Iさん懐古 その3~魂といのちは異なる

そのあとでこのような解説でした。

全我ー生命体ー完全なフリーエネルギー

個我ー魂

霊魂魄(れいこんぱく)とよく言われます。
三つ。

霊はエネルギー。生命体。
魂は心みたいなもの。
魄は肉体。

魂魄といったらもう個我の世界観です。
幻想世界です。

全我ー生命体ーフリーエネルギーが霊の世界で
実相世界です。

だから個我は自我の世界です。
これを手放せず、自我がすべてと信じることが
ほとんどです。
実相の世界観などあるはずがないと
自我が思わせるできごとのオンパレードが
幻想世界ですから。

もちろん時間は自我の概念でしょうか。
そして自我はほんとうは死ぬことはなく
一度も生きれなかっただけでしょうか。
自我の大好きな恐れ、それは未来という時間にあります。

「赦し」は自我と実相の中に立って自我が
なかったことにします。
「赦し」の連続が「自我」のもっとも恐れるものとなります。

魂といのちは異なる。

「あなたがもし兄弟の誰かを見捨てるなら
あなた自身と神を見捨てることになる」

Iさん懐古 その4~生まれつき全員が病気

生まれたとたんに病気だなんて。

病気だから生まれたとも言えますね。
病んだ「意識」を正気に戻すことが、人生かも知れません。

ところが2歳くらいまでは結構無垢で
「無垢なるものが理解していることは真理である」

となるとこの2歳くらいから病気になっていくのでしょうか。
そして自我という厄介なものがくっついて、
病気と正気のバトルかも。

そして「部分的に無垢なるものは、時として愚かになりやすい」
ようですので少し無垢であることもやっかいです。

「一生健康な人は、一生意識の変化がなかった人」
生まれつき全員が病気、の後のIさんの言葉は、
すべての病は心の病だと言っているようなものです。

もし一生病気がなかったら意識が少しも変化しなかったということ。

病気は気づきの大切なギフトでしょうか。

「休息は眠ることからではなく
目覚めることからもたらされる」

Iさん懐古 その5~イエスは死のないことを知っていた

今年2月一週間の入院を体験しました。

まだコロナが本格化する前です。
丁度2月の末です。
退院後にお医者様に指定された健診の
外来の日のお約束を「コロナ」を理由に
解消しました。(笑)

「コロナ」は味方になってくれました。
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Iさん懐古 その7~意識のみは天に持って還ることができる

もちろん形のある物質は持って還ることなど
出来ませんので、意識はどんなかたちで持って
還ってから存在するのでしょうか。
(もって還るところは 今ここですが)

形のある物質のこの世と、形のないエネルギーの
世はともにあることができるのでしょうか。
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Iさん懐古 その8~たった一つのいのち

「たった一つのいのち。人間は神の化身。」

命がひとつなんてありえない。!

人間が神の化身だなんて!信じられない。

というお声がかかりそうです。

その確証は体験によることしかありませんが、
Iさんは幾度もその体験をなさったようなので
確信の言葉なのでしょう。
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父親のいない家

記憶にあるうちには一度も父親と一つ屋根の下で
眠ったことのない体験の人生です。

家には学校から戻るともちろん誰もいない。
三歳下の妹がいたりはしますが、記憶にないです。

だからなんでも自分でやる癖がついて、
その頃共同炊事場の水道があるところで
お米をかしたり、洗濯板で洗濯をしたり、
また洗濯物を干したりしました。
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