随想 伊路波村から~ほんとうは無料

水 空気 エネルギー


生かされることに 基本的に必要なものは
みな ほんとは無料。


キレイな水 きれいな空気 を得ようとすると有料。


エネルギーたるや インフラをがっちり握った人々が
50
年を超えて 供給してきた。


そして今 情報の世界では そのインフラを握った人々の
線や無線の供給で 通信費は莫大な額となった。


しかしこの通信費なるものも テレパシー能力が
人間に開花すれば 無料となる。(笑)


そして人間の目指す方向がかわれば なおそのことは加速する。
太陽や 空気や海や 供給してくださる自然から
エネルギーをいただければ これは無料。


もともと支配が生み出した現実は
消えてゆく姿だろうか。


土地持ちの家庭に生まれた人は
生まれたてから 生きる条件が整っている。


何も持たない家に生まれた人は
土地や家をもつことだけに人生の大半をかける。


持たなくても 維持することだけにと言ってもいいかもしれない。
働き続ける宿命を背負う。


そしてなるべく他人との関わりの少ない人生を選択する。
消耗を防ぐため。?


人間は一人では生きられない。
寄り添って 群れあって生きる動物だ。
そして人との接触によって 変化を生み出し
創造と実践の喜びを知る。


変化と感動は 生きる糧。


慈悲喜捨は生きるエネルギー。


そして 感謝はすべて。

随想 伊路波村から~いらないものを捨てていくと

あれはこうして
これはこうして
こんな時はこの方法で


あそこが悪かったら ここで治すことを教えて
これがおいしいし 健康にいいし
からだにいい洗剤とか 悪い洗剤とか
よい化粧品とか 悪い化粧品とか


玄米とか 肉食とか
養殖とか 天然とか


農薬とか無農薬とか
西洋医学とか東洋医学とか
スピリチュアルとかフィジカルとか


とにかく全部 ほかして
目の前のことを いつも喜んで やって


水と空気とすこしの食べ物と
雨の降らない家と
寒くない服とが あって


助け合う家族と
挨拶しあう 会社仲間と


なるべく高く買ってくださる お客様と(笑)
黙っていても一緒にいたい友達が少しいれば


そんなふうな人生が いいです。

随想 伊路波村から~悲しみのアンブレラ

ジンときました・・・・。
悲しみのアンブレラ 


雨が降り続いてる うだるような暑さも


あやふやのまま終わりにした 君と僕に似てるよ


生乾きで着た服は 湿っぽくて嫌だな


穏やかな顔して飲み込んだ 想いが今頃 溶け出した


雨音の中に潜んだ 君を辿る


今更 遅いけど


アジサイの花のように 雨の中にいても


綺麗な夢を咲かせられる 僕で在りたかったのになぁ


雨粒に紛れて 涙がこぼれ堕ちる


いつか君に 会えるといいな また


悲しみのアンブレラ 涙のせていくよ


この雨が止む頃に 僕の中の雨も


晴れ上がると信じて


水たまりを見つめてた 淋しさを映して


本当のことが言えたなら いつまでも君といたかった


雨雲が僕を包んで 夢を降らす


滴の中の君を求めていく


悲しみのアンブレラ 涙のせていくよ


傘の柄の君の名を 指でなぞりながら


潤む声で叫んだ


美しい空に架かる 虹が見える 幻じゃなく


でも 僕の心は 切なさで 濁ったまま


歩き出せずに 雨の中 悶えているよ


悲しみのアンブレラ 傘越しに見える空


悲しみのアンブレラ 涙のせていくよ


この雨が止む頃に 僕の中の雨も 晴れ上がって


君に また会えると 信じて

随想 伊路波村から~家族

会合へ出向く用事があって、
夕方タクシーに乗った。

運転手さんが関西弁なので、
「関西のかたですね。」と
話しかけた。

それからの10分間、この運転手さんは
まくしたてるわけでもなく、淡々と話してくださった。

「大震災にあったんですよ・・・。
会社勤めだったんですが。
家がペシャンコで・・・・。

何にもなくなって、てっとり早くお金を
稼ぐ方法といったら、タクシーが一番で、
それで名古屋に一家で出てきたんです。

もうすぐ娘が結婚するんです。
娘には苦労ばっかりかけて・・・。
でもいい子になってくれて。

この前、あんまりいい目させてあげられなくて
ごめんな、って言ったら、
(地震で大変だったけど、家族みんなで
いられる時間が増えてよかったよ。)
って言われました。

嬉しかったです。」

短い出逢いの運転手さんに

こんなにたくさん素敵なお話聞かせていただきました。

随想 伊路波村から〜暮れのつぶやき

 

暮れのつぶやき

最近気になったフレーズについて。
白峰聖鵬さん「人間は聞いた情報のような人間になる。」


これを聞いて「人間は食べたもののような人間になる」を
思い出しました。


21日は坂田さんと昼食忘年会。
数々の言葉が飛び出す。


「契約は信頼の証」と言う言葉を書いてきたある本人さん。
他人が言えば素晴らしい誉め言葉だけれど、
自分が言ったらただの自慢。(笑)


でもそのおはがきを受け取って、自分の慢心をいましめた
達人もいます。


「食育は教育に優る」
そうですね毎日朝礼で社訓や、立派なお話をしても
あんまり人間に変化はありません。


早起き会で素晴らしいフレーズを唱和するような
組織の大リーダーが毒になるようなものを作る会社の
社長だったり。(笑)


食べ物を変えたほうが早いとか。
だから教育より食育。


「急に儲けた人は急に落ちる。
あんまり儲けないほうがいい。
いいことを黙々と他人に尽くす人がいい。」


すこしなぐさめにはなります。


「恩人のことを忘れず、忘れない行為を
続けることが大切。」


森先生のお墓参りを、年の暮れの12月にかかさず
続ける坂田ご夫妻。
「森先生にお会いしなかったら、
今のわしはないんじゃけん。
墓は1-2分。
でも続けることが大事だから。」
偉大な方にしてこの心。
私たちの小ささを知ります。


「寒いですね、暑いですね」を口にだすような
人間は芯が通ってない。


「寒いですね」って声をかけられたら、
「厳しいですね」と答えなさい、は森信三先生。


わたくしだったら「すずしいですね」で人が笑う。


雪が降っています。

随想 伊路波村から〜いのちを継ぐ

急に映画に行きたくなった金曜日の夜、
一緒に行くはずだった奥さんは、
激しい娘と息子のやり取りを聞いていて、疲れたのか、
寝てしまっていた。


一人で出かけた、万博サテライト会場跡地にある
109映画館。
結構人が入っている。
若い人たちや、年配の人たちが混ざっている。
「男たちの大和」


竹内結子さんの旦那さんが主演級。
内田という名前だった。


実は四日市のビデオのUさんが「よかった!」って
メールを打ってみえたので、是非にと思っていた。
uさんの「よかった!」にははずれがないので。


僕は戦後っ子なので、戦争は知らない。
でも鹿児島の特攻基地だった知覧に行って、
ほとんど母を思って死んでいった特攻隊員の
遺書には、胸が詰まった。


「大和」は沖縄を救うべく出撃したのだが、
玉砕を全員が覚悟した戦いだった。


いのちをかけるような経験がないのだから、
もし自分だったらと思ってしまう。


母子、恋人、兄弟の関係が浮かび上がる。
いのちをかけるということ。
何のために死ぬのか。


ギリギリのライフボートのような疑似体験を思う。
やっぱり哀れさに心が揺れる。
いのちをつないだ息子が死んでいく。


その母もまた子を産むときは、誰でもいのちをかけたのだ。
映画の原作になった話の主人公の内田さんは
実は四日市の人だったとか。
ビデオのUさんが言っていた。


戦後生き残り、11人の親のない子を引き取って育てた人。


「戦死した人のために、唯一ワシができることだから。」
娘がお父さんの内田さんの言葉を告げる。


その翌日土曜日。
また映画に行くことになった。
今度は夕食つきの映画行き。


奥さんの希望の映画「単騎、千里を走る」


高倉健さん主演の日中合作映画。


「親より早く死なないことが、
何よりの親孝行」
なのに健さんの息子は親より先に逝ってしまう。


妻の死後、寡黙になって漁村に居ついた
健さんと、東京に住む息子との連絡は10年なかった。
父と息子の心の葛藤が、健さんの演技に溶けていく。


単純なストーリーに寡黙な健さんは無言で演技する。
その無言の姿が凄い。震える。


実はその日の午前に、末の娘の卒論の
発表会に出向いた。招待があったので。
行ってみると参加保護者は私ひとり。(笑)


視聴覚教室で娘の発表を加えて4人の方の
発表を聞いた。
若いのだけれど、えらいなあって感じる。
内容はともあれ、卒論をみんな英語で書くんだから、
それだけで尊敬します。


娘の発表は「父子関係が子どもの自己開示に及ぼす影響」
なかなか興味あった。


父の権威を縦軸に、会話の高低を横軸にしたゾーンでは、
もちろん高会話低権威のゾーンの父親に
子どもは自己開示をするのは、たてた仮説どうり。
それより娘は父親のロマンに尊敬心をもち、
息子は物質的成功にそれをより多くもつという
風説が気になった。


人は自分の逆を求めるものか。(笑)


健さんに戻って、
会話がまったくない父子が、
短い残された命の時間の中で、再会することもなく、
心が溶け合う。


それは時間やお金に関係なく、息子の願いを
かなえてやろうとして何もわからない中国へでかけた
父親の勇気と愛がきっかけとなった。


親よりは早く死なないように、そんなシナリオどうりで
あれば命を継ぐという流れは、自然のうちに果たせるのだろうか。
涙の量は「単騎、千里を走る」が多かった。
嗚咽しそうになった。


その場面はどこでしょう。(笑)
両方の映画、是非って薦めたい。


今朝月曜日、末の娘はカナダーメキシコ一ヶ月の旅に発った。


朝出勤時、「パパ、ハグハグ」って言った。

随想 伊路波村から〜巡る

映画「不都合な真実」を見た。

想いだした。
その昔になってしまった高木善之さんの
環境に関する多くのお話を拝聴する機会を
持った日々のこと。


それでも、次第に環境をウンヌンする
傲慢さにウンザリしてしまったじぶんの心を知った。


「不都合な真実」はまったくそのとおりなのだが、
その映画を配給し多くの人々に見せようとする
裏がわの意図に心がいってしまうのは何故なのだろう。

どのようなことも私達の選択の結果。
全人類の選択の結果だからと、善悪をこえた
必然に心を致す。

経済と環境は相反するのか。
人類が増えれば増えるほど、自然の環境は
変化し私達を生き難くする。

しかし人類の増加を止めることはできない。
大きな津波が幾十万の生命を奪った。
これから一挙に、何百何千万という生命が
消えるという必然を体験する、選択の人類の
一人になるのだろうか。

自然はそれ自体が自然生命と聞いた。
「巡る」、「回転する」がもし経済の本流だとしたら、
価値の大小は問題ではないのだろう。

ただ循環が大切なら、その循環の中で
私達が体験し意識することによって
得るエネルギーがどこかを加減するのかも知れない。

介護は何も生み出さないかのようで、
循環には貢献する。
医療も戦争も同じこと。
マイナスにみえても、循環には同じこと。
それだけどこかで建設があり。
健康を謳歌する人々のエネルギーが沸き立つ。

過去類を見ない人類の人口爆発と
CO2の増加。

故糸川博士は言った。
「未来の人類生存のためのヒントはゲーテのファウストにある。」

さて・・・・・・。
猿の惑星。
琵琶湖の沖積層。
奇跡の体験。
無限膨張の光よ。
全一の世界よ。

無、空よ。

 

随想 伊路波村から〜全体の責任は我にあり

もし何もかも捨てることができて、
それを欲するなら、山へ行けばいい。
人がいないところ、人と接しないところ。

でもすこし人間に未練があるなら、
良寛和尚のように、人の声がすこし聞こえる
山中がいい。(笑)

どこかの国が戦争をしかけてきても、
どんなに世の中で自殺者がでても、
あらゆる界で不正が行われようとも、
驚くような事件が起ころうとも知ることもなく、
そしてむろん人の世で感じる感動や、
肉体的な喜びや、悲しみさえも覚えることもなく、
世の中のあらゆることから遠く離れたらどうだろう。

少しいつもより暑いとか、寒いとか、
爆弾が落ちたら、誰かが落としたとか、
まず目の前のことをあれこれ思うのだろうか。

何もなく寿命を終えることができたのなら、
世の中の全部の責任を覚えることもなく、
すべてがなくなっていくのだろうか。
自分さえも・・・。

個という存在が体験し、あれこれ思い迷い、
喜び、悲しみ、嘆き、味わい、打ち震える人生。

人間とは何か、現象とは何かの問いに
答えるものはすくない。
まして実証となるとさらに。

どんなことが起きても忘れないでと叫ぶような、
数々の記憶がある。
それでもそんな記憶でさえ劇的な事象が
かき消そうとする。

人が死のうとするかもしれないのに、
心の揺れていない存在をながめる。
ただぼんやりとシーンを見つめる。

人生をとぼとぼと歩いている人間という動物。
本質を知る時が死の時なのだろうか。

他の方からのあたたかいメールに
感謝でいっぱいになった。

【世界一風変わりなセラピスト】
by Dr. Joe Vitale(ジョー・ヴィターレ)
www.mrfire.com
二年前に、ハワイに住む一人のセラピストの話を聞いた。

その人は触法精神障害者(訳注:刑法罰に問われたものの、精神障害を
理由に不起訴、減刑、あるいは無罪となった人のこと)の病棟に収容され
ていた人たち全員を、誰一人診察することなく癒したそうだ。

その心理学者は患者のカルテを読み、自分がどのようにしてその人の
病気を創りだしたのかを理解するために、自分の内側を見たのだそうだ。

彼が自分自身を改善するにつれて、患者も改善したという。
最初にこの話を聞いたとき、都市伝説だと思った。自分自身を癒すことに
よって他の誰かを癒すなんてことがどうやってできるだろう?

最高の自己改善の達人であったとしても、どうやって触法精神障害者を
癒すことができるだろう?
私には理解できなかった。論理的な話ではなかったので私は受け入れなかった。


しかし、一年後に同じ話をまた聞くことになった。

セラピストはホ・オポノポノと
いうハワイの癒しのプロセスを使ったのだという。初めて聞くものだったが、
忘れることができなかった。

もしその話が本当なら、私はもっと知らなければならなかった。
私は「完全な責任」とは、私の言動に対する責任は私にあるという意味だと
前々から理解していた。

その向こうのことは、自分の管理を離れていると。
ほとんどの人たちは完全な責任というものをそのように考えているのでは
ないかと思う。私たちは自分の行いに対して責任があるのであって、他の人
の行いに対してではない。

精神病の人々を癒したハワイのセラピストは、
私に完全な責任についての進化した新しい観点を教えてくれることになった。
彼の名はイハレアカラ ヒュー レン 博士。私たちは最初の電話でたぶん
一時間は話しただろう。

彼にセラピストとしての仕事の全貌を語ってくれるようお願いした。
彼はハワイ州立病院で4年間働いたことを話してくれた。

触法精神障害者を収容していた病棟は危険なところで、心理学者は月単位で
やめていき、職員はよく病欠の電話をかけてきて、やめていく人もいたそうだ。

人々がその病棟内を歩くときには、患者に攻撃されないように壁に背中を
くっつけて通ったらしい。

それは生活するにも働くにも訪ねるにも心地よい場所ではなかった。

レン博士は一度も患者を診なかったのだそうだ。彼は診療室を持って患者らの
ファイルに目を通すことには合意した。

それらのファイルを見ながら、彼は自分自身に働きかけた。彼が自分自身に
働きかけるにつれて、患者に癒しが起きはじめた。

「2、3月後には、以前は手足を縛られていた患者たちが、自由に歩くことを
許可されていました」と彼は言った。

「多量の投薬が必要だった人たちは、投薬をやめつつありました。そして
退院の見込みのなかった人たちが退院していったのです。」

私は畏敬の念に打たれた。
「それだけではありません」彼は続けた。

「職員が仕事に来ることを楽しみ始めたのです。常習的欠勤や退職は消え去り
ました。患者は退院していくし、職員全員が仕事に来るようになったので、最後
には必要以上の人数の職員が残りました。現在、その病棟は閉鎖されています。

ここで私は問わなければ気がすまなかった。

「それらの人々に変化をもたらすような何を、あなたは自分自身の中で行って
いたのですか?」

「私は彼らを創りだした自分の中の部分(パート)を癒していただけです」と彼は
言いました。

私には分からなかった。
レン博士は説明した。

あなたの人生への完全な責任とは、あなたの人生の中の全てが単にそれが
あなたの人生に存在しているというだけの理由で??あなたの責任なのだと。
文字どおりの意味で、全世界があなたの創造なのだと。

これはなかなか納得できるものではない。

自分の言動が自分の責任だということと、私の人生におけるあらゆる人の
言動の責任が私にあるというのは全く別の話ではないか。

それにもかかわらず、実際のところは、もしあなたが自分の人生の全責任を
負うならば、あなたが見たり、聞いたり、触れたり、その他どんな方法であれ、
あなたが経験する全てがあなたの責任なのだ。

それはあなたの人生の中にあるのだから。
これはつまり、テロリストの活動、大統領、経済??あなたが経験していて好き
ではないことを癒すのは、あなた次第だということである。

言ってみれば、それらは存在してはいないのだ。
あなたの内面からの投影である以外には。

問題は彼らに関するものではなく、あなたに関するものであり、それを変える
には、あなたはあなたを変えなくてはいけないのだ。

このことは把握するのも難しく、ましてやそれを受け入れて実際に生きることは
もっと難しいとわかっている。

非難のほうが、完全な責任よりもはるかに簡単である。

しかし、レン博士と話すにつれて私は気づき始めた。

彼にとっての癒し、そしてホオポノポノにおける癒しとは、あなた自身を愛する
ことなのだと。あなたが自分の人生を改善したければ、あなたは自分の人生を
癒さなければならない。

もしあなたが誰かを癒したければ、たとえそれが精神障害を持った犯罪者で
あってもあなたはそれを、自分自身を癒すことによって行うのだ。

どのようにして自分自身を癒すことに取り組んでいたのかと私はレン博士に
たずねた。

患者のカルテを見ていたときに、彼は具体的には何をしていたのだろう?
「私はただ『ごめんなさい(I’m sorry)』と『愛しています(I love you)』を何度
も何度も
言い続けていただけです」と彼は話した。
それだけ?
それだけ。
あなた自身を愛することが、あなた自身を好転させる最も素晴らしい方法であり

あなた自身を好転させるにつれて、あなたはあなたの世界を好転させるという
ことが判明した。

これがどのように機能するかの簡単な例をあげてみよう。

ある日、誰かが私を不愉快にさせるメールを送ってきた。過去そういう時には、
私は自分に感情的な反応を引き起こすものについてワークしたり、あるいは
意地悪なメッセージを送ってきた人に理を説こうとすることで処理したものだっ
た。

今回私はレン博士のメソッドを試すことにした。
私は「ごめんなさい」と「愛しています」を声に出さずに言い続けた。
特定の誰かに向かって言ったわけではなかった。私はただ愛の精神を呼び起こし

この外側の状況を創り出した自分の中を癒そうとしただけだった。

一時間もしないうちに同じ人からメールが来た。
彼はさっきのメッセージについて謝罪していた。私は謝ってもらうために外側に
何も働きかけをしていないことを覚えておいてほしい。
私は返事すら書いていなかったのだ。にもかかわらず、「愛しています」と言う
ことで、

私はどういうわけか彼を創り出していた自分の内側を癒すことができた。
その後、私はレン博士が開いたホ・オポノポノのワークショップに参加した。

彼は今では70歳で、優しい祖父のようなシャーマンと見なされていて、少々引き
こもりがちである。彼は私の著書『The Attractor Factor』をほめて くれた。

私が自分を向上させるにつれて、私の本の波動が上がり、人々が本を読むときに
皆それを感じるだろうと彼は語った。

要するに、私が向上すると、私の読者も向上するということだ。

すでに売られて外に出ている本についてはどうなんですか?と私はたずねた。

「それらの本は外にあるのではないよ。」彼が持つ神秘の知恵に私はとても驚い
た。
「未だにあなたの中にあるんだ」

つまり、外なんてないということだ。
この高度な技術を、それが値する深さとともに説明しようとしたら、本が一冊書
けるだろう。あえて言うなら、あなたがあなたの人生の中のどんなものでも改善した
いのなら、見るべき場所はただひとつ、あなたの中である、ということだ。

「あなたが見る時は、愛をもって見るように」

http://www.mypress.jp/v1/i/story.php?writer_id=jj00&story_id=90608

随想 伊路波村から〜50回忌、養父母健在の頃

世の中が凄い速度で変化している。
できごともちょうどピッタリのことが
多くて、時に驚かされる。

その昔興味のあったことがらに
まったく興味がなくなったり、
活動がいやになったり。

かといって静かにしていたいわけでもない。
まったく別のこと

養子の自分としては、山田家の親戚とは
他人なのだが、すでに老いた人々でも
お会いした時から気になる人もいる。

それは80歳になる養母の弟さんで、現在78歳と聞いた。
山田善兵衛さんの奥さん、すなわち養父の
お母さんの50回忌が11月も終わりの週にあった。


その日善兵衛さんゆかりの老いた人々が
山田家に集った。

気になる母の弟さんは現在奈良在住。
若くして早期退職を希望され、大手のメーカーの
工場長の役を退き、桑名の本家を去り、
奈良に建売住宅を購入し移り住んだのだった。

温厚にして毅然とした態度に、
いずれとも異なる、なんともいえないやさしさを
みていた。

娘たちはこの母の弟さんや奈良の家が大好き。
庭はすべて自然栽培の野菜でいっぱい。

弟さんは遠方からの法事出席だからと、前日から名古屋入り。
クラウンに宿を取り、温泉に一緒に入り、
父母や家内や子供たちと共に夕食をいただいた。

今は四国巡礼の旅が楽しみ。
もう2回目に入ったとか。
途中昔ばなしに胸をつまらせながらお話された。
「おかげであちこち母親が連れて行ってもろて、
喜んどったで・・・。」
山田家に嫁いだ姉によく旅に連れて行ってもらったことを
母親が喜んでいたというのだ。
お姉さんへの感謝でいっぱいだった。
うれし泣きの年齢になられたのだろうか。

後日、母にたずねた。
「たつやさんて、いつもあーやって泣かれるの。?」
「なに、あんなこと始めてやわ、ビックリしたわ・・・。」
いまだに桑名弁の母なのである。

翌日家で法事。
昼食には近くの料理屋さんに出かける。
おいしいお料理を、思い思いの話をしながら
いただいた後、85歳になる父のあいさつがあった。

「あの・・・、今日はよう来ていただいて、
今日の主役はみんなだな、みんなだ。」

短い挨拶の中に、来ていただいた方への感謝の
気持ちが溢れ出ていた。

あと3年後には善兵衛さんの50回忌を
迎える。
それまで元気にいてください。
おじいちゃん、おばあちゃん。

いつもおじいちゃんにこごとの多いおばあちゃんだが、
「あんた・・・、こないだの挨拶よかったな。」
だって。

ありがとう。

随想 伊路波村から〜伝える

文、手紙、ハガキは昔から
ことやものを伝える道具だった。

人間の意志を伝えることがこのような
道具のみで成り立っていた頃は実に
ゆったりとした時間が流れていたことだろう。

印刷ということが可能になって、
ものやことは一度に多くの人々に
知らせることができるようになった。
そして多くの人々の感化が進んで、
同一化のスピードは飛躍的に速くなった。


電話ができ、肉声で感情や意志を伝えることが
できるようになった。
距離はまさに0となった。

そしてラジオやテレビの発達が、
時間や空間の壁をこえさせた。
その一方大衆を管理誘導することも
統治する側にとっては容易になったのだ。

携帯電話が登場し、当時のツーカーセルラーの
代理店001の番号をいただいた時、
携帯の限りない発展を予測した。

それは時間や空間を越えて、まさしく個性に
一直線に行ける魅力が人間を大きな力で
引き寄せることだろうと予想したからであった。

しかしながら携帯の加速度的普及期に
、直感から突然に代理店を辞してしまった。
ただの直感からだった。
なんだか今はホッとしている。(笑)

そして現在はメールが全盛である。
メールは個性の尊重を考慮した
陰の肉声となった。

個性を無視したおしつけメールも多くなったことは
そのようなとても個人にとって嬉しいメールという
機能の影の部分なのだろうか。

ご縁ある人々とのコミュニケーションが
より多くそして早くできることを可能にした
ケイタイの機能。

人間は一人では生きられない。
暖かい心のぬくもりをどんな人でも
求めているのかも知れない。

「一通でも多く便りを書こう。
返事はなるべく出すことにしよう。」

偉人のことばは、メール時代に
どのように人々の心に響くのだろうか。