「オットー・オーレンドルフ」 奥の院通信 R3 5/27

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オーレンドルフはドイツ親衛隊(SS)の隊長を務めており、ウクライナの機動部隊Dを指揮していた。彼はニュールンベルグ裁判も終わって、随分たった1948年まで、召喚されなかった。彼はそれまで「自分の供述書は、全て拷問を受けた末に強要させられてした署名であった」との主張を変えなかった。

 一方、バイエルン州賠償局司法長官フィリップ・アウエルバッハ(ユダヤ人)は、「ドイツの強制収容所で苦しんだ1100万人のユダヤ人への補償をせよ」と主張していた。オーレンドルフは「アウエルバッハ長官が補償を要求している対象のユダヤ人は、誰も強制収容所を見たことすらない」と言い、このアウエルバッハの主張を馬鹿げた主張であると一蹴していた。

 そうこうしているうちに、アウエルバッハ長官が公金横領と詐欺の廉で有罪判決を受けることになった。実在もしない犠牲者への巨額な補償金を支払わせる根拠を示すために、多くの公文書を偽造し処罰されたのであった。オーレンドルフは、このアウエルバッハ長官の公金横領事件を見た上で、その後の1951年になってから、ユダヤ人虐殺の罪を着せられ、処刑された。彼の場合、明らかに後から600万人という数字を合わせるべく、人数合わせに使われたに過ぎない。その上、彼の口封じも出来たのである。

 オーレンドルフは法廷で「ドイツ軍前線の背後には、反セム主義のウクライナ人が隠れており、彼らが普段からユダヤ人大量虐殺を組織的に行っていた。我々ドイツ軍部隊は、むしろこれを禁止する努力を払わなければならなかった。我々はソ連と戦争していたのであって、ユダヤ人虐殺など考えてもいなかった」と主張していた。

 そしてまた、彼は「我々の部隊は、ソ連の不法パルチザンと戦わなければならなかった。このパルチザンは、正規の戦闘よりも遙かに多くの死者をドイツ軍から出した。」とも主張した。戦場での正規兵の戦闘よりも、戦闘法規を無視し、軍服も着けていないパルチザンの、奇襲襲撃による犠牲者がの方が遙かに多かったのである。

 この彼の主張は、後にパルチザンが、「50万人のドイツ兵を殺した」と自慢するソ連政府の発言によって裏付けられている。事実、バルチック地域と白ロシア(ベラルーシ)の警察機動部隊Aを指揮していた指揮官フランツ・シュウターレッー将校(法学博士)は、このパルチザンに殺害された。

 イギリスのある法律家F・J・ヴィールは「戦闘中のソ連軍前線では、パルチザンと一般市民との間に適切な区別はなされなかった。テロリストとして活動するのを拒み、平民状態を維持するロシア市民は、指示に従わない裏切り者として、同胞であるソ連人に処刑されたからである。」と説明している。つまり、戦争法規違反を強要されていたのである。

 また、ヴィールは行動部隊のことを「ドイツ軍側が、テロにはテロで以て対抗せよと命じられたのは間違いない。」という。「パルチザンが単に結果的に勝利者側に立つようになったというだけで、彼らが犯した残虐行為が、全く非難されないでいる事実は奇妙なことである。」とも言っている。オーレンドルフもこれと同じことを言っている。「連合国側は、ドイツ人を旧来の国際法で、その罪を裁く一方で、ドイツ人がこの国際法を無視するソ連軍と戦っていた事実は忘れている」と告発して、連合国の偽善を非難した。 

 ニュールンベルグ裁判で多くのドイツ人が不法に処刑されたのと同じことが、日本人兵士、将校にも行われた。昭和12年の支那大陸における連続テロ事件は、アメリカに使嗾された蒋介石国民党軍と、そこに入り込んでいた共産党軍(毛沢東軍)とが起こしていたものであるが、彼らの戦争犯罪は問題にされていない。また、太平洋戦線で米軍の犯した日本軍捕虜殺害についても不問に付している。彼らは降伏した日本人兵士を全て殺害した。捕虜にしなかったので捕虜虐待はなかった。皆殺しにして捕虜にしなければ、捕虜虐待はない。実に簡単なことであった。

 極東軍事裁判で、連合国側の戦争犯罪を告発されたことに対して、ウィリアム・ウェッブ裁判長は「この法廷は連合国側の事件を裁く法廷ではない、日本人の戦争犯罪を裁く法廷である」(マイヤー・ロスチャイルド)といって問題を一蹴した。ドイツのニュールンベルグ裁判も、日本の極東軍事裁判も、同じ者たち(奥の院)がしているので、同じような裁判になったのは当然のことである。

 そして結果も、日本は「アジアを侵略して悪かった」と反省し、ドイツは、「あれはヒットラーという狂人と、彼が率いたナチスというワル連中がしたことで、ドイツとは関係ない」と妙な納得をして、その代わりに理不尽な賠償金をイスラエル国家とユダヤ人個人に支払っている。

 これが、ユダヤ人に対して非ユダヤ人が起こす抵抗戦争の結末で、常に同じ結末で終わる。「戦争は我々が我々の都合で起こす。いつ終えるか、どちらを勝たせるかも我々が決める。その結末の講和条約も我々がさせ、その内容も我々が作る」と奥の院は断言している。