2855「縄文回帰」2022.10.20 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年10月12日「縄文回帰」と2022年02月25日「縄文スピリッツ」の2つの記事を紹介します。

「縄文回帰」

日本に古く、縄文時代から存在した「神道」の考え方。

これは、教祖も教義を持たず、よって宗教とは言えません。

古くから日本人が持つ、心のよりどころのようなものです。

そこで説かれることは、

・神々の恩寵は、人間の感謝の心を媒介として現れる

・神職など、職業的な立場の人を媒介とするのではなく

 人間が心を清め、神々と直接的に繋がることが大切

など。

これらは、私たち一般人の、今までの常識とは少し異なっていることかもしれません。

ですが、このことは古代から存在している由緒ある神社仏閣では、常識とされていた物のようです。

私がこのことを、はっきりと知ったのは 、春日大社の元宮司、さらに日本の形成外科医の草分け的な存在であった葉室頼昭さんの「神道のこころ」という本からです。

巫女や神職など、人々と、神々の間に入り、仲介することを、職業として行い始めたのは、

多分、日本では大和朝廷設立 直前、つまり大陸からの好戦的な民族が日本全国を制圧し始める直前の邪馬台国の時代、卑弥呼やその後継、トヨなどの時代からと思われます。

それ以前の日本は

平和で、神々と人々が直接繋がり、世界一、平和で豊かな時代と言われる縄文の時代でした。

約1万5千年続いたと言われています。

大陸から好戦的な民族、弥生族が来るまでは、争いもなく、所有の意識もなく、上下の違いもなく、人々、一人一人が純粋な心を持ち、それゆえに、みんなが直接的に、神々と繋がれた時代でした。

もし、日本古来の神道というものがあるとするならば、それは縄文時代に一般的だった

・物の見方、

・考え方、

・生き方

そのものです。

そして、それはムー時代の生き方でもありました。

私たち日本人は、縄文の古来より、ムーの生き方を大切に守ってきた民族と言われています。

そして、その精神と伝統は今でも息づいています。

文明の大転換点である今、西洋で始まった産業革命に端を発した利益追求主義、行きすぎた資本主義、骨までしゃぶり尽くす金融資本主義は終わろうとしています。

この終焉を迎えようとしている現在の文明では、人々は、ずっと真実から遠ざけられ、

常に不安の中に置かれ、自立した魂の働きが封印されて来ました。

常にお金や権力に頼ろうとし、常に力ある者、能力あるものに頼ろうとする依存、執着の状態に置かれたのです。

それは、彼らが軽蔑の意味で使うゴエム(奴隷)と言われる状態です。

この時代、その仕組みを お手本に

・大小様々な、依存・執着と

・それと一体となった支配

が、私たちを身近で取り巻いて来ました。

この精神構造は宗教でもそうでした。

イエスの生きた時代、イエスは、宗教など作りませんでした。

イエスの死後、国王をもしのぐ、強大な権力を握ろうとした者たちにより教会が作られ、戒律が制定され、宗教と言う組織が出来上がりました。

それは、人間の持つ、ピュアな信仰心とは、全くの別物であり、まさに人々を権威と恐怖で縛りつけ、他者(教会)に対する依存・執着状態に置き、自分たちを、その対極となる、支配する立場に置いたのです。

それが、今まで私たちが置かれていた精神構造でした。

本来は、イエスやブッダのように自立した自由闊達な魂の状態で、神仏に対するピュアな信仰心、先祖を大切に思う敬心、そして、生きている人々に対する、

・お互いさま

・お陰さま

相手の個性、尊厳を大切に思う温かな心、優しい心であったはずでした。

ですが、この宇宙の大神様が作ってくださった人間の精神が、萎縮させられて来たのです。

「縄文回帰」が様々な所で叫ばれています。

縄文回帰とはこの、依存と執着、そして支配の構造から人間の精神を解放させ

縄文の時代のように人々が、一人一人、直接的に神々と繋がる時代を思い出そうと言う

大きな運動(ムーブメント)です。

これは、ブッダグループが1,200年単位で、人類に対するアプローチをしている中で、

現在、実際に行っているアプローチ方法です。

このブログで何度もご紹介しています通り、ダライ・ラマ、そしてマザーテレサも同じことを仰っていますので、ブッダ・グループの計画を知り、そして協力なさっているのでしょう。

そして、その人類へのアプローチが目指すものは、一人一人の人間の 本当の幸せです。

私たち人間はしっかりと自分の足で、大地に立ち

例え、貧しくとも 

例え、病にあっても

清らかな心で、天を仰ぎ 

神々に感謝し、そして微笑む時、

本当の幸せをかみしめることができるのかも、しれません。

「縄文スピリッツ」

日本人には、はるか縄文の時代から、1万年以上も続く、ものの考え方の基本があります。

自然を敬い、全ての物にスピリット、魂を感じ大切にするという、いわゆる古神道の考え方です。そこでは、神々はもちろん、死者でさえ敬い、その幸せを願い、喜んでいただくことこそが、生きている私たちの幸せに繋がると信じられてきました。

このような考え方、生き方こそ、私たち日本人のDNAに息づく尊いものであり、まさに、そのことにより日本は世界のひな型と言われるようになりました。

今回、神々に近い魂として、破壊の時代の予行演習がなされました。今の時代はまさに、私たちのDNAの中に眠る縄文のスピリッツの遺伝子をONにする時代が訪れています。

私たちの祖先の縄文の時代は、1万5千年間も日本で続いた平和な時代でした。その時代には、争いの形跡が一切見つかっていません。争い、いさかい、過度の所有意識が始まったのは弥生時代からです。つまり弥生族が大陸から日本に渡って来てからのことになります。

どうして縄文人は争いをしなかったのかというと、その理由は、縄文人は外に「神」を作らなかったからでした。「神」は人それぞれの「自分の中にある」と信じて、お互いの「神」を尊重しあったからです。

自分の中の「神」が尊重されるには、相手の中の「神」を尊重しないといけません。

このように、すべての対象のうちにある「神」を尊重しつつ、自分のうちにある「神」に感謝した時代が縄文時代であり、古神道の基本的な考え方でした。

これは、まさにブッダグループが、人類の精神性の進化のために時を超え、今の時代に、取っている方法論と全く同じです。

まさに縄文回帰、「縄文の心を取り戻せ」のスピリット。 これこそが、私たちが、私たち一人一人の心の中にこそ神さまを見出し、お互いを尊重し認め助け合い、お互いさまの気持ちで生きて行く精神的な支柱となります。

今の時代に言われている「国常立尊の復権」とはそう言う意味を持っています。

地上の変化は、まず目に見えない世界で起こります。上なる如く、下もまた然り・・です。

そして神々は、人間の精神性の復活を通じ、この地球を変えて行きますが、その変化は、多くの人が期待するような

・派手で、

・ドラマチックな、

・天変地異のような

やり方ではないと思われます。大事な物は見えない・・・いつの世でも、やり方は同じです。

単なる好奇心を満たすような、人目を極端に引くサーカスを見せるような方法は取りません。地味ですが、着実な方法です。

私たちのハートの中には

・先祖を大切に思う敬心

・死者の幸せさえも願う優しさ

そして、生きている人々に対する、

・お互いさま

・お陰さまの心

相手の個性、尊厳を大切に思う温かな心、優しい心でありました。ただ、明治の文明開化、戦後の敗戦処理によってその大切な心が強制的に、忘却させられていただけです。

その美しい神のような心を取り戻せば、きっと、気付いたら、いつの間にかミロクの世が始まっていた・・ そのようになっていることでしょう。

今は、建て替え、つまり破壊の時を過ごしていますが、これを耐え忍べば、いよいよ美しき世界への建て直しの時期です。希望を持ち、周りの人々と助け合いながら、笑顔と感謝の気持ちで暮らしていればきっと、その美しき世で暮らすことができるでしょう。