はがき一枚が語るもの

平成6年ですから、23年前広島の坂田先生に
始めてお会いいたしました。
「はがき道に生きる」という講演をお願いしたと記憶しています。
異業種交流会のご縁が広がった結果のできごとでした。
坂田先生は森信三先生を師と仰ぎ、森先生の直言で
「複写はがき」を書き始めました。
そしてその行為をし続けることで何かが起きることを
講演を通じて伝え続けて見えます。
「はがきを書けば運命が変わります。
何が変わるかは書けばわかります。」
講演に触発されてはがきを書き始める方が増えてきました。
速い方は3年もかからずに1万通を超えるはがきを
書かれています。
こちらは23年もかかってまだ一万通にも達していませんが。
今年5月、坂田先生が発起人でこの名古屋の地に
森信三先生の供養塔が建立されました。
そしてその記念の日、名古屋のホテルでアルコール抜きで
自然食のランチの食事会が行われました。
その会合には森信三先生のゆかりの方がたくさん集まりました。
森先生の3賢弟と、よくお人が語るお弟子さんは坂田先生
広島のKさんそして本の出版が得意なTさんです。
坂田先生のかなきり声がランチの会場に響きました。
なつかしいお声でした。
供養塔を白いタオルで磨きながら森先生を偲ばれていた
Kさんもご挨拶をされました。
ほんとうに短い挨拶が、もう忘れかけていた涙を呼びました。
あまりにも恐れ多いそのKさんにはがきをお書きすることも
なぜかできずにいました。
名刺の交換はさせていただいてました。
「ご縁に合掌いたします。
人の世が うれしいのも
苦しいのも 人間関係に
あると思われます。
出逢うお方 菩薩さまです。
ありがとうございました!!」
一枚のおはがきが届きました。
その文字構成 バランスそれは詩であり絵でもありました。
その同じ5月の末からおはがきの交流が始まりました。
12枚の交流のおはがきがこの8月までに続いています。
一番新しい8月19日の
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人は赦されてこそ 生きているのだと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
の文字が魂に響きました。
「赦せば赦される」
この真理の実践は人生上の最大テーマと思われました。
「自分が自分をまず赦す。そして相手を赦す。
なかったことにする。」
赦せば赦されて、なかったことになって生かされている。
赦せないことに逢うのが人生と、
わかったかのような気がしていた
小さな自分にとって、すでに赦されているから
生かされているのだと、言い知れぬ感謝が
湧き上がりました。
Kさんとのはがき交流は、人生の晩年の光となりました。
感謝でいっぱいです。