再録 霊性の旅 9~鏑射寺

鏑射寺へ何故行くの?」と訊かれたことがあります。そのときはただ、
「気持ちがいいから。」とだけ応えました。
この間、岡崎のまいとれ~や(自然食お食事のお店)の柴田弘子さんとの
歩き話。柴田さんが言いました。「半断食って気持ちいいの。1度だけ、
何ともいえない至福感を味わったの。もう1度味わえないかと、何度もし
ている。」と話をしてみえました。


鏑射寺へ行く理由は、柴田さんの話の至福感を得るためかも知れません。
7年前に初めてお寺を訪れた時は、和尚さまのお声とお話に感応し、不浄
な私は、泣いてばかりいました。そして、何度も通ううちにその涙は止ま
りました。代わりに護摩堂での護摩焚きの最中にそれが始まったのです。
お堂の中で、全員で唱える「般若心経」と不動明王さんのマントラ。時に
笛や舞楽のような音が異次元から聴こえてくるようです。マントラの最中
に、鼻からハナが(きたない)膝までたれて、ハッと気づく時があります。
感情はまったくありません。いのちのふるえが眼から大量の涙を誘ってい
ます。何ともいえない至福感。ありがとう護摩でもそうでした。
世界や日本での数々の魂(いのちかも知れない)の旅の体験。それと同じ
体験が得られるから鏑射寺へ詣でると言っていいかもわかりません。
時々詣でる鏑射寺。それはいのちにとってのお風呂ともいえます。現実の
社会でさまざまな言葉を出し、さまざまな想いを抱き消しして、人間は、
生かされています。感謝の「ありがとうございます」で一瞬を受けなおす
もいいでしょう。また、ひたすらに一心にマントラを唱えるもいいでしょ
う。瞑想してそれを消すもいいでしょう。人は一人ひとりこの世にあるこ
との感謝をどのような形にせよ、人にあった方法で行い続けることで、い
のちを耀かすことができるのかもわかりません。
お堂の中での人々との一期一会と異次元からの光にいのち震わせながら、
お寺とのご縁に感謝する一日。こんなにも手近に「いのちの旅」を体験で
きる身に今生の幸いをかみしめています。
ありがとうございます。