2899「出会ってくれて、ありがとう」2022.12.3 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2022/12/28992022123.html

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年11月24日の記事を紹介します。

「出会ってくれて、ありがとう」

私たちは、多くの倍率を潜り抜け長い順番待ちの末、

この地球に何をしに生まれてくるのでしょうか?

地球への転生は人気が高く、なかなかチャンスが来ないのだそうです。

何故なら地球は、制約の星と言われる通り、

魂本来の力や能力、記憶を一時消し去り、不自由な中で暮らすことで、

逆に、魂にとって飛躍的な向上ができるからのようなのです。

地球での生活で、皆が求める

・お金を儲ける

・人から羨ましがられる、地位や名誉を得る

・大きな家に住み、大きな外車に乗って自慢する

そういうものは、死ぬ時、元の世界に戻る時、持って行くことができないものばかりです。

では、私たちの魂が人生を通じて「嬉しい」と感じる時、それは、どんな時でしょうか。

人と触れ合い、心の交流を通じ、優しさや、思いやりの心で触れ合うことで、喜びや、悲しみを共有できた時かもしれません。

そんな心震わせる経験こそが、

目には見えないものですが、肉体を去った後、天国に持って帰ることのできるものです。

心震わせる経験をするために、この地球では、様々な舞台装置が準備されています。

・病弱な身体

・貧困の生活

・出会いと別れ

・友情と裏切り

泣いたり、笑ったり、悲しんだり、喜んだり、 地球にいる短い時間、

いろんな舞台で、いろんな役割を演じ、 様々に、心を震わせて、

美しい心を、強い心を養って、天国に帰りたいものですね。

さて今日は、以前紹介したことがあったのですが、

生まれる前の記憶、つまり中間世記憶を持つお子さんの言葉から、

障害を持って生まれる意味について、載せたいと思います。

「もう読んだよっ」て方は、遠慮なくスルーなさってくださいね。

病気や(身体、知的)障害を持つ、チャレンジングパーソンの人たちと言うのは、

非常に意識の高い魂をお持ちだと言われています。

病気や障害と言う高いハードルを自ら設定して生まれてくる、

まさしく高い志を持ったチャレンジングパーソンです。

また、その子どもたちに選ばれたお母さんの人生も、平坦なものではありません。

ノルマや効率優先、お金だけが全ての基準の社会の中で、経済的支援も十分でなく、偏見の波にもまれ、最初はショックで、「産むんじゃなかった」と嘆く人だっていたかもしれません。

ですが、その志の高いお子さんが選んだお母さんです。

その方も忍耐強く、愛の深い人なのでしょう。

多くのお母さんが

・この子のおかげで、人間として大きく成長できた

・たくさんの仲間と出会い、人間の可能性を信じることができた

と思われるようです。

それでは、ここでそれを裏付けるために、生まれる前の記憶を持つ

「りお君」が話してくれた内容をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

りお君は心臓病と喘息があり、入退院を繰り返している5歳のお子さんです。

お母さんが

「どうして心臓病を持って生まれてきたの」と聞いたところ、

「そのほうが面白いと思ったから」という唖然とする返事。

「喘息になったのはどうして?」という問いかけには

「だって、治すのが面白いから」だったそうです。

すなわち病気は自分で選んで、それを治すのが面白いから、というのです。

子どもさんの中に、生まれてくるときのことを覚えているお子さんがいて、

「病気の子がいいか、元気な子がいいか、神様に選ばされた」と語る子がいます。

そのお子さんは「元気な子」を選んだから元気で生まれたと言います。

病気を持つこと、障害を持つこと、たぶん同じ意味なのでしょう。

私たちはそれを乗り越えるために、興味を持ってチャレンジをしている、ということのようです。

それぞれの人は、それぞれのレベルで人生に挑んでいるチャレンジャーなのです。

お母さんの言葉を引用してみましょう。

「先天性の病気ということで、私は辛い気持ちを引きずっていました。

けれど、りおにそう言ってもらって、気が楽になりました。

それに、喘息も治せるはずだって、明るい気持ちになりました。

りおが病気でうまれたため、本当に大変でした。

けれど家族の支えがあったから乗り越えられましたし、沢山の経験を積ませてもらいました。

りおのおかげで出会った、病気と共に生きる子どもたちのことを、私は決して忘れないでしょう。

りおは、生きていること自体が奇跡なのだということ、そして家族の大切さを、気づかせてくれました。

感謝の気持ちでいっぱいです」

(『子どもは親を選んで生まれてくる』日本教文社)

<引用終了>

昔の日本では、障害を持って生まれた赤ちゃんを

「観音様の生まれ変わり」として、みんなで大切にする慣習がありました。

観音様は、人々がその名を称え、救いを求める声=音を聞きつけたら、

直ぐに飛んできて諸苦難から救ってくれる方です。

救いを求める人に合わせ、臨機応変に33の姿に変化して現れるとも言われています。

仏教の教えの中心に「利他行(りたぎょう)」と言う物があります。

自分のことは後回しにして、困っている人(他者)につくし、助けてあげることです。

その献身的な行いによって魂が磨かれ、仏の悟りに少しずつ近くことができるとされています。

障害のある人は、周りの人の助けがなければ生きていけません。

身近に障害者(児)がいる方々は、自然と利他行に励むことになります。

このように観音様(障害を持った人)は、私たちが無理なく修行に勤しめるように、

障害のあるお姿にわざわざ変化して、この世に来てくださったという意味なのだそうです。

だからお世話をする人は、功徳を積ませていただき、ありがとうございますと、感謝しなければなりません。

まして観音様(障害を持った人)を差別し、排除し、いじめることなど、どうしてできましょうか。

障害を持って生まれてくださった高貴な魂は、その家族や地域の中で、

人々を救うという大きな役割を持って、一緒に暮らしている方々です。

さて、せっかく「りお君」のお話が出ましたので、少し天国での様子や、

生命について語ってくれていることをご紹介します。

<引用開催> 引用元

「ぼく、夢で神さまに、みんなが死なないようにしてくださいって、お願いした。

神さまは、それは、だめだなって、いったよ。疲れると、死ぬんだって。

でも、だいじょうぶ、また出てくるの。いのちは、ぐるぐる回っているの。」

「人がここに来るのは、新しいことを学ぶためだ。

ここに来るのは、たましいの寄り道のようなものだ。

ここで学んだら、死んで、もとの世界に還っていく。

学ばないと、次のところに進めないんだ。」

「死ぬのは、怖いことじゃない。

病気で死んでしまう子どもたちもいる。

それは悲しいけれど、体はなくなっても、心は残る。

たましいは、必ずある。悲しみも、いつか消えていく。

それに、死んだら、また新しいことを学べる。

だから、死ぬのは、たいせつなこと。」

「人は必ず、喜びをもっている。

たとえば、生きる喜び。悲しめる喜び。

じつは、悲しめるというのは、幸せなことなんだよ。

いろいろな気持ちは、ぜんぶ幸せなんだ。

悲しめる喜びというのは、悲しんだ後、またハッピーになるでしょ。

そのハッピーは、前のハッピーより、もっと大きいハッピーになる。

だから、悲しみって、大切なんだよ。」

「人は、みんなにいいことをするために、生きている。

それを、自分の仕事、という。

みんなのために働かないと、仕事とは呼ばない。

自分の仕事がなければ、生きていけない。」<引用終了>

障害を持ったお子様をお持ちのお母様、お父様。

またご自分自身に辛い障害のある皆さん。

どうか勇気を持ってくださいね。

私たちは苦しむために生まれて来たわけではありません。

障害を持つ子供たちもそうです。

みんな高い志を持って生まれて来たのです。

わがまま放題、何も不自由のない人生は、魂にとっては、あまり得るものが無いようです。

人生の80年や90年の短い間、私たちはまるでジェットコースターに乗っているかのように、様々な物事に遭遇し、人との出会いと別れを繰り返し、泣いたり、笑ったりしながら過ごします。

病気や障害はそこにさらにスリリングな味付けをしてくれることでしょう。

人のできない苦労や差別も経験することでしょう。

悔し涙を幾度も流すかもしれません。

ですが、それら全ての涙が私たちの魂にとって光り輝くための基になるものです。

どうか、くじけずに笑顔でお過ごしください。

感謝の心と笑顔は、全ての苦しみ、悲しみを取り除いてくれる特効薬です。

人と人の出会いって本当に不可思議なものですね。

出会ってくださった、家族(子供)や友人、周りの方々みんなに感謝ですね。

皆様が内に居らっしゃる神さまと繋がる事で、お幸せになりますように。