令和4年9月18日(日)午前10時より
第一回伊路波いちばミーティングが開催
されました。
今回はグループラインの開設後に
グループの仲間のお二人が道に迷い
遭難された後のほぼ一か月後の開催と
なりましたので、話題が特にそのことにも
集中がありました。
お二人の内のお一人Aさんが参加され
御礼のご挨拶とご報告をされています。
Aさん(女性):
救助時ヘリが呼んだ。沢の場所に待機していた。
男の人が4人呼んだ。「発見しました」と本部に
報告?沢の近くにいたので水は大丈夫だった。
救助されたとき「大丈夫ですか?」
警察署の人が
「見つけてあげられなくてごめんね」と
言ってくれた。マスクをしていたが
あとでその人がだれかすぐわかった。
一日1~2本ほたるいか。リンゴの乾燥チップ少しだけ。
13日早朝からSさんが尾根に向かって
登り始めた。12時間登って50センチ平方の
わずかな場所で携帯が「ピッ!」と鳴った。
6日から8日まで公的捜索が続いた。
8日の夕刻、関東のご夫婦がドラム缶を
叩くような音を聞いたと役場にみえた。
(あとでわかったことだがキツツキの音)
だがそのことで翌日の捜索延長が決まった。
9日には紺色のジャージと折れたステッキ発見。
そのことでさらにもう一日捜索延長。
(その二つ共にお二人の物でないことが後に判明)
10日 5日目の捜索にも関わらず未発見
公的捜索は打ち切られた。
11日12日ヘリ飛ばず。
それでSさんが決心し単独で尾根に向かうことになった。
思えば奇跡の連続だった。
家に戻ってきた時、取材に来たが拒否。
Sさんが取材に応じた。
「岳人」11月号に「遭難特集」で掲載予定。
「YAMAP]にも。
火種を護るのが仕事。ライターは2~3日で
なくなった。大変だった。筋肉が衰えた。
「太道治療院」に行ってから動けるようになった。
二度目だいぶとれたね?と言われた。
3回目は今からです。
続く・・