神は必要というものを知らないので、助けることは
しないのでしょう。それでも、神の子が自分の空想が真実だと
信じている間は、神の子のためにすべての助け主たちを
創造するようです。
あなたを家まで連れ帰ってくれる、彼らのことを
神に感謝ですね。
イエスという名は、一人の人間でありますから、
自分のすべての兄弟たちのうちにキリストの顔を
見て、神を思い出したものの名前でしょうか。
イエスはキリストでしょうか。
もちろんそうですね。
そしてあなたもそうです。
イエスは聖霊の顕現。
再生大和 霞の中にて活動する
ひとたびこの旅が始まればその終わりは確実だと
言われています。
助けを必要としている者はみな、自分自身を
攻撃しています。
他者のために祈る必要がなぜあるのでしょうか。
それはあなたが自分の罪悪感(分離感)の投影を
兄弟から取り去るため、および、自分を傷つけているのは
彼ではないということを認識できるようになるための
手段にすぎませんね。
ものごとや地位や人間の愛や、その他あらゆる種類の
外的な「贈り物」を求める祈りは、常に、牢番を
仕立て上げて罪悪感(分離感)から隠れるために
作り出されているようですね。
あなたとわたしは連れ立って進みます。
私はあなたがいなければ進むことができません。
あなたはわたしの一部だからです。
祈りは、真の謙遜への道。
謙遜は平安を運んできます。
この一か月間飯島さんの22年間の
お言葉から、記述を重ねてまいりました。
「Iさん懐古」を総合転載させていただきました。
ここまで自己学習である「奇跡講座」の中の
数々の言葉や、体験の中から感じられた言葉を
交えて、「奇跡の道」について書かせていただきました。
あまりに単純なことなのに、このように134項もに
わたって記述が続いたことに驚きです。
人生での数々の御縁が、自らが生まれ出たわけを
伝えているようです。
どんなささいな出会いでも、出会ったことは意味があって、
その時に感じた多くの「分離感」をすべてなくすように、
「赦し」
の機会を出会いによって与えられるようです。
「赦し」がとても困難と思えることがらや、
お人との御縁であっても、そのことやお人への
「赦し」が困難であればあるほど、またそれが
大きければ大きいほど、赦し赦された時に、
「奇跡の道」はめざましく広がりを見せていきます。
「やってみること」しかご進言できる言葉はありません。
しかもその「赦し」には大きさの違いはありません。
どんなことも、小さなことも、大きなことも
一つ残らずするしか道は開けません。
難しさの差は関係ないようです。
一つ残らずですから。
ほんとうに、最後に、
「宇宙があなたの解放を待っています。
それは宇宙全体の解放だからです。
宇宙とあなた自身に対して、親切でありますように」
ありがとうございます
この9月から言葉を残して意識の延長を!
という内側からの言葉に突き動かされて
毎日毎日湧き上がるままに書き留めさせていただく
作業が続いています。
全部が自分で、自分は実は宇宙だとしたら、
どこからの言葉も意識もそれは
宇宙から、全体からとなります。
“Iさん懐古 その1~相手の意識圧を上げることこそ仕事” の続きを読む
先日そのことをある女性に告げましたら「?」で
ポカンとしてました。
そうです子供を宿し、大変な思いでこの世に
生み出したのは「私!!」と叫ばれそうですね。
でももしそうだとしたらこの「宇宙」は永続しないのでしょう。
変化する物質が物質によって生み出されたのなら
変化しない「空」が物質の原因ではなくなり
変化するものの「物質」がすべてとなりますので、
「原因」がなくなり「宇宙」は永続しません。
聖書ではイブは「誕生」の苦しみを
アダムは「労働」の苦しみを与えられました。
楽園からの追放です。
「楽園」ではあなたと私がない世界でした。
あなたと私が分離したことから、この幻想の
世界が始まりました。
古事記では天之御中主神(あめのみなかぬし)の出現が
最初でもちろん分離のない一人神。
その後高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)が現れ
宇宙を創成していきます。
造化三神と呼ばれます。
分離しそこから幻想の世界へ同じように入っていきます。
古事記と聖書はよく似ています。
もし子供が聖書での「父の子」でなく、女性が生んだ母の子で
あったのなら、幻想を実相(真実)ととらえたことになり
相変わらず自我の虜になったままです。
生命は無限にして永遠であり、形がなく一つなので
その原因こそが子供なのでしょう。
すなわち形がない生命が私たちの本質です。
その本質を母が産むことはないようです。
一つの生命を生かされる私たち。
それを身に染みて感じる「啓示」は、幻想のこの世には
存在しない純粋な喜びの体験でしょうか。
生命である霊は「所有すること」と「在ること」の
相違を知りません。
生命にとっては得るということは無意味であり、
与えることがすべて。
「子供は女性が産まない」