あらゆる体験の効果発現までの時間~その3 電界圧

さて今度は電気です。
電界とは電気が流れて圧力が空間に
かかった状態を言います。

地球には1.5V~2.0Vの電圧がかかっています。
測ればわかります。
地表と1Mくらいの地中の間の電圧です。
そこで生かされています。
ところが家の中とか、地表から離れた状態ですと
その電圧が微妙に異なります。
家の中はあらゆる電気製品で満たされていますから、
あらゆる場所の電界圧は異なります。

電界圧とはたとえば箱の左右に銅の板を張って
右と左に+と-の電極を付けて電気を流します。
1Mの間の50センチのところを測ったV/Mが
電界圧の単位です。

実はこの電圧がかかった状況の場所には圧力が
かかっていますのでそこの空間に向かってエネルギーが
引き込まれています。
エネルギーは見えません。

100Vの電圧ですと120V/M~240V/Mが表示されます。
モーターのそばですと磁石が増幅して2000V/Mにもなります。

すこしこむつかしいお話ですが、この電界圧も少し離れると
全くなくなります。
また電磁波も1Mも離れればすべてありません。

ここからです。
実はこの電界圧がまたは電波振動もですが物質を
活性化して「妙」にするのです。

エバートロンという機器は揚げ物の油にラジオ振動を
かけますと、不思議なことに野菜と肉と魚を同時に揚げても
互いの匂いが付かずにカラット上がります。(業務用)
また昔東京の築地の市場で魚の生をロサンゼルスに
空輸していましたが、あちらについてお寿司にしても
さっぱりの鮮度でした。
それをやはり電圧をかけた空間に一晩寝かして
空輸しますと、築地での味と変わらないことが確認されました。

電界圧はものを「妙」にしてエネルギーを引き込み
「0」に導きます。

その電界圧を利用したのがテネモスさんの「ピッコロ」や
「エアーキューブ」です。

圧の高い空間に向けて見えないエネルギーが注がれています。

そのピッコロで先輩で余命3か月とされた心臓の弱い
方がもう13年間も生かされています。

そしていよいよ光(太陽)の光子圧です。・・

あらゆる体験の効果発現までの時間~その2 微生物

微生物って何でしょう。
それはこの目にする世界のすべてのすべてです。
鉄でさえも高温で熱してそれを顕微鏡でみれば
無限とも言える形の微生物がうごめいています。

もっともよく分かるのは土の中や水の中に
いる微生物。
特に土の中の微生物が活発でやっぱり「妙」で
活発だと土の「土圧」が高くなります。
するとその微生物圧である「土圧」が周りから
エネルギーを引き込みそのエネルギーが畑や水田の
野菜、コメ、花などを大きくしていくのです。

肥料や水や光は土の微生物を活発にする手段ですね。
もちろん空気もですが。

そして人体には絶対的に必要だとされる「酵素」も
微生物。酵素は赤ちゃんの時は十分に体が創り出しますので
赤ちゃんは病気にならない。
ところが年を経ると70歳代ではもう必要酵素の30%を
切るくらいしか人体では作れません。
だから外から酵素を取り入れるしかない。
取り切れないと消化酵素しかせいぜいないので、
代謝酵素はない状態。だから老人はますます細胞が
衰えていくようですね。

酵素は生食からがいい。
以前からそう聞いていました。

生前に飯島さんは「寿司は最高のサプリメント」と
言ってました。
何故って? 魚の生のたんぱく質と脂質そして酵素、
炭水化物のお米と三大栄養素をばっちり含んだ食べ物だから。

酵素は触媒です。ですから酵素自体は変化するものでなく
消化や代謝を作用させるために欠かせないものですから。

アグアは300種類以上の酵素です。
それも生体酵素です。
その多くの種類の酵素のどれがその人に必要かは
その人の肉体の状態によりますが、必要のない酵素は
たんぱく質とともに体外に流されますのでたくさんとっても
まったく問題がありません。

老化をふせぐ酵素は人体に必須です。

ある本によると、とらえた鯨の四つの胃の中の
始めの胃の中に35匹のオットセイがあった。
どうやって4つの胃を順にオットセイは消化させるのだろうと
科学者は首をひねっていたんですが、観察していくと
オットセイはみずから消化酵素を作り出し次々と
4つの胃を移動していったのです。

生はすごいんですね!

76歳になる自分ですが、飯島さんと知り合ってから
しばらくたってテネモスさんがつくった「アグア」を
もう13年以上水や飲み物お酒などにいれて飲んでいます。
他の同年齢の方々がびっくりするような動きができるのも
もしかして「アグア」という生体酵素のお陰かも知れません。

まずお酒を深酒をしてもへっちゃら。

そしてボールに水をためて農薬いっぱいのお野菜を
キャップ二杯ほどの「アグア」で15分以上つければ
自然においしい野菜に変化してきます。

お酒やジュース、コーヒーなどの味はビックリ変化します。

実は酵素は液体を「妙」にします。
そしてその「妙」な状態にエネルギーが周りから
引き込まれ、物質を「ゼロ」に導くんですね。

水、空気、微生物と来ました。

次は電界圧です。・・

あらゆる体験の効果発現までの時間~その1 水と空気

自分でする幸福への道は様々です。
人は信じることをやってみる。
そしてその体験からつかんだことを
まわりのご縁の方に伝える。
それが社会の幸福へとつながれば嬉しいことですね。

なんでも話だけでなくとりあえず自分で
やってみること。
それが確信への道ですね。

方法はともかく、初めにとりあえず現在という時に
何の心配もなくいつも心からの喜びに輝いている方は
きっとその結果である肉体にも、その動きにも
何の狂いもなくいつもゼロなんでしょう。

肉体が必要としている


空気
微生物(酵素)
電界
光(太陽)
意識

食べ物
そして運動

そんなことをもう30年間近く学んできました。

そして目の前のことはみんなゼロの中庸の瞬間だと
認識しています。
偏りがもたらす肉体や精神の不調はどうしたら
いいんだろうとも感じ、さまざまな情報を試してきました。

まず水や空気は「妙」(みょう)すなわち
細かい状態であればいいのでしょう。
もちろんいろんな不純物は肉体に変化をもたらしますが
「妙」であればそれらの不純物も「ゼロ」になって、
肉体に影響は出ないことも知りました。

細かい状態であれば常に周りからエネルギーを引き込む
状態になっていて、そのエネルギーが「ゼロ」に
導いてくれますから。
汚れた洗濯物は「ゼロ」でなく偏っていますが、
普通はそれを洗剤を入れた水で洗います。
潜在は水を細かくするもので「妙」に水を
導くものです。ですからその水が「妙」であれば
洗剤はいらなくて「妙」な水のみで汚れは流されていくのです。

水や空気は細かい状態であれば常にエネルギーを
吸引して「ゼロ」にしてくれる。
水、空気という二つの重要な要素がそのことで解決されます。

空気が「妙」であれば偏った「ニオイ」も
なくなるのはそのことで納得できます。

そして水は汚れさえも「妙」であれば
無害に変換されますね。

空気と水。
老人の老臭は三年で消えました。

そして空気振動圧は有害な食品を無害に導きます。
ブクブクと水の中で野菜や缶詰や冷凍食品を
15分間するだけです。
さらに13年間保管した玄米も2昼夜のブクブクで
蘇ります。
全部実験で確かめています。

さわやかな空間は3時間もいれば人を
幸せな気持ちにさせます。
そして水は毎日のこと、飲み水も入浴も洗濯も
台所もすべては水が必要。
それが細かいのですべてにすぐに効果が出てまいります。

そして次は微生物です・・・

再録 出会った人々 1~坂田道信先生と森信三先生の三賢弟

1995年ですから28年前、初めて故坂田道信先生との
ご縁を賜りました。

幾度もチャンスがあったのにいずれの講演会も
都合が合わずにいました。
そして訪れたその日。
坂田先生は講演の演題の上に正座されます。
それだけでもドット来ます。

開口一番
「人生とは心をきれいにすることです!」と
ものすごく甲高い、魂から絞り出すようなお声で
聞く者に語りかけます。

それだけで聴衆は涙するのです。
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幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その3

まあちゃんの大冒険が終わってその後幾度かは
田舎を訪問します。

その後何年も訪問できない時期が続いたある日のこと。

まあちゃんは29歳になっていて、新しく会社を興したばかり。
会社に兄から電話。
「羽根のおばあちゃんがどうもダメかも」

その翌日すぐに田舎へ車で出かけます。

怖いおばあちゃんは自宅のお部屋で横になっていました。
もうそんなに長くはないことを知りました。
おばあちゃんは自分を見て「まぼか」と短くひとこと。 “幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その3” の続きを読む

幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その2

両親と兄姉の4人はこの青山町羽根の森本家の
実家に疎開しました。

疎開先には住む家はなく一家は小さな川の河川敷にある
農機具小屋で暮らすことになります。

その農機具小屋で戦後3年の年の昭和23年に
まあちゃんは生れ落ちました。

今はその小屋はありません。

さて旅の二日目です。

いよいよ森本家の本家訪問です。
まあちゃんの顔見せ。

本家は小さな川の右岸にあります。
森本家です。

ちいさな訪問者は大歓迎されます。 “幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その2” の続きを読む

幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その1

令和4年ですから二年前。
深いご縁の肉親の全てが肉体を脱ぎました。

最後は関東立川に住まいする当時71歳の妹。
両親、兄弟姉妹の5人はすべて他界しています。
一番長く生かされたのが兄の76歳。

その同じ年齢に今年令和6年になる自分です。

この頃、幼い頃のいろんなことが思い出として
蘇ってまいります。

小学三年生になった夏休みに森本家(今は養子で山田です)の
実家がある三重県名賀郡青山町羽根で一か月を過ごす予定の
旅が与えられました。

「まあちゃんいいか、近鉄に乗って中川という駅で
乗り換えて、阿呆(あお)で降りるんだよ。
降りたらおじさんが待っててくれるから」

そう母に言われて家を出ます。
すべて母が新調してくださったいでたちでです。

真っ白なズック靴。
茶色の半ズボン。
そしてシャツは黄色の赤銅鈴之助のたくさんのひと模様の
ほこらしい姿でさっそうと出かけます。

赤銅鈴之助はその頃流行っていた剣士の漫画です。
母は父の実家にみすぼらしい子どものすがたを
見せたくはなかったんでしょう。
随分無理したと思います。 “幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その1” の続きを読む