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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年11月05日の記事を紹介します。
「神々の望むもの」
イエスがゴルゴダで亡くなるまで、たった3年間でしたが、民衆に教えを説きました。
その後、バチカンを中心に教会が作られ宗教が作られましたが、
イエス自身は、クリスチャンでもなかったし、宗教を起こそうとしたわけでは、ありません。
ただ、民度の低かった人々に、自分たちの内なる神さまの存在を説き、
どうしたら、みんなが幸せに、笑顔で暮らしていけるか?
その方法を説いたのでした。
イエスの最後の3年間、聖書を書いた弟子たちが
様々なエピソードを、それぞれの視点から書きました。
ヨハネなどは、その中でも、できるだけ、人々の心の中に、依存心を起こさせないよう、
他人や、奇跡に頼らないように、極力、奇跡に関する記述を排除しました。
またイエス自身も、下記のようなことを仰っていました。
イエスの語る、全ての良きこと、そして行った奇跡は
イエス自身の力ではなく、全ては神さまから来ているのである
イエス、つまり自分自身は、全く無力であり、単なる、その通り道、導管にすぎない。
もし、誰かが、他人に頼ることなく、依存することなく、
自分の内に居らっしゃる神さまと繋がりができたら、
イエス以上に、奇跡を起こし、良きことをするでしょう。
そのように、自ら表に出ることなく、謙虚に仰いました。
イエスの説いた教えの中で「黄金律」と呼ばれるものがあります。
大変シンプルなものです。
そして、それこそが、
・イエスが人々に教えたかったこと
・実践して欲しかったことのエッセンスです。
日々の暮らしの中で、私たちができる最善のことは、
イエスの仰った「黄金律」の中で述べられています。
イエスは、こう仰いました
人にしてもらいたいと思うことを、人にして差し上げなさい。
たったこれだけです。
とてもシンプルです。
ですが、これがイエスが、最後の3年間に説いたことのエッセンスです。
人が、何をして欲しいと願っているのか?
・想像力を働かせる必要があります。
・人の気持ちに寄りそう必要があります。
もしかしたら、同じ悩み、苦しみを経験してきた人の方が、
相手の方の気持ちを理解し、寄りそえるかもしれません。
いままで成功し続け、身体が健康で、お金の不自由をしたこともない人には、
相手の方に寄りそうこともできないかもしれません。
気持ちを理解することもできないかもしれません。
それだけでも、今私たちの置かれている
・悲しみ、
・苦しみ
の苦難の経験は、無駄ではなく大切な経験であると言えます。
中間世記憶のある子どもたちが言うように
・両親
・容姿
・病気や健康、
・生きて行く境遇まで、
生まれる前に神様とともに、自分で計画してきたのですから。。
またブッダは、生老病死について深く思索し、人間のさまざまな悩み、苦しみの原因について、そして、その解決方法について教えてくださっています。、
その教えの真髄を、
現在でも、様々な場所で、唱えられる般若心経で教えてくださっています。
人間が生きて行くなかで様々な、悲しみや、苦しみが起きる。
でも、それには一切、色が付いていない。
色とは、
・良い
・悪い
など、人間が判断し決めつけているものです。
色が付いていないとは、、どんな現象も、良いも、悪いも無いのだよ・・
そうブッダは仰いました。
その起こってきた現象に良いとか、悪いとかレッテルを貼り
一喜一憂し、悩んだり苦しんだりすることが、色を付け、ジャッジする人間の
悩み苦しみの原因になっているんだよと
般若心経で教えてくださいました。
とは言っても、私たちは生身の人間、どうしても、感情が揺さぶられます。
でも決して、それが悪いことではないのですが、いつまでも引きづり、不平不満、
愚痴の種にしてしまうのが、いけないようです。
産婦人科医 池川明先生の大規模な調査の結果、小さな子供たちの 実に1/3に、
生まれる前の記憶、つまり中間世の記憶があるそうです。(段々と薄らいでいくようですが)
その記憶を持つ子供たちの証言に寄れば健康な身体、病弱な身体・・
それらも生まれる前に神さまと相談して、自分で申告してから生まれてくるそうです。
つまり、その経験をすることによって魂を進化させるためです。
言いかえれば、感謝の気持ちを理解できるようにするためです。
私たち人間は健康であったり、豊かであると、どうしても、その状態が、「当たり前」であり、有難いことであるとは、全く思いません。
目の見えない友人(犬)のためにできること・・
ですが、病気になって見れば、健康だった時、どんなに幸せだったか・・
空腹で、飢餓状態の時に、一つの塩おにぎりが、どんなにおいしいことか?
貧乏のどん底に落ちた時、100円玉、500円玉が、どんなに有難いか理解できます。
今まで、「当たり前」で、「有難いこと」などと思ってもいなかった状態が、
どんなに「有難く」、幸せな状態だったかが分かります。
当たり前の状態に、感謝することができます。
神道では、神々の恩寵は、誰にでも平等に注いでいるが、それが実際に現れる人、
現われない人の差が出るのは、感謝の心が、あるかないか、そこに尽きると 言われます。
ですから、人生で起こってくる様々な艱難苦難は、長い長いスパンで見れば、私たちに、
・本当の幸せとは何か?
・感謝の気持ちとは何か?
・お互いさまの気持ちとは何か?
・お陰さまの気持ちとは何か?
そして、そこから湧き起こってくる周りの人々との、協調、調和、相互理解、助け合い、思いやり、そんな気持ちまで発展させてくれる、尊いものです。
最後に、相田みつをさんの「仏の教え」についてご紹介して終わりにします。
「ほとけさまの教えとはなんですか?」
ゆうびん屋さんが困らないようにね
手紙の宛名を分かりやすく正確に書くことだよ
「なんだ、そんなあたりまえのことですか」
そうだよそのあたりまえのことをこころをこめて実行してゆくことだよ
イエスの黄金律と全く同じですね。
私たちは何か
・特別な誰かに頼らなくても
・特別なことをしなくとも、
・特別な場所へ行かなくとも
・特別な能力などなくとも
周りの方々を思いやり、助け合って、感謝の心で日々暮らしていくことが
神々の本当に望んでいる姿のようです。