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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年07月19日の記事を紹介します
「疫病を治めた空海」
今から1200年前にも、日本で疫病の大流行がありました。その時治めたのが空海です。
空海と言えば、亡くなる直前に弟子たちにこう言い残しています。
私は兜率天へのぼり、弥勒菩薩の御前に参るであろう。
兜率天にのぼって私は雲の間から地上をのぞき、そなたたちのあり方をよく観察している。
そして、56億7000万年後、私は必ず弥勒菩薩とともに下生する。
私の入滅の後をよく見るべきである。
その時、よく勤めている者は天の救いを受けるであろう。不信の者は不幸になるであろう。
と述べています。
高野山 奥の院 今もなお、ここに空海がいらっしゃるといわれています。
弥勒菩薩と言えば、ミロクの世は3段階でなされ、最後の10年間は
567(みろく)の世、つまりコロナとも読めますが、
その10年間で、いっきにミロクの世が完成するといわれています。
その567(みろく)の世の始まりが、2020年。つまり今年、
そのため、新たな天皇陛下の御代となったともいわれています。
弥勒菩薩(マイトレーヤー)
それでは、1200年前に空海が疫病を収めた時の様子をご紹介します。
「般若心経秘鍵」と言うものがあります。
これは、西暦818年頃、今から1200年ほど前に空海によって書かれた「般若心経」の注釈書であり、この中で「般若心経」は真言密教の経典であると書いてあります。
般若心経秘鍵
弘法大師が、密教の眼をもって般若心経を解釈した独創的な見解と言えます。
さてその「般若心経秘鍵」の中に空海自身が書いた、空海の前世物語があります。
ご紹介します。
まず、少しだけ原文です。般若心経秘鍵の「上表文」原文です。
時に弘仁九年春、天下大疫す。ここに帝皇自ら黄金を筆端に染め、紺紙を爪掌に握って
般若心経一巻を書写し奉りたもふ。。。
(中略)
これを現代文に訳すと以下の通りになるそうです。→元記事
++++++++++++++++++++
西暦818年の春、疫病がはやり、多くの遺体が都のはずれの山道に捨てられるほどになりました。この状況を見て嵯峨天皇は、空海にお尋ねになりました。
「このところ、都では疫病が流行し困っている。 空海殿なにか良い智慧はないものかな?」そこで空海は
「この世は、天・人・地一体でございます。
人々の心が乱れると、天災が起こり、地震が起こるのでございます。
すべては人々の心が、起こしているのでございます。
人々の心を治めるには、(人々の集合無意識の代表である)
あなた様が般若心経をお書きになり、祈られることが最良かと存じます。」
と答えられました。
そこで天皇は紺色の巻紙を左手に爪でしっかりと握り、すずりに用意した金箔を右手の筆先につけ、サラサラと見事な筆使いで、お書きになられました。
そこで空海は、お経を選んだ理由を説明するために、 般若心経秘鍵を書いて、お経の意味を解説いたしました。
そうしますと
「お祈りがうまくいきますように」との、結びの言葉(結願–けちがん)を言わないうちに、
蘇生した人々が、病気で捨てられていた道端で、立ち上がり始めました。
意識レベルが変わると、別次元の世界が現れるのです。
パラレルワールド
でもこれは、私・空海が戒を守り、徳を積んだためではなく、
「金輪・御信力(きんりん・ぎょしんりき)」のためなのです。
この世は天・人・地は一体である
ですが神社や仏閣にお参りするかたがたは、ぜひ般若心経秘鍵をお唱えください。
「なぜこのお経の意味を知っているか?
それは、前世の昔、インドの遺体・捨て場でもある霊鷲山(りょうじゅせん)で
霊鷲山(インド)
お釈迦様が説法をされているときに、筵(むしろ)を引いて般若心経の深い意味を聞いていた、過去世の記憶があるからなのです。」
唐に入って沙門(シャーマン)となった空海が書き上げました。
++++++++++++++++++++
どうですか?
はっきりと空海自身が、前世に置いてブッダのそばに居たと述べています。
この中で出て来る霊鷲山はブッダが法華経を説いた山です。
山頂の形が鷲(わし)に似るので、また山中に鷲がいたのでこの名があるといいます。
また空海は意識レベル(次元)のこともここで論じています。
次元が異なる、つまり私達の固有周波数が異なれば、それにふさわしい世界(並行宇宙 パラレルワールド)が出現し、その世界で生きていくことになる。
異なる次元(意識レベル)に存在する人間は、例え同じ場所(物理的な空間)に居ても、
交わることも見ることもできないと言われています。(つまり通り抜けてしまう)
ヒマラヤに生きる聖者達は、この宇宙法則を利用し、自分自身の固有周波数を変えることで、
瞬間的に移動する事が出来るそうです。
またバシャールも同じことを言っています。
「般若心経」は空海の開いた真言密教の経典だったのですね。
また空海は、自分の来世に関しても亡くなる直前にのべています。
「私は兜率天へのぼり、弥勒菩薩の御前に参るであろう。
兜率天にのぼって私は雲の間から地上をのぞき、そなたたちのあり方をよく観察している。
そして、56億7000万年後、私は必ず弥勒菩薩とともに下生する。
ブッダの徳世界観では、時間の概念はありませんから、それは、もしかしたら今の時代のことかもしれません。
大きく世界がミロクの世、霊性の時代に変化を遂げようとしているのですから。
弥勒菩薩、つまりマイトレーヤーは、地上に生まれ変わり、第二のブッダとして人々を救うのだそうです。その時、空海も一緒に下生して、人類を救うのだそうです。
空海は、その時、マイトレーヤーと人間の橋渡しの役を担うのだそうです。
この伝承(空海の真実)があるゆえに高野山の奥の院には、あれほど多くの墓標があるのだとか。
戦国時代、敵だった者も味方だった者も地位ある者も、無い者もみんな、ブッダに繋がりたいのですね。空海に、ブッダと繋げて欲しいのですね。
また空海が仰るように
密教の根本経典はブッダの説いた「般若心経」なのだそうです。
空海没後1200年、人間の生まれ変わりの最小公倍数に当たる年月でもあります。
もしかしたら世界のどこかで空海は今、生を受けているのかもしれません。
空海と、ミロク(567=コロナ)、新天皇の御代の本格的な始まり、色んな事が符合してきます。
つい先日まで私たちが暮らしていたの喧騒の社会、もう、その元の世界には戻れないといわれています。であれば、人々の心を大切にする優しい社会を作っていくために、私たちも何かできることから始めていきたいものですね。
夜明けは近いです。 もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。
周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。
それが自分の身を助けることに繋がります。
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2021年7月22日木曜日
2401「許し 幸せになるために」2021.7.22
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年07月18日の記事を紹介します。
「許し 幸せになるために」
今日のテーマは「許し」です。
以前書いたことがあったのですが、大変重要なことですので、加筆して掲載します。
本当の、心からの幸せを得るために何が邪魔をしているのか?
特に、理不尽とも思える辛い出来事を経験した人に何故、幸せになれない人が多いのか?
それは、憎しみの心が、幸せが来るのを邪魔をしているのかもしれません。
誰かを許すこと、それは神さまから、自分が許されること
誰かを何時までも許さないこと
それは、いつまでも、自分で自分を許さないこと
神さまから、自分が許してもらえないこと
人を許さない限り、自分を許さない限り 幸せになるのは、難しいようです。
さて、愛媛県西条市に「のらねこ学かん」という知的障碍者のための通所施設があります。
ここを自費で運営し、ハンディのある人たちの人生の花を開かせている塩見志満子さんという方が居られます。今日は塩見さんのお話です。
<引用開始> 引用元
塩見さんの人生は、まさに試練に次ぐ試練の連続でした。壮絶かつ感動的な人生体験、そこから掴まれた信条を学ぼうと、いま全国各地から講演の依頼が舞い込んでいます。
塩見さんが語った
「降りかかる逆境と試練が、私の人生の花を咲かせた」とは──。
──そこから学かんの立ち上げまでは、どのように進むのですか。
1つのきっかけとなったのは私が38歳の時に、小学2年生の長男を白血病で失ったことです。白血病というのは大変な痛みが伴うんですよ。「痛い、痛い」と叫ぶと脊髄から髄液を抜く。そうすると痛みが少し和らぐ。それを繰り返すわけですよ。
ある時、長男はあまりの痛さに耐えかねて、そんなこと言う子じゃないんですが
「痛いが(痛いぞ)、ボロ医者」と大声で叫んだんです。
主治医の先生は30代のとても立派な方で「ごめんよ、ボク、ごめんよ」と手を震わせておられた。
長男はその2か月半後に亡くなりました。
49日が済んだ後、主人と2人、お世話をかけたその主治医の先生に御礼を言うために病院に行きました。ところが、いらっしゃらないんです。
聞いてみたら、長男が死んだ後、「僕は小児がんの研究をするためにアメリカに渡る」と
すぐにその病院を辞められたと。
私たちは「ボロ医者」という長男の一言が、この先生をいたく傷つけたかもしれないと思うと申し訳なさでいっぱいでした。
後で知ったのには、その先生は10年間アメリカで小児がんの研究をした後、小児がんの権威となり日本の国立小児病院に帰ってこられたそうです。
いま思い出しても本当に素敵な先生でしたね。
──そうでしたか。
長男が小学2年生で亡くなりましたので、4人兄弟姉妹の末っ子の二男が3年生になった時、私たちは「ああこの子は大丈夫じゃ。お兄ちゃんのように死んだりはしない」と喜んでいたんです。
ところが、その二男もその年の夏にプールの時間に沈んで亡くなってしまった。
長男が亡くなって8年後の同じ7月でした。
──プールの事故で突然。
近くの高校に勤めていた私のもとに「はよう来てください」と連絡があって、タクシーで駆けつけたらもう亡くなっていました。
子供たちが集まってきて「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。
「どうしたんや」と聞いたら10分の休み時間に誰かに背中を押されてコンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったと話してくれました。
母親は馬鹿ですね。
「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」
という怒りが込み上げてくるんです。
新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、同じく高校の教師だった主人が
大泣きしながら駆けつけてきました。
そして、私を裏の倉庫に連れていって、こう話したんです。
「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。
犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、という罪を背負って生きてかないかん。
わしらは死んだ子を、いつかは忘れることがあるけん、わしら2人が我慢しようや。
うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、校医の先生に心臓麻痺で死んだ という診断書さえ書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるやないか。そうしようや。そうしようや」
私はビックリしてしもうて、この人は何を言うんやろかと。
だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、仕方がないと思いました。
それで許したんです。友達も学校も。
──普通の人にはできないことだと思います。
こんな時、男性は強いと思いましたね。でも、いま考えたらお父さんの言うとおりでした。
争うてお金をもろうたり、裁判して勝ってそれが何になる。
許してあげてよかったなぁと思うのは、命日の7月2日に墓前に花がない年が1年もないんです。
30年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。
もし、私があの時学校を訴えていたら、お金はもらえても こんな優しい人を育てることはできなかった。そういう人が生活する町には できなかった。心からそう思います。
<引用終了>
さて、子供が夭逝(ようせい)=早く亡くなる と言うのには、大きな大きな意味があるそうです。両親や、周りの人に気付きを与えるため・・・。
塩見志満子さんのお子様たちの場合には、小児がんの研究者。
そしてご両親の「許し」という崇高な行為と、その後、ご自身の「知的障碍者のための通所施設」の自主運営に続いて行きました。
お子様2人も早くに無くされることは、大変な悲しみだと思います。
子を持つ親として十分察しできます。ですが、その悲しみを悲しみのまま、憎しみを残すことなく、許し、ご自分の心の中の黒い霧を払われ、世の中に尽くす所まで進められたのは
素晴らしいことだと思います。
私達は、とかく、人を憎んだり、恨んだり、仕返ししようとしたりします。
「同じ苦しみを味あわせてやる」また社会全体を憎しみの対象とします。
ですが、仕返しは、私達がやることではありません。それは神様の領域のお話です。
「復讐するは我にあり」の 我とは 神様のことです。
人を許すこと 自分自身も許すこと 人を愛すること
大変 難しいことかもしれませんが、それは私達のハートの中に居らっしゃる神さまの特性です。
私達も、今はできなくとも、その神さまのようにいつか、いつか振る舞うことが出来るはずです。
ひこうき雲 子供の夭逝を書いた曲です。
あなたには、許せない人はいますか?憎しみをたぎらせている相手はいますか?
それとも、特定の人ではなく世の中を、憎んでいらっしゃいますか?
誰かのことを許せれば、それは、神さまの前において自分自身を許すことになります。
自分自身を愛することに繋がります。
自分自身を愛することができたなら、私たちは、また一つ、
心の世界において、神さまに近付くことになります。
何時までも憎しみに、しがみついた 暗黒の世界そしてもう一方は、愛と許しの 光の世界。
心の分かれ道です。
どちらに進まれますか。
先に亡くなった家族や、ご先祖の方々は、残された私たちに、どちらを望んでいらっしゃるでしょうか。
そして、あえて理不尽に見える逆境を準備された神さまは何を望んで、そうされたのでしょうか。