2856「魂を高みに上げるもの」2022.10.21 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年10月16日「魂を高みに上げるもの」と2021年01月28日「神様からのメッセージ」の2つの記事を紹介します。

「魂を高みに上げるもの」

今日は、障害を持って生まれてくることの意味についてのお話です。

クラリオン星人の小学4年生の久松奏拓(ひさまつ・そうた)君のお話です。

先日レインボーチルドレンのまりなちゃんのお話を書きましたが、

そうたくんも、まりなちゃんと同じく、

まさにこの過渡期の地球を救うために神様から送り込まれたような子供です。

小学4年生とは思えないほど、知性が高く、まりなちゃんと同じように

宇宙の真理、神々の意思を語っています。

映像も是非ご覧ください

大切な部分かいつまんでピックアップしてみます。

・障害を持って生まれてくる。将来の障害を計画して生まれてくること

・それは凄い幸運なこと、喜ばしいこと

・障害を持って生まれてくる確率の方が大分低い

・障害という大変な経験をすることで、物事をいろんな角度から見れるようになったり

・他の人にはできない学びが一杯ある

・わざわざ、その苦労を分かって、それを魂的に楽しむために生まれて来た

・いつも同じアイスだけど、今度は違う味に挑戦してみようかなど、結構軽いノリで選択してくる。

・でも、誰でもが、障害のある人生を選べるわけではない

・何度も人間を経験してきた魂だけ

・特別な契約をして、その予約が取れた時だけ、この人生を選べる

・この特別な状態を、何億人もが行列待ちをしている。

・障害を持って生まれてくること、将来の障害を計画して生まれてくることは、

 宝くじ1等に当たるくらいの確立しかなく、相当に喜ばしいこと

・それだけレベルの高い経験である

・だから、その状態を「かわいそうだな」と思わなくともよい

・障害を経験する計画を持って生まれてくる人は、

・他の人と比べて自分の力でいろんな経験ができる人

・その経験ができる人は、神様が選んでいる

・そして自分で納得し、特別な契約を交わし、生まれてくる

・その子の親となる人も、大変な倍率の中から選ばれた人

・その親になる人も、神様に選ばれてきた人

・何も知らない親は、自分を責めている人が多いけれど、

・その自分を責めてしまう経験でさえ、魂はわかっていて、求めて親になることを承諾してきた

・お母さんも、その経験をしたくて、予約して、やっと選ばれて生まれて来た

・その経験をお互いがすることで、魂の経験値が一気に上昇する

・親も、当事者の子供も、普通の人にはできない大きな「感情」を経験できる

・生きている間は、障害を選んで生まれて来た記憶はないけれど

・それが分かっていたら、最初から正解が分かっていたら、何の経験値も得られないから。

・でも、死んだ後、肉体を去って天国に帰った時に、そのすべての崇高な計画が理解できる

・生きている間、いろんな感情を味わいながら、

・泣いたり笑ったりしながら人生を歩んでいくことこそが、魂にとって、

・大切な経験値となる

・悩んでいること、チャレンジしていることが、魂にとっては楽しい経験となる

・魂にとって、その境遇を

・苦しむことも、楽しむことも、とっても大切な経験となる

・生きている間、私たちはこれらのことを全て忘れているため

・障害を楽しむという概念がないけれど、

・本当は、自分で望み、何億人もの行列を待って掴んだ大切な人生経験

・もう少し、その経験を楽しんでも良いのかもしれない

今度は違う味に挑戦してみようかなど、結構軽いノリ・・

私たちは、少し人生を重く考えすぎているのかもしれませんね。

・こう、あらねばならない

・そこから外れたら、負け、破滅

・物質的に豊かでなければならない

・高級なものを沢山持ち、ぜいたくな暮らし

・人の世話には絶対なってはいけない

などなど。

ですが宇宙的な視点、神様から見ると少し違うようです。

人生で起こること、良いも悪いもない

全ては、魂の経験

地球でしか味わえない「感情」を通して、魂の経験値を上げていく、

ワクワクするような地球での経験

そんな経験がしたくて、私たちは地球にやってきた。

ここ地球で起こる全ての経験は、自分と神さまで相談して決めてきたこと。

神様は、私たちが生まれてくるときに「楽しんでくるんだよ」って送り出してくれたこと。

私たちは、生まれてから、肉体を脱ぐときまでずっと、守られていること。。

地球意識がそれを許してくれていること・・

この地球で出会う、家族、友達

・私が好きな人

・私を好きな人

・私が嫌いな人

・私を嫌いな人

みんなに感謝ですね。

「神様からのメッセージ」

 (前半省略)

さて、今日のお話です。どんな方にも、心の内に神様がいらっしゃいます。

そして常に神様は、私たちとともに歩み、喜び悲しみを、共に分かち合ってくださっています。今日は、どんな方にも神様はちゃんとメッセージを下さっているんだよと言うことで、

ひとつの例をご紹介します。

<転載開始> 転載元

作家の佳川奈未さんは作家デビューする前、離婚して3人の子供を育てていくために、雑誌ライターのほか、3つの仕事を掛け持ちしながら朝から晩まで働いていた。そんなハードな生活が数ヶ月過ぎたある日、身体と心のバランスを保っていたネジがポンと音を立ててはじけ飛び、生きることをどうしても続けられなくなってしまい死を選ぶことを決心する。

ひとり死ぬためにまだ日の昇る前の早朝の海へと向かう。ところが死ぬことができない。

怖いわけではなく、誰よりも早くいったつもりが自分よりも早く来ている人がその日に限っていて邪魔をするからだ。

「神様はこんなに生きづらくしておきながら、成功するチャンスどころか、死ぬチャンスも与えてくれないのか」と佳川さんは悲観にくれる。

海では死ねないので、佳川さんは電車に飛び込んで死ぬことにして、海辺から駅へと歩いて向かう。

駅にたどり着くと、駅前には大きな本屋があった。 「自分はとうとう作家になる夢も叶わないまま死んでいくんだなぁ」と,心でつぶやきながら、なぜか、死ぬ前にもう一度、自分の一番好きな場所だった本屋に立ち寄りたいと思い、中に入っていく。

ぼーっとしながら、一番近くの棚のそばに立ち、そこに並ぶ本になにげなく目を向けると、一冊の本から『ぜったい守ってあげるから!』というタイトルの文字が、バーンと佳川さんの目に飛び込んできた。その文字を見て、佳川さんは呆然とする。

なぜなら、自分が守ってあげたいと思うものを守れず、そして自分自身も誰にも守ってもらえずひとりもがき苦しんでいた。そして死を覚悟した。

『ぜったい守ってあげるから!』なんて 優しく温かなこんな言葉を誰からも言われたことなどなかったからだ。

なのに、その本がそうやって訴えかけている。そのことが衝撃だった。

佳川さんは、すぐにその本を手に取り、開き、読んで、その中にあるメッセージに涙がボロボロ流れてきて、止まらなかったそうだ。

そして、“私もこんなふうに誰かを救えるものを書きたい!やっぱり書きたい!”と

死のうとして冷え切った佳川さんの心に熱い思いが込み上げてきた。

結局、それがきっかけとなり、死ぬことを踏みとどまった佳川さんは出版社に書いたものを持ち込み、デビュー作が生まれる。佳川さん自身、もう一度生まれ変わったのである。

死を覚悟してなにげなく書店に立ち寄った時、目の前にあった本のタイトルという形に姿を変えた「天からのメッセージ」を佳川さんは受け取ることができた。

メッセージはそれ以前にもたえず投げかけられていたのだと思う。でも、佳川さんにとってはその日、その時が受け取る“時”だったのかもしれない。

佳川さんは「いま思えば、その言葉は、その本からのメッセージでもあるのですが、まぎれもなく、天が私を守ってくれているという尊いメッセージでもあったのです」と述べている。

<転載終了>

神様からのメッセージは、実はいたるところにあります。それに気付くかどうか。偶然として片づけてしまうかどうか。

特に今回ご紹介した佳川さんのように生死にかかわる時には、強いメッセージがもたらされます。

神様からのメッセージというと、とかく頭の中に厳粛な声で響いてくるもの。。と思っている人が多いかもしれませんが、神様はあまり、あからさまな方法を取らないことが多いようです。

人を通して語られる言葉とか、偶然目にした本のページとか。。

心の内なる神様を信じ、心を研ぎ澄ませていれば、必ず気付くと思います。

佳川奈未さんは「感性」とは、ある印象を受け入れる力だといいます。

感じたものを育む能力が、実は良いものを引き寄せるためには必要なのです。

感性が鈍いと、今自分に必要なものを見つけられないのです。

と仰っています。

皆さんにも、同じように神様は、何時もメッセージを下さっています。例外はありません。

ですが、普段から不平、不満、愚痴が多く、人や、世の中に文句ばかり言っている方は、

受け取りにくいかもしれません。

ご自分の心が、そのような黒いもので一杯で神様の恩寵が入ってくる隙間がないからです。

素直に吸収する余地がないからです。

私たちは、亡くなるときの心の状態が、死後の行先を決めてしまいます。厳然とした波長の法則つまり、類は友を呼ぶ の法則が働くからです。

不平不満、悪口で人生を閉じる人は眉間にしわを寄せ、鬼のような顔をしているかもしれません。死後は、同じような人が、待ち受けるところに行くことでしょう。

人々に感謝し、笑顔でありがとうと言っていた人のお顔はきっと仏様のようなお顔で、行くことになるでしょう。

その先には、同じような、優しく、心暖かな人が待っていてくださることでしょう。

奈良で生まれ、比叡山で修行した源信が「往生要集」で、その様子を描いています。

神様の声、恩寵は、差別なく、万人に届いています。

皆さんもぜひ、内なる神様の声に耳を澄まして聴いてみてくださいね。