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今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。
756 2022.08.22 ~768 2022.09.03
<老子名言集その1>
「道」は、中が空(うつ)ろになっている器のようなものだ。
見たところ何もあるように見えないが、しかもこれを用いて尽きるところがない。
あるいはまた、深い淵のようなものである。
何ものでも入り来るものを蔵しながら、しかも何ももっていないようで、
その底がはかられぬ。
それはまた、万物の湧き出て来る大きな根とでも言うか。
しかもその存在たるや、他に接して、決して自ら鋭いところをあらわさぬ。
また外界の紛乱にまきこまれぬ。外の光に和して異光を放つことがない。
塵に埋もれて己独り清いという顔をしない(和光同塵)。
まったく周囲と一体となって、異色というものを立てぬ。従ってまるで存在しないように見える。
このように存在するのが真の道であり、聖人の道である。
そしてこの道は誰が発明したとか、誰が生んだとか言うことが出来ぬ。
それは天地より先から、無の彼方から出ているところのものである。
<老子名言集その2>
三十本の輻(ふく,スポークのこと)が、車輪の中心に集まる。
しかし、車が車としてのはたらきを為すのはそのその木の部分そのものではなくて、心棒を入れる穴の部分があるからである。
粘土をこねて、容器をつくる。
それが土器としての用を為すのは、土の部分そのものではなく、その空虚の部分があるからである。
窓をこしらえて部屋をつくるが、その部屋が部屋としての用を為すのは、その空虚なところがあるからである。
<老子名言集その3>
予見することは道の輝かしさであるかも知れない。
だが、愚行のはじめでもある。
だから、大丈夫たるものが身をおくのは、しっかりした厚みの上であって、薄っぺらな(外殻)にではない。
果実(実のあるもの)に身をおくのであって、花びら(飾り立てたはなやかさ)にではない。まことに、アノコト(外見や予見に従うこと)を斥けて、コノコト(今・ココの私)をとるべきである。
<老子名言集その4>
天の門が開いたり閉じたりするときに、雌(という受身)の態度をとりつづけられるか。
(心を)国土のすみずみまでゆきわたらせて、しかも何の手出しもせずにいられるか。
(ものを)生み出し、それらを養い、それらを生み出してもわがものだと主張せず、それらをはたらかせても決してそれらにもたれかからず、その長となってもそれらをあやつることをしない。これを「玄徳」という。
<老子名言集その5>
聖人は(物を)たくわえない。
何もかも他人のために出し尽くして、自分はさらに所有物が増し、何もかも他人に与えて、自分はさらに豊かである。
<老子名言集その6>
人が生まれるときには柔らかで弱々しく、死ぬときには堅くてこわばっている。
草や木が生きているあいだは柔らかでしなやかであり、死んだときは、くだけやすくかわいている。
だから、堅くてこわばっているのは死の仲間であり、柔らかで弱々しいのが生の仲間である。
<老子名言集その6>
人が生まれるときには柔らかで弱々しく、死ぬときには堅くてこわばっている。
草や木が生きているあいだは柔らかでしなやかであり、死んだときは、くだけやすくかわいている。
だから、堅くてこわばっているのは死の仲間であり、柔らかで弱々しいのが生の仲間である。
<老子名言集その7>
天の道は、争わないで勝ち、ものもいわないで応えることにすぐれているし、招かれないでも進んでやってくるし、のろのろしているようで謀りごとをうまくたてるものだ。
天の網はひろくて大きい。目は粗いが、逃がすことはない。
<老子名言集その8>
大河(揚子江)や海が幾百の川や谷の王である理由は、(この二つが)すぐれて低い地位にあるからだ。
・・・それゆえに人民の上にあること(統治者になること)を望むならば、そのことばを低くしなければならない。
人民の先頭に立つ(指導者になろう)と望むなら、一身をかれらのあとにおかなければならない。
<老子名言集その9>
天下を勝ち取るのは、手出しをしないことによってである。
どうしてそうだと知るかといえば、コレ(「今・ココ・私」に落ち着くことが出来れば、そのコレが宇宙の中心、宇宙を持ち上げるテコの支点)によってである。
<老子名言集その10>
知っているものは、しゃべらない。しゃべるものは、知っていない。
穴(感覚器官)をふさぎ、門(理知のはたらき)を閉ざす。
(こうして)すべてのもつれは解きほぐされ、すべての激しい様子はなだめられ、すべての塵は(はらい除かれ)なめらかになる。これが神秘な「同一」(玄同)とよばれる。
<老子名言集その11>
学問をするときは、日ごとに(学んだことが)増してゆく。
「道」を行うときには、日ごとに(することを)減らしてゆく。
減らしたうえにまた減らしていって、最後に何もしないことにゆきつく。
この何もしないことによってこそ、すべてのことがなされるのだ。
天下を勝ち取るものは、いつでも(よけいな)手出しをしないことによって取るのである。
<老子名言集その12>
高い「徳」のある人は、何も行動しないでしかも何事もなされないということがない。