12月4日の月曜日に60名を超えるご縁の人々が伊勢神宮内宮の神楽殿前に集いました。
主宰は名古屋の冠之会の会員のKさんと三重県津の画家、小泉守邦さんです。
さまざまなご手配は小泉さんがすべて仕切られまさに邦を守るとういう名に冠するとおりにまことに細やかな配慮がなされました。
招かれた方々に一切の負担がなく、昼食の直来まで和気藹々の中で開催されました。
11時30分からの神楽殿での「大大神楽」はおそらく人生では体験できないほどのものでした。招かれた方々以外にもその日その時刻に神楽を所望された全国の方々も一緒に奉納となりました。200名近くの奉納となりました。
40分間に及ぶ奉納のお神楽の間に痺れを防ぐために漢方薬が皆様に配られる細やかな配慮がありました。
お祓い、神饌お供え、祝詞奏上の後、今までよく目にした四人の少女舞があり、その後「其駒」(そのこま)という曲にのって神楽人の長の方による「人長舞」がありました。そしてさらに「大大神楽」らしくあと二様の舞がありました。
其の日偶然に「大大神楽」に遭遇したほかの方たちの中にはあまりの時間の長さにあくびをされたり眠られたりされた方もみえたようです。
普段は正座して奉納する神楽を長く感じるものでしたがあまりの精妙さに眠る暇もなく、また漢方のおかげか足がしびれることもなく無事に終了時刻を迎えました。
改めて稀有な体験をさせていただけたことに感謝でいっぱいになりました。
神楽終了後皆さんとともに直来の会場でおかげ横丁の入り口にある食事会場へ移動しました。ありがたいお食事お酒とともにお土産までいただきました。
其の中には画家小泉守邦さんの作品でディクシャアートの傑作といわれる「浄晨爽風之譜」という版画のお写真がありました。 鳥羽国際ホテルの貴賓室に飾られているものと説明書きにて知りました。
神楽奉納、直来を通じてこのことだけのために駆けつけられた小泉さんの絵の信奉者でありまた友人でもあるSさんも東京から参加されていました。ご挨拶では今年はいろいろありましたがとユーモアをまじえて元文部科学省大臣らしい落ち着いたご挨拶でした。
この方の選挙区は東京であり決して地盤強化のために参加されたのではないことにとても好感がもてました。
それととても驚きの出逢いがありました。
17年ぶりの出逢いでしょうか。小泉さんの側の招待者の中に知り合いが見えたのです。「水屋神社」の娘さんで、津で時計宝石商を営むMさんです。離れがたいお話が直来の後、場所を変えて必然の出逢いを彩りました。実はMさんは民間で始めてカルパ建築を社屋の屋上に立てられた方なのでした。
そしてその後主宰のKさんも木曽駒にカルパ建築をされ、其の場所に毎年集うというカルパのご縁にも不思議を感じました。
大大神楽が終わった後の12月5日 同窓の集いで不思議な出来事に繋がっていきます。
「日と月と人と」
そして翌々日の7日急に野口さんに御天画をお願いしたくなりました。一年にほぼ一度お願いしている未来への覗き趣味です。個人の御天画の依頼です。東京へ行ってもいいと感じ、お電話申し上げました。湧き上がる気持ちを抑えることはできませんでした。
ところが名古屋に12月はお見えになるとのことで、空いている予定は12月12日12時と告げられました。
そして其の日にお伺いすることになったのです。