「光景のなかに見えるもの 」  スガリサ(GREE内ブログ)

「光景のなかに見えるもの」
視界がキラキラする。
たまにあるのだ。
信号待ちの車の窓から見える洗濯物。
きいろ、あか、みどり、みどり、きいろ、しろ。
タオルと作業着が交互に吊るされ、風になびいている。

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「おばあちゃん」  スガリサの日記 GREE内

おばあちゃん
2005-07-28 20:31:32
昨夜、おばあちゃんの夢を見た。
痩せていて、すらりと背の高いおばあちゃんの横で
あたしは並んで歩いていた。
あたしより4歳年上のいとこの真紀ちゃんが前を歩いてる。
真紀ちゃんのおばさんもいる。
みんなでどこかへ向かっているみたい。
おじいちゃんのところらしかった。

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インターネットテレビ

インターネットテレビって知ってますか。?
インターネットで動画を見ることができる人なら
だれでも、その番組の存在さえ知っていれば
見ることができます。
ただ大きなステージとか、試合とかは
有料のものもあります。
世界のはてからでも、道具とインフラさえあれば、
見ることができるんです。

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21世紀の展望と生命科学への期待 糸川&藤原

『LA INTERNATIONAL』 2000.03月号
21世紀の展望と生命科学への期待
糸川英夫
藤原肇
わが国宇宙科学の先駆者、糸川英夫博士が亡くなって、丁度一周年になる。亡くなる直前に偶然、この対談が催された。慎んで哀悼の意を捧げると共に氏の真価を改めて評価したいと思う。
世代の交替と世紀末の意味
藤原:世紀末という言葉の意味に対して、先生はどうお考えになっていますか。
糸川:なぜ、世紀の終わりになると世紀末思想が出てくるかと言えば、一世紀は百年という長さを持つ時間であり、地球が太陽の周りを百回ほど回転して、その間に世の中がすっかり変わってしまうことになる。人間がオギャーと生まれて死ぬまでの一生が、ほぼ50年から60年だから百年で二世代が交替し、二世代までは価値観がほぼ共通だけど、孫の代になると価値観が完全に違ってしまうのです。

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