2837「病気・事故・障害の意味」2022.10.2 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年09月26日の記事を紹介します。

「病気・事故・障害の意味」

この地球の3次元で、私達が暮らす現実は、全て私たちの心が作り出しています。

ですから、

・幸せになること

・神様に近づくこと

そうするためには、自らの心を浄化しなければなりません。

自分の心の浄化は、

・どこかの誰かや

・どこそこの神様

・パワーを持つと自称する人

このように自分以外の他者の力でなされることは決してありません。

一瞬はよくなったと見えても自分の心が変わらなければ、

再び心が、前と同じ状況を創り出してしまいます。

それでは、今日は病気と心の切り口で書きたいと思います。

ここ連日紹介している神様の意識のまま生まれて来た6歳のトキ君が

病気、障害について話しています。少しご紹介します。

この中でトキ君(山幸彦の魂)は、次のように話しています。(少し補足しています)

・病気になるのは、生まれる前に自分で紙に書いてきたから

(=自分で設定してきた。決めてきた)、その通り病気になっただけ

・身体が壊れると、魂が抜ける

 身体は、魂の乗り物。身体と、魂は別物。魂は永遠に存在している。

・障害者になっても、全然大丈夫

・例え身体が痛みで苦痛であっても、

 楽しいことをする・考えることで、痛みを忘れることができる(心と体は別物)

・ガンと戦う・・このような考え方は間違い

・病気と闘ってはダメ

・病気は神様からのプレゼントだと気づけば大丈夫

・病気や障害は、神様からのプレゼント

・例え、病気や障害になっても、自分の決めてきた寿命までは生き続ける(乗り越えられる)

・物凄く痛みを伴う時は、乗り越えられる障害

 寿命である時は、痛みや苦しみを伴わないので区別することができる

・大きな試練が起こる前に、小さな試練が複数起こる

・神さまのプレゼントを受け取れば、運が良くなる

・神さまのプレゼントとは、苦しいこと、辛いこと

・神さまは、このプレゼントを通じ、私たちの「直すべきこと」を教えてくれている

・「直すべきこと」は、多くが神さまの用意してくださった環境に満足せず、

頑張って変えようと眉間にシワを寄せる事

・「頑張る」は神様の目から見れば、悪いこと

 苦しく、辛いことであっても、「直そう、戦おう」とせず、素直に神様のプレゼントを感謝を持って受け入れること

・病気や障害に感謝すること。受け入れること

・病気は自分で治せる

・神さまが病気を通じ教えてくださった、私たちの「直すべきこと」を知り

(=頑張ることをやめ、自分の今の環境に感謝して受け入れる。(聖なる)諦める)

・このことによって、病気を通じ神様が教えたいと思ったことが成就して、病気は必要なくなり消える

・治らない障害を受けたとしても

 神さまにとっては、肉体(乗り物)は障害であっても、心には障害はない

・病気や障害は、頑張って乗り越えるものではなく、「簡単なこと」と思うこと(重大に考えない事)

(深刻に考えて、病気や障害にエネルギーを与えないこと)

・普通の人は、自由に肉体が動けるけれど、心が自由でない人が多い

・障害者の人は逆に心が自由(神さまのプレゼントを受け入れ、素直に受け取っているから)

・心が自由だから、何か嫌なことが起こっても楽しめる

・辛い状態の時、「神さま、助けて」と言うのは、心が自由でない証拠

・心が自由な人は、そんな時でも「幸せです。ありがとう」と言える人

・ガンになっても「ありがとう」

・何故なら、病気や障害は、神様からのプレゼントだから

・どんな病気も障害も、「絶対乗り越えられるから大丈夫」

・神さまのプレゼントを受け入れて

 それで「楽しく生きるんだ」と自分で決めること、決心すること、神様に感謝すること

・それで病気や障害を乗り越えられる。一番大切な心が自由になる

・心が動けば、自由であれば、何でもできる!

・心が自由であること、楽しく生きること

・これが神さまが教えてくださった病気や障害を乗り越える方法

・病気や障害になったら「幸せです。ありがとう」

・心が何物にも縛られず自由なら、幸せになれる。

今度は以前「病気・事故」について書いた記事を御紹介します。

私たちは肉体的な制約のない「意識」だけの世界(神の国、黄泉の国)から

この地球の3次元の世界に生まれてきました。

生まれてくる際には、永遠の魂の持っている記憶を全て、

いったん白紙にされ、忘れさせられて生まれてきます。

そして一生のうちに経験する全てのことを、あらかじめ決めてから生まれて来ます。

この不自由な物理的な世界で肉体があるがゆえに、霊的な生命体の時には無かった「感情」を味わい、様々な縁ある人々とも、まるで「初めまして」と一から関係を構築していきます。

そして、地球での生活の中には様々な、イベントが埋め込まれています。

楽しいことだけではありません

・別れや死別

・裏切り、意地悪

・憎しみ、嫉妬

・悲しみ、苦しみ

様々な人々の、様々な感情の中で翻弄されながらも、自分なりの花を咲かせようと、私たちは懸命に生きていきます。

何故なら、そのような経験はこの地球の3次元の世界、短い一生の間にしか味わえない

貴重な 魂を磨く機会だからです。

でも、これらは全て自分で決めてきたことです。

私たちは

・この置かれた世界で、

・この置かれた立場で、

どう生きていくか?

それが、問われています。

送り出してくださった神様、そして、多くの故郷の星の同胞たちが見守っています。

ですが、そうであるにも関わらず、あまりにも見えない世界、霊の世界、下世話な言葉で言えば「お化けの世界」のみを重要視し過ぎて、 実際の目に見える日々の生活、そして身近な周りの人々との優しさや、思いやりの愛の交換を忘れてしまっては本末転倒になってしまうかもしれません。

何のために、ここ物質地球に来たのかわかりません。

ここは物質次元の地球です。

今日のテーマ 「病気と事故」

生まれてくる前に、自分で決めてきたシナリオ通り、人生が進むのであれば、

私たちを苦しめる、貧困や病気、事故の意味とは何でしょうか?

世の中に一つも無駄なことはないと言われます。

神さまは決して私たちを苦しめ、悲しませるためだけに、物事を起こすわけではありません。

全ての自分に降りかかる出来事は「空」、すなわちニュートラルである。

そこに良い、悪い。 幸、不幸の色を付けるのは、自分の心である。。

そうブッダは般若心経の中で教えてくださいました。

一般的にいう「不幸」の代表として病気と事故があります。

そして、病気をした人は、「より優しく」なり、事故に遭った人は、「より謙虚に」なります。

「どうして、自分だけが不幸な目に遭わなくちゃならないんだ」と言う人もいれば、

病気や事故のおかげで、心が清められたと、感謝する人もいます。

私たちの日常生活の中の、幸せ、不幸せは、こういうもののとらえ方の違いによって成り立っています。

目の前の現象は、もともとニュートラル(中立)で、なんの意味づけもされていないのに、

私たちが勝手に評価・論評を加えているということです。

すべては自分の私たちの心が決めています。

少し小林正観さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

私たちは、20世紀的な価値観から、そろそろ抜け出してよい時期に来ているのではないでしょうか。

20世紀的な価値観とは

・競うこと

・比べること

・争うこと

を基礎とする価値観。

そうではなく、21世紀は、

・競わないこと

・比べないこと

・争わないこと

を基礎とする価値観。

そうできないものでしょうか。

それは、戦うことではなく、自分が楽しいと思えるような

(この瞬間だけでなく、未来にわたって継続できるような、楽しい) 生き方をするということにほかなりません。

自分の生活の中で

・他人と比べない

・世間と比べない

ということが身についたら、生きることが、どれほど楽になるかわかりません。

今まで、相対評価というのが、人の価値観をずっと形成してきて、

それにまったく疑問をはさまないで私たちは生きてきました。

・競争すること、

・比べること、

・争うこと

を教えられてきましたから、「優しさ」をたくさん持っている人ほど、心の奥底で「何かが違う」と叫んでいるわけです。

その心の叫びとは裏腹に、表面の部分では、猛烈に争って、戦って、いい成績を収めたという、その乖離が激しい人ほど、往々にして病気を招くという例が多いように思います。

それは、その人自身が優しいがゆえに、自らが元の姿に戻るためのシナリオを、生まれる前に書いてきているのでしょう。

「自分の力ですべてやってきたんだ」という驕り、高ぶりが強くなったとき、病気という形をとって、本来の謙虚さに立ち戻るシナリオが働くのではないでしょうか。

人は、病気や事故によって、より優しく、より謙虚になり、その結果、競争原理というものを捨て、これまで体験した すべてのことに「ありがとう」と言えるようになるようです。

<引用終了>

今自分の目の前に起きている、悩み、苦しみ、偏見、貧困、差別、病気、ケガは、自分にとって何をもたらそうとしているのか?

それを経験することで、私たちの魂は、何を得ることができるのか?

それは、その現象の表面だけの辛さを見て、不平不満、愚痴、悪口を言っている間は、

決して気づくことがないでしょう。

そこに隠された神様の意図を、感じ取れた時、その現象は、役割を終えて、いつの間にか消滅し、記憶のかなたに消えていくことでしょう。

皆様が内にいらっしゃる神さまに気づき、お幸せになられますように。