「夢を見ることの終わりは恐れの終わりであり、
愛は一度も夢の世界の中に存在したことはない」
この奇跡の道への投稿が93回にもなることに
自分でも驚いています。
ただ書かねばという力が書かせている感じです。
「奇跡」についての自己学習の御本からの言葉を
自分の夢の世界に照らして言葉が溢れます。
書かせていただいている内容はあまりに単純で、
このように単純なことをいかにもクドクドと(笑)
綴ることに何か不思議な感があります。
分離(自我)か 一つ(融合)か
そして
この世界は夢(幻想)か 実相かだけですから。
夢を見ているとの確信が、恐れの解消。
そしてこの世界が夢であるがゆえに、
その夢の世界に「愛」は存在はしない。
何故ならもともと「愛」だけだからでしょうか。
最近体の具合が悪くてと、相談が多いです。
そんな時に、すべては意識が原因とはすこし
お相手にきついかなと自我が叫ぶので言いにくいのですが、
やさしくやさしくして、でも結局その方向に進んで
行きます。(笑)
ところがその病気だと言うお相手に会ったり、
電話で相談を受けると言う場合に、どうしても
相手のことと捉えがちです。
随分と長い間、学んで実践してきたはずなのに、
まだ相手がいるのです。
そのことに気づくのになんと長い夢が
続いたのでしょう。
どういうことかと言いますと、病気だと叫ぶ方は
病気と言う幻想を、こちらの自分が支えていることに
気付いたのです。
「郵便ポストが赤いのも」みんな自分の責任だ
とはなかなか言えなかったのですね。
自分が病気の方の幻想を支えないことによって、
その方に自分が誰であるのかを認めさせればよいようです。
お相手の幻想をもし支持してしまうと、
自分自身の幻想に信を抱くことになってしまいます。
そして自分の幻想に信を抱いていれば、お相手は
解放されず、自分はお相手の夢(病気)に束縛され続けるのです。
ですからもし自分が自分の夢にいかなる真実性もないことを
看破すれば、彼の夢(病気)は消え去り、彼は何がその夢を
作り出していたのかを理解することになるのでしょう。
そのことに気づいたとき、
「レベル4の癌」は見えなくなったのです。
「夢を見ることの終わりは恐れの終わりであり、
愛は一度も夢の世界の中に存在したことはない」