2003年2月18日 記
4人兄弟の貧乏な家に生まれ、54年を数えた。
若き日に今の状況は想像すらできなかった。
名古屋の鶴舞公園の近くにあるサッポロビールの工場の
長い長い塀をみて、幼い頃に、お城のような家を
建てようとなぜか思った。そしてそれはいい悪いは別にしても
叶った。それが39歳のこと。月日は30年が経過していた。
なぜか土木工学を学び、4年間高速道路工事に従事した。
一般道路を高速道路が通る箇所にカルバートボックスという
コンクリートの箱をつくる。コンクリートを打設する日は胃が
キリキリといたんだ。高速道路のために自然の山肌をブルドーザーで
はいで行く時は、生き物や木や草に申し訳ないな、と思ってた。
仕事は二か月に一日の休日があるかないか。休日が毎週日曜日に
あるような仕事は天国にみえた。いつしかこの仕事を永久に続ける
ことは無いだろうと、知らず意識の底に思っていった。
権力に迎合せず、無心のなかに自分の世界を作った。
そして結婚。
職業を変え名古屋に戻った。建築鈑金問屋の一部始終を
3年間で覚え、29歳で独立した。それから15年間必死で
働いた。そしてこの仕事も生まれさせていただいた天命ではない
ことを45歳にして悟る。
学生時代、会社員時代、そして経営という仕事。
だれが想像できただろうか。今という時を。
多くの人々と関わりをもち、互いに支えあって生きる人間どうし。
自分という小さな存在でも、壊れてしまえば、その影響は
多くの人々に及ぶ。
降り注ぐ数多くの学び。それらの一つひとつを経験しながら
人の情を知る。なにげない日常はわたしたちの気付きを
遅らせる。日常にないできごとが多くのことを気付かせてくださる。
ここまで来た。遠い道だった。これからどこまで行くのかは知らない。
そしてどこへたどり着くのかもわからない。
人生は自分だけのドラマのよう。
まだ見ぬあなたよ、待っていてください。
ありがとうございます