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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月26日の記事を紹介します。
「絶対大丈夫」
今日は、斎藤一人さんのお話で、「一番の不幸は「大丈夫だ」と思えないこと」というテーマです。
ここ連日ご紹介している6歳の神様(山幸彦)のトキ君も同じことを言っています。
この中でトキ君は、次のようなことを言っています。(大変重要なお話なので、今日もご紹介します)
<以下抜粋>
心配は愛ではなく、心を縛ること、鎖につなぐこと(トキ君にとっては、犬の首輪・鎖のように見える)。
心配ばかりしていると、それが本当に現実化してしまう。
なぜなら私たちの想いは、思い続ければ、叶ってしまうものだから。
だから心配することは「愛」ではない。
お金のこと、病気のこと。
これを心配するのも「愛」ではない
・お金のことを心配し過ぎるから、お金が来ない
・病気などの心配し過ぎは、お金と逆でそれを引き寄せてしまう
・病気のことを心配すればするほど、仲間の病気を連れてやって来る
理屈ばかりを言い立て、怒ることは「愛」ではない。
何時までも、昔のことを水に流さず、繰り返しネチネチ怒る人にも「愛」はない。
「愛」とは相手を信じ切ること。
人間は思ったことが、無意識に願いとなり、叶ってしまう。
<抜粋終わり>
では、一人さんのお話をご紹介します。
この殺伐とした時代、「今だけ、金だけ、自分だけ」という人が多い時代。
但し、これらの人々の淘汰が現在進行形で始まっています。
私たちは、子供のころより、
・努力しなければならない
・人より優れていなければならない
・人より稼がなければならない
などといった誤った人生観を学校や、家庭で植えつけられて育ってきました。
・いつも何かしていなければ、
・競争に勝たなければ、
・お金を儲けなければ、
・良い学校に入らなければ、
・良い会社に入らなければ。。
不安で仕方ないかもしれません。
子供が少しでも不登校になったり、病気になれば、この子の将来は、もう駄目かもしれない、と短絡的に思うかもしれません。
ですが、私たちは、この人生を過ごしていく間、死ぬまでずっと、、、
「大丈夫」なようにできているんです。
それは、私たちが生まれる前に、神様と相談し、この人生を設計してきたとき、「大丈夫」なように人生設計をしてきたからです。
今日は斎藤一人さんのお話をご紹介します。
<引用開始> 引用元
この世の中で一番不幸なことは、自分のことを「大丈夫だ」と思えないことです。
そしてさらに不幸なのは、まわりにその人のことを「大丈夫だよ」と言ってあげられる人がいないことなんです。
人間はもともと等しく「大丈夫」なように作られています。
学校の成績が悪い人でも、運動会でビリの人でも、そのままで幸せになれるように神様が作ってくれているんです。
それを、「算数ができなきゃダメだ」とか、「運動神経が鈍い」とかまわりから言われているうちに、自分のことが「大丈夫だ」と思えなくされたんだよね。
それと「自分はまだまだ未熟ですよ」と思って生きているのを“謙虚”だと思っているかもしれないけど、「自信満々に生きている人が威張らない」のが“謙虚”なの。
「自信がない人が威張らない」のは“卑屈”なんです。
謙虚に生きる人と、卑屈に生きる人とでは、自(おの)ずと結果は違ってきます。
それと同じで、「大丈夫だ」と思って生きている人と、「大丈夫じゃない」と思って生きている人とでは、まったく人生が変わってくるんだよ。
それで自分で思ったにせよ、誰かに思わされたにせよ、「大丈夫じゃない」と思って損をするのは自分なんです。
蕎麦屋で「カツ丼、3つ」って言えば、カツ丼が3つ出てくるの。
「こんなに食べられません」って言っても、あなたが頼んだものだから、そのお代を払わされるのはあなたなんだよね。
それと同じで、天に向かって「大丈夫じゃない」って言っていると、「大丈夫じゃないこと」を引き寄せるんです。
だから、まずは自分が「大丈夫なんだ」ということを知ること。
そして、まわりの人にも「大丈夫だよ」って言ってあげられることが大事なんだよ。
生まれてきた子どもはみんな「大丈夫だ」と思って生まれてくるんです。
そして、親も「生まれてきてくれただけでしあわせだ」って思ったんだよね。
それを「あれができなきゃダメ」とか、「これができなきゃダメ」と言って育ててると、
その子はだんだん、自分のことを、自分の人生を信じられなくなってしまいます。
だから、親が子どもに一番伝えなきゃいけないことは
「おまえはそのままで大丈夫だよ」っていうことなんだよね。
<引用終了>
周りを見渡してみてください。
・頭の良い人しか、幸せな生活をしていないでしょうか?
・生まれつき障害を持った人たちは、居場所がないでしょうか? 生き続けることができないでしょうか?
・給料の少ない家庭の人たちは、みんな暗い顔をして下を向いているでしょうか?
違いますよね。
みんなみんな、それぞれの居場所があるんです。
例え知恵遅れで生まれてきても、受け入れてくれる、家庭や社会があるのです。
例え仕事ができない人でも、もしかしたら会社のムードメーカーで大切な人かもしれません(釣りバカ日誌の浜ちゃんみたいに)。
例えお金がなくても、家族みんなで力を合わせ、日々の生活の中に小さな喜びを見つけ、
みんな幸せかもしれません。
家族の絆は強いかもしれません。
私たちは、この世に生まれてきた・・ということは、
・何も将来を心配せずとも、
・不安にならなくとも、
・才能を自分で見つけられなくとも、
大丈夫なように人生を設計して出てきました。
自分だけでなく、周りの人々みんながそうです。
・人を蹴落としてまで上に行く必要はありません。
・必要以上にお金をため込む必要もありません。
・将来の仕事や、お金の心配も要りません。
私たちは生まれてくるときに、生まれてから、死ぬまでの出来事、大きなことも小さなことも
・いつどこでだれに会い、
・いつ別れ、
・いつ仕事に就き、
・いつ病気になり、
・いつ事故にあい、
・いつ友人と出会い、
・いつ恋人に出会い、
・いつ結婚し、
・いつ子供が病気になり、いつ別れ、
・いつ子供が不登校になり、
・いつ経済的に豊かになり、
・いつ経済的に苦しくなり、
・いつどうやって死ぬか・・
すべて決めてくるそうです。
それもこれも、今世の人生を最大限に生かすためです。
ですから、どこかのタイミングで自分自身を破滅に追いやる「出来事」をこの人生に埋め込んで生まれてくるわけがないのです。
小林正観さんや斎藤一人さんが仰るように、6才の神様が言うように私たちは大丈夫なようになっているのです。
もし今、経済的に困窮していたり、ご自分や、ご家族が病気だったりと苦しい立場にある方も安心してください。
その経験は、私たちに気づきを促すために、自分で生まれる前に設定してきた出来事なので
大丈夫なのです。
それが終われば、正負の法則の通り、明るく楽しい出来事が今か今かと待っているのですから。
どうか今、目の前にいる人や、出来事に対して、精一杯の真心や誠意、優しさを持って接してください。
「大丈夫だよ」って優しく声をかけて差し上げて下さい。
皆さんがご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。