つれづれ 令和三年 初春

初春の一月中旬のある日、
猿の惑星のようなこの国を歩いて、
東京に行きました。

テネモスさんの皆さんは明るい!。
大丈夫です。
「柊」(ひいらぎ)さんのお料理は相変わらず絶品です。
ラーメン、中華も作るとか。

夜は関東ではナンバーワンだと感じさせる
フランス料理のパリセチエムさんで宴会。
幸せ過ぎます。
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神の使者から奇跡の道へ その84~知覚とは、自分自身が・・

「知覚とは、自分自身がなりたいものや、
住みたい世界や、自分の心が充足し満足すると
思える状態についての選択」

結局、自分の心が望んでいる状態が今。?
え~~??!!
こんないやなことも。?

なのですが、そのいやなこと、いやな出会いも
実は自分のすがた映してくれる貴重な贈り物
なんでしょうか。?

ところが逆に自分が見ている世界から何らかの
満足を得られるという希望を、依然として
抱き続けているのなら、大変に奇妙なことでもあります。

何故なら、知覚の基本的な法則は、
「人は自分が見るものを喜ぶ。
人は喜ぶために見るからである。」

見るものに対して、苦しみと罪が喜びをもたらして
くれるとあなたが信じている間は、
あなたが見るべくそこに存在し続けるようです。

「あなたが神のための手段である。
あなたは神から分離してはおらず、
神の生命と別の生命をもっているのでもない。」

神我顕現の道が人生。?

「知覚とは、自分自身がなりたいものや、
住みたい世界や、自分の心が充足し満足すると
思える状態についての選択」

神の使者から奇跡の道へ その85~毎日毎分、刻一刻、あなたは・・

「毎日毎分、刻一刻、あなたは恐怖の時間が
愛の座を奪ったあの一瞬を再び生きている
だけである」

飯島さんはかって「みんな死んでいるようなものです」
といいながら「死はない」とも言われました。

死んでいるように生きているって
どんなことでしょうか。
「愛」の座を奪ったあの一瞬・・・。
そうですね「分離」したあの一瞬かも。
そして人生上で常に「分離」しがちな自分。
だから分離しているかぎりは真に生きているとは
いえず、「死んでいるようなもの」かもしれません。
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神の使者から奇跡の道へ その86~結果と原因は必ず一つの・・

「結果と原因は必ず一つのものとして訪れる。
時間とは肉体と同じように中庸(ニュートラル)なもの。」

結果と原因が一つならば、結果が消え去るとき
原因も消えますね。
よく質問がありますが、質問と答えも一つ。
原因と結果です。
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神の使者から奇跡の道へ その87~彼にあなたが癒されたことを・・

「彼にあなたが癒されたことを示しなさい。
そうすれば彼はこれ以上苦しむことを
承諾しなくなる。」

赦してあげるは!では心に相手に対する
想念が残ったまま。
相手とともに赦され赦すとき、共に癒されるようです。
相手というものも初めからなかったことです。
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神の使者から奇跡の道へ その88~虚無を絵に描けないのと同じように・・

「虚無を絵に描けないのと同じように、
全体性を表す象徴はない。」

神(エネルギー、生命、意識)は無形にして無双のようですので、
形がなく、二つとない。一つ。
目に見えるもの、聞こえるもの、そして匂うもの
すべては物質で結果ですから、言葉もまたそうですね。
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神の使者から奇跡の道へ その89~この世界の中で問われる質問は・・・

「この世界の中で問われる質問はすべて、
ものの見方に他ならず、質問が問われているのではない。」

憎しみ(分離)の中で問われる質問には、
答えることができませんね。
質問自体がすでに答えだからですね。
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神の使者から奇跡の道へ その90~癒すための唯一の方法は・・

「癒すための唯一の方法は、癒されることである。」

癒すと癒されることは一体ということ。?

この世界では、癒す癒されるは何か客体が
ないとできませんね。
そのためにたくさんの問題が毎日出現です。
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