「スティーブン・ロイド・リーバー」 奥の院通信 R3 6/19

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リーバーは1947年生まれで、子供の頃は東京で育った。彼の父ディーン・リーバーはアメリカ合衆国出身のキリスト教宣教師でキリスト教青年会(YMCA)に所属していた。日本で布教活動をしている間に、北海道に渡り、帰途洞爺丸事件に遭遇し海難死している。

 スティーブン・リーバーは1984年に再来日し、広島YMCAで英語講師などしながら、1998年には反核市民団体グローバル・ピースメーカーズ・アソシエーションを設立し、2002年(平成14年)には平和市長会議事務局長を務めニューヨークと日本の間を往き来する。そして2003年(平成15年)には公益財団法人広島平和文化センター専門委員となり、2007年(平成19年)にはその広島平和文化センターの理事長に就任した。

 公益財団法人広島平和文化センターは、広島平和記念資料館などを運営している。そして、広島平和公園には「安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから」と言う碑が置いてある。東京裁判で一人判決に反対したインドのパール判事はここを訪れて、この碑文に書かれている文章の主語は誰ですかと異議を唱えた。主語はアメリカであり、日本ではないと言うことを曖昧にしている。むしろ日本が国策を誤った結果であるという意味にとれるようにしてある。

 日本の反核運動は日本人の運動にはなっていない、左翼に乗っ取られているが、この広島平和文化センターもスティーブン・リーバーというアメリカ人が務める。奇妙な現象が起きているのである。しかも、その事を広島市民は異様とも思わない。メディアがこの人物について報じることもない。彼も、目立った行動を取ることなしに、きちんと役目を果たしていたようである。

 この碑文の文言が決定したのは昭和27年7月で、サンフランシスコ講和条約が発効した直後である。記念碑はその前の昭和24年、GHQ占領下で成立した「広島平和記念都市建設法」に基づいて建立された。広島の反核運動と公益財団法人広島平和文化センターの活動は、日本人によるものではなく、原爆投下の犯罪者側が行っている。その結果がスティーブン・リーバーを理事長に就任させたのである。あの広島の平和記念資料館など、すべて奥の院・ディープステートが作り運営していることが良く分かる。

 彼らが行った大虐殺の現場から、本当の日本人による反核運動が起きては困る。日本人の日本人による資料館など造られては困るのである。平成17年にはこの原爆慰霊碑損壊事件が起きた。やはり心ある日本人はこの体制に反発していることが分かる。そして、戦後70年も過ぎた平成28年になって初めて、犯罪者側アメリカ合衆国の大統領がこの広島を訪れた。しかし、彼は不幸な出来事があったというだけで、慎重に言葉を選び、決して謝罪はしなかった。謝罪は奥の院から固く禁じられていたのであろう。

 この人類史上最大の戦争犯罪の犯人は奥の院・ディープステートであるが、日本人の認識としては一応アメリカ合衆国と認識しており、それが奥の院・ディープステートであることは慎重に隠されている。重要なことは、誰もが口にする「核廃絶」を本当に実現することであるが、彼らにはその意思は全くない。人類はこのことを知る必要がある。そのためには日本が頑張って、核の使用のハードルを挙げる必要がある。それが出来るのは日本人だけである。

 戦後広島の市民(県民)は、奥の院・ディープステートに洗脳され、完全な反日になっている。奥の院はこの地域を巧妙に洗脳し、今では彼らの手先である左翼運動家が行政を牛耳っている。もちろん、そこにはメディアの活躍が大きく影響している。

 広島県では平成4年2月に県立世羅高校の石川校長が、尾道市でも市立小学校の慶徳校長が自殺している。慶徳校長は民間出身の期待された校長であった。どこの県も同じようなものであろうが、広島県の教育界は異様である。奥の院はこの広島県の洗脳を、懸命に且つ慎重に行ったのであろう。

 スティーブン・リーバー父子もこの広島県人の洗脳に大いに貢献したので、広島平和文化センターの理事長になった。しかも、彼のことはメディアにはほとんど出ない。話題になることを慎重に避けているのが良く分かる。YMCAと言う日本人には全く抵抗感のない場所に彼をおいて、広島県人が目覚めることのないように活動させている。後は彼らの育てた左翼連中が役目を引き継ぎ、反核運動も含め、真の運動が起きないように活動している。広島県民には早く気付いて欲しいものである。気付いている人も多いのであろうが、それ以上に反対勢力・左翼の力が大きいのであろう。