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かつて出版された回想記の中で、もっとも虚偽性の高い代物は、なんと言ってもアドルフ・アイヒマンのメモと称されるものである。アルゼンチンに亡命していたアイヒマンは、1960年5月イスラエル国家によって拉致され、その後、国際的に有名になったが、それまではこの人のことを知る者はほとんどいなかった。
誕生してから12年しか経っていないイスラエル国が、遠いアルゼンチンに居住していた第3国のドイツ人アドルフ・アイヒマンを拉致し、遠くのイスラエルまで移送した。その上でイスラエルの法廷に彼を立たせたのであった。ここで、アルゼンチン政府もこの拉致事件に協力している。
そもそも、このアイヒマンは戦時中はあまり重要な人物ではなく、ゲシュタポ(国家安全保全総局)の第4部局の一局長に過ぎなかった。この部局は、敵性外国人(宣戦布告された敵国の人間)の特殊な一部である”ユダヤ人”の拘留キャンプへの輸送を総括していた。ところが、ある時、普通に読めば漫画的情報が、ある本によってもたらされた。それは、コマー・クラークの『アイヒマン:野蛮な真実』である。
クラークは「飲めや歌えの馬鹿騒ぎは、次の一団のユダヤ人を死刑に送り込む23時間前まで続いた。」と、その本の冒頭第1章「死と奔放な性的饗宴」で書きはじめている。実に奇妙なことであるが、「アドルフ・アイヒマンの備忘録(メモアール)」だと噂されたこの文書をもとにしており、アイヒマンがイスラエルに拉致された時に、突然世に出てきた。アメリカの雑誌「ライフ」1960年11月28日号によって、その内容に関しての批判など一切受けることもなく、そのまま出版された。 しかも、そのメモはアイヒマンが逮捕される直前に、アルゼンチンの某ジャーナリストにアイヒマンが直接手渡したものだという。驚くべき時期の一致がある。
この上更に、全く別の原稿出現の経緯説明があった。その主張によると、それはアイヒマンが1955年に同僚のある人物に語った諸々の意見をもとにした記録であるとのことであった。もちろん、その同僚が誰なのかを、特定する作業は誰も行っていない。作り話と言うことである。
また、これも全く同様に奇妙な時間的一致によるものであるが、戦争犯罪調査委員は、アイヒマンが逮捕された直後に、アイヒマンのゲシュタポ部局の「完全なるファイル」を、合衆国議会図書館にて発見したと主張しているが、これも戦争終了後15年以上経過してからの発見である。
アイヒマンの備忘録について語る限り、文書は極端に空想の世界に入るのを避けながらも、巧妙に有罪に誘い込むように書かれ、且つ、異常な興味で”ユダヤ人の物理的抹殺”について熱く語るアイヒマンと言う人物が描かれている。
この文書が虚偽であることは、「ヒムラーが1944年4月、防衛軍の命令権を既に握っていた」という事実誤認によっても証明できる。実際は、1944年7月に発生したヒットラーに対抗する陰謀事件の後に、はじめてヒムラーが防衛軍の指揮権を握ったのであって、事件の渦中にいたヒムラーがこの事実を知らないはずで、「人間の皮を被った悪魔」というイメージを裁判のある前に、予め世界に広く提供するためだった。この経緯は、「ロンドン・ユダヤ新聞の1960年9月2日号」にも詳しく書かれている。
更に、アイヒマンが自発的に書いたと言われ、自分を逮捕したブエノスアイレスの人物に手渡したと伝えられている手紙の内容もすごい。「私は、私の自由意思の下で書いたこの宣言は、これを世界に委ねる」とある。普通に読めば、この手紙はイスラエル側によって書かれたものであることは明らかである。しかも、この手紙には「私はイスラエルの法廷に喜んで出廷したい」と書かれている。そして、同時に「これは虐殺の真実を、未来の世代に伝承していくためである」とも書いている。
このアイヒマンの手紙を一読するだけで、常識を持った人なら、これがイスラエル国家の書いたものであるとすぐ分かる。イスラエル国家が将来の国益のために、アイヒマンに書かせたのであることは明白である。同時にまた、このアイヒマンの回想録は、当然アイヒマン自身の有罪を呼び込むものとなった。彼が死を賭してこの回想録を、自らの意思で書いたとは到底思えない。彼は逮捕された後のある時期に死刑を覚悟し、あるいはまた極めて酷い拷問の末に、意思の極限状態の元で、これらの備忘録に署名させられたのかも知れない。
いずれにしても、戦後15年も経過しているのに、またニュールンベルグ裁判もとっくに終わっているにも拘わらず、このさして重要な立場にいたわけでもないアドルフ・アイヒマンを、亡命先のアルゼンチンまで追いかけて拘束し、イスラエルまで連れてきた。そして、偽裁判を開いて死刑判決を出し、死刑執行した、この執念はユダヤ人独特のものである。全ては彼らによる将来のための「世界の歴史」作りなのである。世界はユダヤ人を腫れ物に触るような感じで見守っているだけである。そこには法律も常識も通用しない世界がある。これに対し世界の法律家、メディアは全く音なしの構えであった。彼らが奥の院・ディープステート(DSら)を支えている。