奥の院通信から R4 2/10 「ガイ・フォークス」

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 今からおよそ400年前、イングランドでの話である。1606年の今日2月10日、ユダヤ人のガイ・フォークスが処刑された。彼は即位したばかりの国王ジェームズ1世を爆殺しようとして火薬を仕掛けたが、失敗に終わり処刑されたのであった(詳細は2019年11月7日奥の院通信参照)。

 そのまたおよそ300年前の1290年、イングランドは全てのユダヤ人を国外に追放し、イングランドにはユダヤ人はいなかったが、1600年頃からそのユダヤ人が、イングランドに戻って来始めた。その矢先に、このガイ・フォークスの国王暗殺事件が起きた。

 彼らはこの事件を「火薬陰謀事件」と命名し歴史に残した。国王暗殺事件であるのに「陰謀事件」と命名し、フォークスを何となく事件の被害者の如く描いた。あらゆる事件はユダヤ人が命名し世に広め、歴史に残して非ユダヤ人を洗脳する。極悪人を印象操作により「可哀想な人」「善人」「被害者」に仕立て上げる。この時は国王の暗殺を試みた「大逆事件」を「火薬陰謀事件」と命名し「陰謀事件」として歴史に残した。

 その上で、この極悪人(イングランド国民にとって)を讃え、英雄の如く誉め称えるべく、彼(ガイ・フォークス)に「ナイス・ガイ」と諱を贈って今に残した。大逆事件を起こした彼が、ナイス・ガイだったということにした。いい男のことを今も「ナイス・ガイ」と呼ばせている。裏を返せば、それ程にガイ・フォークスは奥の院から賞賛されたのであった。彼らにとっては、残念ながら未遂に終わったが、彼らはフォークスを今に英雄の名を残して讃えている。

 ユダヤ人は決して諦めない、フォークスは失敗に終わったが、その後オリバー・クロムウェルを使って、次のチャールズ1世は、今度は堂々と公開処刑させた。この大国の立派な貴族を抱き込んで、およそ半世紀後の1649年に、非ユダヤ人のクロムウェルを使って、正式に法律手続きを経て、非ユダヤ人である英国人に公開処刑させた。

 彼らは恐ろしい民族である。国を追放された300年後に戻ってきて、遂にその国の国王を、その国の国民(臣民)に正式手続きを取らせて処刑させている。そして、この大逆事件を「清教徒革命」という、極めて美しい名前を付け、歴史に残している。世界中の子供がこの「清教徒革命」を、今も勉強させられている。

 この清教徒革命で、奥の院はイギリス支配に成功し、彼らはここから世界支配に乗り出した。従って、この時点で、奥の院は今のディープステートを形成し、世界中の国の中に彼らの政府を打ち立てていったのである。
 
 日本も例外ではない。ロシアでロシア革命を起こし、国王ニコライ2世を処刑して、そこにソヴィエト連邦を設立し、その上で、彼らは世界中を共産化するために、第3インターナモスクワにモスクワに設立した。そして、日本には大正11年にその日本支部を設立させた。これが日本共産党である。

 奥の院・ディープステートは第3インターのモスクワ本部から日本支部の日本共産党に、指令の第1号として「天皇を処刑して共和国を創れ」と言って来た。そこで早速、翌大正12年年12月には「虎ノ門事件」が起きた(起こした)。摂政宮になられたばかりの皇太子裕仁親王を暗殺しようとした。幸いに未遂に終わったが、犯人の難波大助は、当時の衆議院議員難波作之進(山口県周防村出身・現光市)の息子であった。

 彼(難波大助)は直ちに逮捕され、大逆事件実行犯として裁判に掛けられ、死刑判決を受け、大正13年11月に死刑執行された。父親の難波作之進は、直ちに議員辞職し郷里に帰って閉門蟄居した。息子の大助が処刑された翌年西暦1925年に死去している(食を断っての自決)。山本権兵衛内閣は事件後直ぐに総辞職している。

 難波大助は無政府主義者となっているが、要するに次の天皇となられる皇太子の暗殺という大逆事件を起こしたのである。この事件の構造は、まさにイングランドでガイ・フォークスが起こした国王ジェームズ1世暗殺未遂事件と同じである。奥の院・ディープステートは君主国の存在を認めない。

 最後に残った日本国という君主国を奥の院は許さないのである。そこを理解した上で、日本国はどこまでも天皇を護って君主国たる国体を維持しなければならない。これを潰そうとしているのはアメリカでも中共でもない、奥の院・ディープステートである。