11月11日 岩戸開きから 12月12日 弥勒の日まで その3

沖縄から戻っての11月17日、久しぶりに東京からのお二人の女性と食事することになっていました。

日本の真実について検証を進め、執筆活動をともに進めるお二人です。

日本の今を考える #47

紙の温度」に行きたいとの要望がありお連れすることになりました。紙の温度は日本でも有数の紙がある場所とのこと。丁度熱田神宮の南隣にあるのです。

てばさきの「やまちゃん」の文字で有名なOさんもこの神屋さんで紙を求めていると聞いていました。

熱心に紙を選んでいたSさんですが、いつもはネットで注文されるばかりで、実物の紙を見て物色できる幸せをお顔が表現していました。

お買い物が終わり丁度熱田さんの隣ですので「あつたさん行きますか。?」とお尋ねしましたら、首が横に振れました。

「それなら熱田さんを一周しましょう。」といいながらただの帰り道を、熱田さん一周して宿泊場所へお送りしました。

夜は久々に「しゃしゃんぼ」さんでいただきました。ここの料理長さんは元ニューヨーク灘万の料理長その方です。落ち着いたお店で、どなたに紹介申し上げても感謝されます。

楽しい会話の夜が終わりました。

そして半年前から決まっていた出雲詣での日、11月22日が来ました。

22年前冠の会で出雲詣でをしました。その時は正面大鳥居の前には小さなお店と竹内まりやさんの旅館「竹の家」さんしか記憶に残りませんでした。

そして今はといえば、鳥居前の大通りの両側にはびっしりとさまざまな食堂やおみやげやさんや旅籠が並んでいます。

鳥居から海のほうを見ますとはるか坂の下の方に大きな鳥居が見えています。 稲佐浜でしょうか。神無月のころ,その稲佐の浜に全国の神々が上がってこられ黒蛇(沖縄の久高島のイラブ)を道案内に、参道を出雲大社に向かって進んでこられるとか知りました。それを知ったのは出雲から戻って調べものをしている時でした。

翌日が新嘗祭のせいか、境内はなんだか落ち着かず神域の静けさが薄くなっていました。人の多さ。そして若者たちが、専門の解説者の話にじっと耳を傾け日本の国の成り立ち、出雲の神々の役割に興味を持って知ろうとする姿勢は、22年前には見られないことでした。

雨模様の稲佐の浜の清浄さと神々しさにビックリしました。付近の方々の清掃奉仕の陰のおちからを感じました。

出雲詣でが終わって名古屋に戻りました。

12月1日はおそらくこれで最後になるであろう「あんでるせん」の予約をする日でした。2月8日が目指す予約日です。

前回はまったく半日も電話が繋がらない状態でしたが、今回は10回目くらいであっさり繋がりました。

ところが8日はあるミュージシャンの皆さんの貸切となっていました。それで9日に変更し空きを聞きましたら、大丈夫とのことで安心しました。

カウンターの前の席が四人空いていました。お一人のみ先約があり総勢八人のうち4人がカウンターの席に座れることになりました。

番号は2番から9番まで。2月9日との数霊の一致にとても嬉しくなりました。

いよいよ12月4日 伊勢神宮 「神楽殿」での「太太神楽」その日となりました。