精神が不調になりました。
わかったその日その時がその後の私の人生の大きな転換点となりました。
それは久しぶりの私の実家の親戚との旅行中にわかりました。
愛知県三河蒲郡にある竹島をみんなで歩いて一周したあと
浮かない表情の娘に大丈夫?と声をかけました。
「お父さん 私きのうもぜんぜん眠ってないし、3日間まったく
眠ってないの。景色がぜんぶ灰色に見えてちっともきれいじゃないの。」
と訴えてきました。
異常と直感しました。
そして長い長い幻の旅が始まりました。
娘が亡くなったことで、今の私の心に、長い間疑問であった「いのちの実相」に
ついての確信が生まれました。
その確信は娘がくれたプレゼントとなりました。
娘への感謝をこめて、ものがたります。
いのちの実相 2
アルバイトは二つでした。
はじめは雪印ローリーの配達。
それをやめたら次はM新聞の配達でした。
ふたつのアルバイト中にとても心に残る思い出があります。
ひとつはローリーの配達で初めて一人で配達した朝の
できごとで店主の方の広いお心を感じました。
初めての日、ローリーを積んで少し自転車で行ったところで
転んでしまって、ローリーがグシャグシャになったのです。
店主の方が、泣きながら店に戻った私に最初にかけた言葉が
「まーちゃん 大丈夫だったか?怪我しなかったか?」だったのです。
もうひとつは新聞配達のお客様に受けたご恩です。
小さな心使いが人の心をやさしくさせることを知りました。
何より新聞配達を終えたある日の事故が一番の印象です。
いつものように松坂屋から家へのゆるやかな坂道を、
仕事を終えた軽やかな気持ちで自転車で下っていました。
霊性の旅 1 始まり
よく聞かれることがあります。
「いつ頃からそんなような考え方になったんですか。?
何かきっかけってあったんですか。?」
そんなに不思議なんでしょうか。
40歳で小さな建材販売の会社の代表になって、
どんな人でも成功しただろうといわれるバブル期の
絶頂期を体験しました。
まさに血がにじむような忙しさを味わいました。
そして縁のある社員さんたちと喜びを
共有しました。
今考えてみますと、もしあのままずっとこの国が
幻のような繁栄を続けていたら、この肉体は
今頃はボロボロで、今回の人生を終えていたのかもしれないと、
おぼろげに感じさせます。
何がきっかけとなったのか。
それは娘の心の病と言っていいと思います。
今年三回忌を迎えますが、今でももちろん何度か
この幻の世に登場して語りかけてきます。
「お父さん ありがとね・・・・。私ねお父さんのこと・・・・」
「もう疲れた・・・・・」
亡くなる数日前の二人だけのときの会話・・・。
思い出すといつも泣けてきます。
夜の冬の空に輝く月や金星を見ながら、
こちらもお礼を言っています。
おまえがいなかったら、もう今回は終わっていたのだから、
おまえのおかげで生かされているよと、御礼するのです。
「人間は何のために生きているんだろう。」
大きな疑問が、層の異なった人生へと導きました。
潜在能力の開発セミナーももちろん影響を与えました。
そのセミナー受講のおかげで「積極」が一番大切と腑に落ちました。
自分のそれまでにこびりついた固い硬い自我が少しずつ
粉砕されていきました。
不思議な絵を描く方がいる。と大先輩から紹介されて
その層の異なる人生は回り始めました。
「天にありては 白々の雪 中空にありては瑞雲のくも
地天にありては 身を立てる」
いまだに身は立ってはいませんが、確かにこの世に生まれさせて
いただいて、もっともわくわくする今生の役目を言い当てられました。
御天画と呼ばれる絵と文字をおろされるNご夫妻でした。
その絵に剣山が描かれていました。
「剣山」は四国の山です。「失われたアーク」の伝説で有名です。
それでもその頃そのような知識も体験もまったくなかったので、
「何故剣山ですか。?」と思わずたずねてしまいました。
Nさんの御返事は「いずれわかりますから。」だけです。
そして今生のわくわくする御役目は「タグボート」です。
ようするに港に入った大きな船を案内する「水先案内人」です。
ワクワクする人やことを、他の方に案内する役。
平成5年 1993年 この名古屋のあたりでも
今の草分けのような動きが出ていました。
儲かることには前に出るが、儲からないことには後ずさり。
当時こんな日本人が多い中で、人間の真の生き方を求める
人々が講演会を開催し、多くの方が次第に目を開かれていったのです。
お天画を書いていただいたことをきっかけに
目前の現実がめまぐるしい動きを見せていきました。
そしてさまざまな新しいお人に出会うことになります。
一番新しい個人御天画
個人の意識にあるものが絵に投影されます。
結局は個人の意識が最大のエネルギーで
実現の母でもあります。
混沌とした時代に、個人の行動を促す強い確信を
得させ、背中を押してくださるかのような絵でもあります。
新エネルギー革命
「新エネルギー革命へ」
木を切り、畑をつくった場へ、太陽や風のエネルギ丨が注ぎ 作物という果実を得たのが人類の第一の革命でした。木を切る道具を作る知恵がエネルギ丨革命を生みました。
そして蒸気機関が単一の製造物を、たくさん作ることに手を貸してくれて、産業が大発展したのが、産業革命でした。
その、動力機関の燃料は木、石炭、水力、石油、核と変遷して現在に至っています。
日本という国は、文明国家の中では、産業革命の恩恵にほとんど最後にあずかった国です。
明治という時、この国にガス灯がともり、機関車が走り、電話が鳴り、それは文明開化のさきがけの時代でした。
その後、時代は大正、昭和へと移り、二つの原子爆弾が国土に炸裂しました。世界中で唯一の被爆国となりました。その国に世界で二例目の原子力発電所がもたらされ、現在では五十五基という世界一多くの数の原発をもっているのも日本です。まことに不思議なことに感じられます。
人類は二度のエネルギ丨革命を経て現在に至りました。
石炭、石油を燃やすこと、ダム建設や莫大なエネルギ丨を生む原子力発電所、そして最近の太陽光発電や風力発電。
大きな視点でみますと、すべてがエネルギ丨を得るために燃やし爆発させて、自然のバランスを壊してしまうものでしょうか。
教えられることばかりです。
今日はすこし空気がゆるくて 春を感じました。
23日24日の3ヶ月ぶりのテネモスの集いは
時間のたつのが速くて もう終わったの?とビックリでした。
少人数でしたが 広島県や三重県からのご参加もあって
みなさんの質問もするどく 大変に楽しく有意義な集いとなりました。
「新しいタイヤだとなんでもないけど 古いタイヤを
つんでおくと自然に燃えるのと 自分の髪の毛が真っ黒に
はえてきたのはいっしょのことだけど わかる。?」
もちろん「?」ですが そういえば10月の頃にはこのまま
髪の毛が全部なくなるのかと思わせるほど 強い薬の影響で
バーコード状態だった(失礼!) あの頭が今は黒くて おまけに眉毛まで
黒く整っていました。
「飯島さん それってもしかしてかつら。?」(笑)って聞きたくなるほどの大変化でした。
「医者からの薬を飲まないものだから バレちゃって 無理に
注射で強い薬入れられちゃって あんなにバーコード状態になっちゃった。
でもね 屋久島の水をスプレーしょっちゅうしていたら こんなになっちゃたよ~~」と
嬉し楽しそうに子供のように語ります。(笑)
それで私
「そうそう 私も前髪の薄さがアレッって気になってきたので
屋久島の水をスプレー同じようにしたんですよ。そしたら
2-3日でその前髪の薄さが減ってきた気がして やった~~って
思いました。」
期せずして同じ体験をしていたわけです。
古いタイヤが燃えるのは 放出状態(古いので崩壊)のタイヤを
つんだ状態なので 圧力がかかり酸素を引っ張ってきて燃えるようです。
吸引か放出か その状態で判断すると 現象が理解できると教えられました。
それで 放出状態(破壊)の髪の毛がどんどん抜けるのを 微生物いっぱいの屋久島の水によって
皮膚に圧がかかり 皮膚が吸引状態になって髪の毛が生えてくる のだそうです。
有機と無機を混ぜ圧をかけると そのギャップの分だけ0に向かう
基本中の基本をつい忘れがちです。
「目を開けているときの瞑想で出すものが
目を瞑っているときに 返ってくる」
いつもいつも考えていると その答えが自らの心に
湧き上がってくる。 考えていないものは 返らない。
その考えの道が 正しいものならなおさら直感は応援するのでしょうか。
二日間が終了して飯島さんは東京へ戻られました。
そのあと坂田さんの奥さんとのお約束の「気晴亭」へ行き
6人でお食事でした。 何も説明せずに坂田さんの奥さんに「生きているクリーム」を
進呈させていただきました。
今朝会社に電話がありました。
「あれ あれあのクリーム 買える単位はいくつから。」
「ひとつからでいいですよ。」
「違うのそうじゃないの もう売っちゃったの。なにかものすごい波動だから
いいもの皆さんに 勧めたいの。」
「ああ それなら元のところをご紹介しますよ。」
「だめ そういうもんじゃない。 あなたから買いたいのよ。だめだめ。」
私が販売しているということも言ってませんが。?
超敏感な坂田さんの奥さんは 儲けだけ重視でなく とても人の道を大切になさる方でした。
大変に勉強させられました。 Y
☆ 「テネモスミーティング名古屋」 3月
平成25年3月13日(水) 午後7~9時
14日(木) 午前9時30分~11時30分
場所 山善ビル 2階 名古屋市中村区名駅南一丁目10番9号
参加費用 各回 2000円
参加お申し込み 山田まで。
平成24年の暮れとき
今年も暮れようとしています。
恒例のように 家族の幾人かが病で伏せます。
きっと激しい日常の多くの働きが負担になって
休みたいと 体が発する信号に従うのでしょう。
暮れにはたくさんのことが重なって やらなくては
やりたいと思うことがあまりに多くて プレッシャーに
負ける身体さんです。
でも 心の奥の心どおりに したほうがいいです。
できることを できるだけでいいんですね。
沖縄首里の駅のあたり 丘の上に向かって一時間ほど
散歩しました 高台から見下ろす風景は アメリカのヒルズからの
それのようでした。
でも丘から降りてきたところにある県営か市営かの
コンクリートの住宅のあらゆる空気が 静かでまるで
死んでいる町のようでした。活きている住宅ではないです。
道路には 軽自動車の群れ それも平日なのに。
沖縄は大丈夫でしょうか。
みんな病気ではないでしょうか。
みんな夢を失ってはいないですか。
そんな風に ちょっと聞きたくなるような静かな町の空気でした。
14年前始めてお会いした女性 「初めてお会いしたあなたの年齢に
なります。」 と誠実なクリスマスカードに書いてありました。
14年前 何を思っていたのでしょうか。
ものすごく歩き回った あの時代。
あの歩き回った頃が あのさまざまな情景が今 よみがえります。
何を求めたのか 何がしたいのか あなた 自分のこと
自分の活きている意味 わかりますか。?
考えたことありますか。?
平成24年 もう最後です。
来年は誰もが その活きている意味を問いかける時が
くるのでしょうか。
または確認のときでしょうか。
生まれ変わりの日本です。
もう誰もの眼がさめることでしょう。
幸いなお正月でありますように。
権藤さんという人
地元の神明社の元旦祭が1日の10時から
毎年開催されます。
それが終わると 直来が社務所であります。
小さなまちの神社ですが 20人くらいの方が
それぞれの町内の氏子代表として参加されます。
神社の宮内で参拝が行われるまさにその瞬間
私の隣の人のケイタイがけたたましく鳴りました。
その方は発進先を確認して何事もなかったかのように
皆さんと共に参拝を済ませました。
私は噴出しそうでした。(笑)
その何事もなかったさ にです。
その後社務所で直来です。
いつものように氏子代表の方の短い挨拶のあと
煮しめタマゴかまぼこをサカナに 短い宴です。
私はお隣になった私より8歳年上で
氏子の中では2番目にお若いそノケイタイの主Mさんに
聞きました。「さっきのケイタイなんでした。?」
その返答はあんまり話したくなさそうでしたが
しつこく聞くものですから
「16日からハワイに行っている友達の家の鍵を
預かっていて 何かあったらセコムから連絡がはいるように
なっていたので ベルがなったとセコムから連絡が
さっき入ったんだよ。」
私はへ~~としか答えようがなかったのですが
16日からハワイって優雅な人ですねえ 身内の人ですか。?
と尚お酒が入ってしつこいものですから そこからお話が
始まりました。
「中日の権藤だがねえ」
「え~~~」
「ひとつ質問いいですか。」(なおもしつこいです)
「権藤さんて 横浜で監督一年目にして日本一にまで
なった人ですが どこが権藤さんのすごさんでしょうか。」
実はこの疑問は長い間の私の疑問でした。
あのしわくちゃの顔で右手で頬杖をつきながら
顔を揺らせる独特の雰囲気の権藤さんは 中日の高木監督の
補佐として一年を勤め 去年電撃的に退団しました。
また万年最下位の横浜をあっという間に日本一にして
またあっという間に退団した人でもあります。
「それはね 一度任せた人には一切口を挟まない人で
任せたからには 一切の責任は自分が負うからと言い切った人です。
それと 一度縁ができた人には ものすごい細やかな心遣いで
ずっと気遣う人でもあるんです。」
なるほどと納得のお話です。
でもそれより驚きは 長い間疑問に思っていて
聞きたかった回答の主が お隣にという事実なんです。
これで長年の疑問が解けました。
そしてすこしドライですが 落合さんもやはり同じだとか。
長く続けることのできる秘訣が共通してあることを
教えていただいた元旦のできごとでした。
すこしずつの疑問が解けていって
長く生かされる意味を感じさせていただいてます。
素敵なお正月を 輝く太陽と共に ありがとうございます。