神の使者から奇跡の道へ その45~あなたがそれを不当な贈り物とみなしている・・・

「あなたがそれを不当な贈り物とみなしている
間は、それはあなたが「赦そう」としている
罪悪を支持するものとならざるを得ない。
正当でない赦しは攻撃である」

ようするに「赦したるわーー」とやけになって
いること。?
赦したるわーー(名古屋弁)は不当だなって
心の中に残っていることですね。
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神の使者から奇跡の道へ その46~実相世界でさえ、それが持つ目的は・・・

「実相世界でさえ、それが持つ目的は依然として
創造と永遠には及ばないものである」

目的は癒しと救済と聞きました。
いわば「分離感をなくすこと」です。

それでもなお創造ということ、すなわち
「愛」の創造ですが、それと「永遠」とには
遠く及ばないとはいかなることでしょうか。

実相世界は言葉という物質では表現できません。

すべてを離れ、忘れ、捨て去ったあとに
訪れるもの。
永遠にして不変、そして無限なるもの。

そして言葉にできないもの。

。。

「実相世界でさえ、それが持つ目的は依然として
創造と永遠には及ばないものである」

神の使者から奇跡の道へ その47~赦しとは、もとより起ってはいないことを・・・

「赦しとは、もとより起ってはいないことを
知覚しないことにより、実在しないものに対して
適切に応答するようにと、あなたに求めるだけ」

もとより起っていないとは、起っていると
思っている普通な考えでは無理無理ですね。

まずこれは起っていないことだと心から
思えるのかを試されますね。
それができないと、やはりこれは、この知覚は
真実だと普通に思います。
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「現成公案2」2021.3.8  自分で自分を自分する

http://tenmei999.blogspot.com/2021/03/2264202138.html

アメーバ式生活法

(本文)

これにところあり、みち通達せるによりて、しらるるきはのしるからざるは、このしることの、仏法の究盡(きうじん)と同生し、同参するゆゑにしかあるなり。得処かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならふことなかれ。

(講義)

『これにところあり、みち通達せる』というのは、いのちが『行』と『法』というあり方を実現している時ということです。つまり、おシャカさまのように人生を歩めている時、ということです。

その時、その人にはどんな風景が立ち現われているのか。パーッと視界が広がって、何もかも見通しになって、計算通り行動できるようになるのでしょうか。道元さんはそうならないとおっしゃるわけです。

『しらるるきはのしるからざる』ようになると書いておられます。これは、『知らるる極きわの著しるからざる(ハッキリしない)』という意味で、つまり、何にも分からん、何にも見えない、聞こえない、ただ次々やってくる出会いに反応しているだけだというのです。

ここを、私は『アメーバ式生活法』と名づけています。アメーバには眼もないし、耳もないし、頭もありませんね。ただ触覚だけがあって、体に触れてきたものに対して反応して生きてゆくだけですね。

つまり、『法』と『行』になり切れるようになれば、頭や眼や耳をフル回転させて、すべてをまず見通せるようになって、パチパチそろばんをはじいてから行動を決定する、なんていう必要はなくなるのです。

ただ、わがいのちに触れてきたモノゴトだけを処理してゆけばいいんですね。
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神の使者から奇跡の道へ その48~特別な愛を伴う関係が・・・

「特別な愛を伴う関係が自分に救済を
もたらすと信じることが、分離が救済を
もたらす信念に他ならない」

人生の中で様々なお人に会いますね。

異性に心惹かれたり、同性でも妙に
気が合って、何日一緒にいても
飽きることがない人に会います。
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神の使者から奇跡の道へ その49~あなたは自ら見るものの中にあなた・・

「あなたは自ら見るものの中にあなた自身を見るだけ。
彼が癒されるとき、あなたは罪悪感から解放される。
彼の外観はあなたの目に映るあなた自身の外観だから。」

いろんな方にお会いするとき、いろんな
感慨があるかもしれませんね。
その方はどんな方。?
ちょっと嫌な奴。?
優しい人。?
厳しいなあ。
イライラしてるなあ。
恐い・・・。
・・・・・

みんな自分だなんて。(笑)

心が沈んでいるとき。
とても景色をめでる余裕なく、
それは焦っているときも、
イライラしているときもです。
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神の使者から奇跡の道へ その50~私が兄弟に与える答えは、私が・・・

「私が兄弟に与える答えは、私が求めているもの。
そして私が彼について学ぶことは私が自分自身に
ついて学ぶこと。」

何をとっても自分自身だということですね。

仙台のOさんの天命塾のキャッチフレーズは
「自分が自分で自分する」ですから
Oさんはすでにご存じの方ということですね。

「あなたが呼べば私が答える。
それは私が私に答えるのである。」

内山興正和尚様の言葉で、これも言い得ています。
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神の使者から奇跡の道へ その51~特別な愛を知らない神とは違う・・

「特別な愛を知らない神とは違う愛し方を
しようとするなら、どうしてあなたに愛を
理解することができるだろう」

人間の真実は「愛」そのものだとすると、
それは神という存在ともちろん共有していますね。

その「神」という存在は特別な愛を知らない。
人間が特別な愛を感じている間は、本当の愛を
しらないということになります。

なんだか悲しそうですが、まず悲しそうと
思ってしまううちは自我人間ということ
なのでしょうか。
ますますガックリの自我人間です。
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