「虐殺神話」 奥の院通信 R3 5/22

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ナチスドイツのユダヤ人虐殺を告発したものは多いが、その最初の一人が、クルト・ゲルンシュタインだったことは昨日の通信で書いた。彼は「自分は4000万人もの強制収容所の被拘留者が、ガス室で殺されたことを知っている」と語たり、その後実際に覚え書きを作成すると、その数はなぜか2500万人に減らされ、更にドイツ終戦の前日に書いた覚え書きでは、ニュールンベルグ裁判で確定する600万人に近づけている。

 ゲルンシュタインの告発は当時から相手にされていなかったが、奇妙なことに、終戦から10年も経った1955年になって、西ドイツ政府が学校でこれを配布しているのである。ところが、ドイツ人がユダヤ人を、熟慮の末に殺害せんとする意図を持っていたという証拠は全く無いし、これを実行したという証拠に出来るような文書は、一片もこの世には見つかっていない。

 ポリアコフとウルフが書いた『第三帝国とユダヤ人―文献と論文』(ベルリン、1955年)を見ても、両著者は、せいぜいヘットル、オーレンドルフ、ウィスリスニーなどが戦後に書いた文書しか証拠として集められなかった。

 『第三帝国とユダヤ人―文献と論文』などには「完全絶滅計画の立案に携わった3・4人は皆死んだので確認は出来ないし、文書は残っていない」と書かれる。焼かれたり、紛失したりせずに、残っている当時の文書は山とある。しかし、そのどれにも民族絶滅への言及は一切ない。このためにポリアコフやライトリンガーの如き作家は、「絶滅計画の命令は一般に文書ではなく、口頭で下されたのだ」という。

 更に、マンヴェルとフランクル(『ハインリッヒ・ヒムラー』ロンドン、1965年)によれば、大量虐殺政策は、ヒットラーとヒムラーの間の「秘密討議」のあとに “とり決められたように見える” と言っている。もちろん二人はそれを証明できていない。一方、ライトリンガーとポリアコフの二人は、同じく「口頭」命令を更に先へと推量して行き、「ヒットラーとヒムラーの秘密討議には、他に誰一人同席することが許されず、しかも討議の記録は残されなかった」と結論づけている。

 要するに、600万人虐殺神話を最初に造り、その説明、証明はしない。事実を積み上げて結論を出すのではなく、先に物語を作ったのである。その説明のためには、ゲルンシュタインのような狂人の戯言すら利用し、学校の生徒に配布した。他に信頼できそうな証人も文書もないので、こんな怪しげな人物の覚え書きでも、利用したに過ぎない。

 また、ヒットラーの虐殺命令などは、全て口頭でなされ、記録は残されていないとする。会議の記事録なども作成されなかったとする。こうすればどんな嘘物語も作れるし、それを証明する必要も無い。後は、それに異議を唱える者が出ないようにするだけである。

 我が日本でも、同じような嘘話が信じられている。かつて江沢民元総書記は「日本は日中戦争で中国人を3000万人殺した」と言い、その後数年してから、この数字が4000万人になった。この数字は確定はされなかったが、「南京での30万人大虐殺」はしっかりと確定させ、記念館まで造られ、日本の要人が訪中すると必ずここに案内されて、謝罪させられた上で、その様子を写真や映像に撮られて、日本のメディアに流される。

 これが既に半世紀も続いているので、日本国民はほぼ全員、日本はかつて中国で悪いことをしたと思い込まされている。日本版ホロコーストはしっかり洗脳されている。ただドイツと違うところは、この嘘神話が刑罰で担保されていない点だけである。「あれは嘘」と言っても逮捕されることがないだけである。もちろん、この差は非常に大きい。

 日本の「南京30万人大虐殺神話」は、「日中戦争」と言う言葉を強制されていることに原因がある。当時支那大陸に住んでいた日本人に対するテロが頻発し、遂にそれが軍事衝突を招いたために、支那事変が起きた。支那側はこれを今では「日中戦争」と言い、日本にもそう言えと命じられている。支那事変は「日中戦争」と、支那人は「中国人」と言わされている。 

 新しい歴史教科書ですら、これを守って支那事変と言わず「日中戦争」と書く。日中戦争の「中」とはどこの国のことと理解しているのであろうか。今の中華人民共和国は、その時はまだ影も形もない。存在しない国と日本は戦争したことにさせられているのである。

 ドイツの「ホロコースト」も日本の「日中戦争」も同じ嘘物語である。そしてその作者は同じ「奥の院・ディープステート(DSら)」である。同じ人たちが作る物語は、同じものになるのは当然のことである。