イタリア村がなくなって 少し寂しい感じの名古屋港。
その名古屋港には水族館がある。
中日新聞に「マイルカのあかちゃんを見学する集い」が日に2回
あるというので娘と一緒に行った。
水族館があくと 子どもやカップルが次々に入館。
入り口には大きなイルカの水槽が3つ4つある。
壁の隅には看板があって「マイルカのあかちゃん見学」と
書いてある。第一回目は30分後。
並んだ めずらしく。(笑)
誰かのためだったらできる。
並んでいる間に 交代でイルカの水槽を見に行く。
「テレパシーを送ると寄ってくるよ。」と私。
「ほんと~??」と眉唾物の父を見る娘。
だがほんとに寄ってくるのを遠くでみて
娘は不思議な顔をしていた。
さて見学の時間がきて 整理の札が配られる。
先着30名さまは私たちのすぐ後ろで切れた。
「ごめんね・・・」と心で詫びる。
ぞろぞろと30人が 一般の客が入れない場所に移動する。
10人ずつがかわるがわるに飼育を観察する小さな部屋に入る。
私たちは最後のグループ。
待っている間に何を思ったか 係りのおじさんが
「ちょっと時間があるので ちょうどその娘さんがいるドアの
後ろの部屋について説明します。」と話し出す。
娘は恥ずかしそう。(笑)
そこは天皇陛下がみえたときに使った部屋で
中に入ると 座って硝子ごしにイルカを観察できるように
なっているとか うんぬんくんぬんと うんちくを述べられた。
笑が出て 一同が一気になごむ。
いよいよわたしたちの番が来た。
部屋に入ると あかちゃんの生態を記録する係りの
おねえさんがじっと記録をしている。
「アッ! あかちゃんがおっぱい飲んだ!」と子どもの歓声。
マイルカの赤ちゃんは お母さんイルカにくっついて
泳いで 何度もおっぱいに吸い付くが ほんの
一瞬で吸っては 泳ぎを繰り返す。
かわいい・・・・。
みんなが満足して 解散。
さてごはんだ!と 少し離れた別の館へと移動。
お魚を見ながらお食事ができるというお店へ行ってみたが
40分待ち。 あきらめて屋上のイルカショーのステージに向かう。
ラッキーなことにステージのまん前の場所に席をいただく。
会場は いっぱいの人。
私は還暦にして 初めてのイルカショーなのだ。
(自然のイルカの群れは ハワイ島で発見。これもラッキーだった。)
なんだかワクワク。
大きなプールでイルカさんたちの演技が始まる。
イルカが何故眼隠しされても ワッパを見つけてこれるのかがわかった時は
やっぱり人間でも物体でも 固有の振動数をもっていることが
理解できた。
輪くぐり ワッパ探し ジャンプや挨拶
集団で物凄いスピードで巨大なプールをあっという間に
周回し集団でジャンプするイルカさんたち 私は不覚にも
泣いてしまっていた。そしてほんとに感動していた。
きっと 大昔イルカだったんだと思う。(笑)
娘は幾度も見たことがあるらしく 感動する父がおかしいのか
「よかったね」と言うばかり。
イルカのあかちゃんを見て イルカショーを見たら
本日の予定は終了だ。
港のレストランで船と港をみながらランチした。
すぐ前に 老夫婦がランチしてた。
彼らはまったくの無音。
こちらはガチャガチャとナイフフォークの音。
「ごめんね」とまた詫びた。(笑)
帰宅しようと駐車場に出向くと
所在なさげな一人の女性が 立ったまま柱の陰でウロウロしてる。
たくさんの人々が行きかう場所に近づくことができずに
ただただ立って逡巡する女性。
「あの人 どうしたんだろう・・・・・。」と娘。
どうすることもできない。
悲しい現実を最後に見る。
私は複雑な気持ちで 水族館を後にした。
すべてはふしぎ
ー痴呆のお話ー
15年前に共に学んだKさんから 同窓会の顚末記が届いた。
もう 幾年もの間 かかさず届けられた報告の手紙。
今回三重のSさんが話し手になられて 自身の介護経験を
つぶさに語られたようだった。
今回の顚末記は お茶目な報告者Kさんだが 泣き虫でもある彼女が
きっと泣きながら綴ったんだと思われた。
それは読ませていただきながら 幾度もこちらの胸に
迫るものがあったから。
最後に話し手のSさんから皆さんにと配布されたものが
この「手紙」という文章だったらしい。(勝手に転載です)
我が家でも88歳のおじいさんが 少し同じようなボケがあるので
家の女性群にケチョンケチョンに言われている。
いつかは行く道の 私にとっては他人ごとではないので
いつも おじいさんを女性群からかばうようにしてはいる。
でもいつも一緒にいる時間がずっと続く女性群にとっては
イライラすることが多いのだろうと同情してしまう。
そうそう気長に 何度同じことを聞いても 「そうだね そうだったんだね」と
応えることができる自分でありたいと 反省させられる「手紙」だった。
おじいちゃん ありがとう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーケイタイさんは飛んだのかー
東京から戻って昨日は知人宅で 「バッカスの会」という
ともだちの集いで 素敵なお時間をいただいた。
その日のお昼 用事があって国立病院へ出向いたり
さまざまな用事をした。
集いに出かける前の夕刻 ケイタイがないことに
気づいた。 数年前東京での Xジャパンのトシさん関係の
コンサートでの客席で ケイタイをポロリとポケットから
落として すぐあとに気づいてみつけた経験以来のケイタイ騒動。
さて会社になく 家の中にもなく さては国立病院かなと
思って電話するが 落し物にもない。
なんとケイタイがないと言うことは気が落ち着かないこと
この上ないものだ。
心当たりを 現場に行って捜してみようと意を決して 玄関を出て
ふと下をみると 「あったーーー!!!」。
でもそこで落とすはずもない場所なのに。???
落としたとしたら ガチャン とか音がしてすぐに気づくはずなのに。
ほんとに不思議な気がして 長崎の「アンデルセン」での「時計」を
イメージしてしまったのです。(笑)
もし落としたのなら 一晩玄関にいたケイタイさんでした。
寒かったでしょう・・・・・。
もし飛んできてくれたとしても 「もっと大切にするように」と
ケイタイさんに言われているかのようでした。
ケイタイさんに感謝しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーピュアノニの驚きー
この頃 おなかがへこんで来て なんだか少しやせたような気がして
ケイタイ騒動のあと お風呂後計ったら 60.3キロ。(やせてる・・・)
やっぱり3キロ少し減っている。
急にやせるなんて またお試しだろうか・・・ なんて思ったりも
したのだが 思い返せば 「ピュアノニ」の成果かも。
朝50ミリリットルを一回で 1カ月が経過していた。
別に食欲は変化ないし 以前よりさらに元気だし・・
変な病気じゃないのだろうか と柄にもなくちょっと 不安。(笑)
だけど100-150近くあった血圧は 国立で83-132で
20近く下がったし。やっぱり「ピュアノニ」で 喜ぶべきことみたいと
思い直した。
今朝会社に来て ピュアノニ一杯で耳鳴りが極端に
小さくなった社員さんに質問してみた。
そしたら彼も 「体重が3キロ減って おなかがすくと
胃がキリキリしていたのまで なくなりました。」とのこと。
またもう一人のややメタ腹さんの社員さんも 4キロ
体重が減ったらしい。
やっぱり体を正常に戻してくれた ノニさんでした。
でも以前試したノニの時は なんともなかったんですから
本当に不思議なことです。
今 会社じゅう「ピュアノニ」ブームです。(笑)
静かに 生かせてくださるもの
音もなく いつもここにあるもの。
静かに 静かに 私たちを生かせて下さる
おおいなるもの。
語れば語るほど 遠くになるもの。
静かであれば また自我が限りなく 伏せてしまう。
世の中が 大混乱になった時
考えもつかぬ 新しい技術が現れて
私たちを 新しい時代へといざなう。
「産業革命」か「環業革命」かは知らないけれど
少なくとも ワットも石油も原子力も そばにいて
気持ちの良い人はいないだろう。
天の理にかなうものは いつも人の気持ちを
やさしくさせるもの。
言葉や 意識でもできるけれど
誰にでも どこででも共通の 大いなるもの。
私たちを 生かせて しずかにあるもの。
近づいている・・・・・。
それは 私たちそのもの。
いろんなことがあるけれど・・・
5月6日 名古屋駅新幹線の改札口 少し掲げた左手が
末娘の挙げた左手のひらに触れた。
何か恥ずかしくて 改札まで先に。
実は 泣いていたから・・・。
4人の子どものうち 巣立ち第一号が末娘。
東京へ。
母親と 特に慕っていた兄とが見送りをした。
それからもう2週間が過ぎようとしている。
この9月が挙式となる予定。
5月9日 大阪と名古屋を行ったり来たり 夜も
眠らずに 新しいCDの製作のために走ったプライナスの
「呼吸」が世の中に飛び出た。
59「こきゅう」の日だった。
宇宙ができてからずっと続く 吸うことと吐くこと。
吸引と放出。
そのことの不思議が唄になった。
経済の変動がはっきりして
ウイルスが世の中に現れた。
ウイルスもあなただから
そんなに嫌がらないでと願う。
この時に たくさんのご縁とできごとが
物凄い波で押しかけるかのよう。
時代は またシステムは大きく変化しようとしている。
大丈夫。
いつだって ちゃんと あります。(笑)
ウトウトと
夜半に眼が覚めることがある。
言葉が脳裏をかすめる
「文明の交差点」
今日は この言葉だった。
眠られず 少し座る。
少しのつもりが たくさんの時間を消し去る。
再び横になる。
目覚ましを ケイタイにセットしだして
10日くらい経つ。
やっぱり 性に合わなくて 鳴る前に
セットをはずしてしまう日々。
セットしなければいいのに・・・・。
ただ静かな時間に 昔のように座りたくなっている
自分がおかしい。
少しのアルコールと 瞑想は
血圧を20は下げる。
いかにも酸素が不足している この体。
どんなことも 完璧に「ある」のに。
あれこれ思うワレ。
これから始まるかもしれない 大いなる活動に
ワクワクしながらも ただ待つという「今」を
歯がゆく思っているワレ。
関わるすべてのいのちが イキイキと輝いて
ありますように。
人が人を非難することが ありませんように。
いのちを曇らせることが ありませんように。
・・・・・・・・・・・。
眠りは 朝を迎えていた。
最近のこと
めずらしく お人の話をお聞きしたり
クラシックコンサートを聴いたりしました。
お人とは ご存知の塩沼量潤様。
この方の話し方の中に
生き方がにじみ出ていて ありがたいことでした。
現在の師の目標は
「誰も見ていないところでも しかっりと生きること。」
だったでしょうか。
そしてクラシックは シューマンチクルスの小林五月さん。
たいがいは眠ってしまうクラシックなのですが
まったく眠気なし。
それどころか その集中に 同調するかの如くに
魂が震えました。
38分間も 楽譜なしで引き続けるお姿に
いのちの本質を見たような気がしました。
マミちゃんによれば 手が透けていたとか・・・。
そして今週の火曜日 富士のログハウスにプライナスと
ともに出かけ 日帰りしました。
ログハウスで聞いた レコーディングの生唄「呼吸(リズム)」に
またまた 震えていました。
こだまで たくさんお話を聴いてくださった もとプライナスの
Mさん ほとんどまったく眠らずに その夜も勤務です。
たった2時間の ログハウス滞在時間です。
なんという精神でしょうか。
しっかり感謝の握手で お別れしました。
富士山は 今回もまったく姿を見せませんでした。
はずかしいのでしょうか。(笑)
結婚
昭和34年というと 11歳 小学校5年生時
天皇 皇后両陛下が結婚された。
今日10日がその日。
なんてことなくテレビでニュースが流れていた。
会社に来て新聞を開くと 特集で幾ページにもわたって
両陛下のこれまでが カラー写真入りで解説されている。
その中の一枚 阪神大震災の現地見舞いの写真に
眼が行った。 美智子さんがバスの中で両こぶしを握り
お見送りの人々に 心の中で「ガンバッテ!」と叫んでいる写真だ。
迎えには天皇陛下。
この50年の お二人のたくさんの想いがなぜか
いっぺんに こちらの胸に来てしまった。
結婚 姓をもたない皇室の結婚は どんな重圧の中で
人生を送られるのだろうか。
いつまでも安寧でいらっしゃるようにと 祈りました。
千年後
「千年後には いったい何をしているでしょう。」
さらっと のお言葉に 私は「今」を思った。
今も千年後も おそらくは同じようなことを
しているのだろう。
それならば なおのこと「今」をしっかりと
生きなければと感じた。
千年後の未来から 今の私へのメッセージは
何だろう。
「また やっているの。?」(笑)