出雲から伊勢の大神楽へと導かれた12月の始め。空を見上げれば輝く日(太陽)です。
不思議なことが三つありました。
輝く太陽です。
ベランダで椅子に腰掛けながら美しく輝く太陽を撮影しようとしました。おそらくめがねをかけた方なら誰でもが体験していることでしょうけれどこの日はなんだか不思議な感じを受けました。めがねをはずせばもちろんわかりません。
めがねをかけて太陽の方向に身体を向けます。そして視線を正面から少しずつ上の太陽の方向に上げていきます。
そうすると太陽からの真っ直ぐな一筋の光が自分のハートに注がれていることを感じます。まさに真っ直ぐな一筋の光が太陽から自分だけに注がれていて、太陽と自分がつながっているような感覚が溢れてきます。
当たり前の 普通のことかもしれませんが。
5日の夜は学生時代の教養時代の忘年会でした。
同窓会は苦手であまり興味がないのですがこの集いだけにはなぜか出席させていただいてます。70近くの年齢になりますと当然に一番の話題は肉体のお話になります。
肉体の不調は因果から言えば意識の結果ですから、人間は身体の状態が発する信号を受けてそれを「受容」し意識のバランスを整えることが病気という結果に対する感謝と感じるのですがなかなかこれが難しいです。体のこと、趣味のこと、家族のこと、思い出のこと政治の不毛のこと、また経済や歴史や宗教の話題などそれなりに面白いのですが、やはりそれだけでは集いの限界となります。
「無知は罪」の話題から、どうしても70歳近くになって身体の終わりが近くなる頃に皆さんと話題を共有してみなさんそれぞれの「真の知」へのお互いの気づきになったらと今回は思ってしまいました。
そこから始まり、今までに抑えていた話題を一気に投げかけてしまいました。だめなら次回からは集いに参加しない意向でいました。不思議な現象は日常に隠された奥の真を物語ります。
古代からのささやきの月の写真
天の真名井神社の△
白山中居神社の精霊
見えないけれどあるものが何を意味するのか僕達は何故生まれてきて個があるのか、善悪、正邪を超えて大切な真理って何なのだろう。バッシング覚悟の航海に出ていました。しかしさすがに寛容な人たちの集いだけあって、問題の投げかけだけで十分に心のさざなみが立った感がありました。そして集いは四時間になろうとしていて、不思議なまま散会となりました。
最後の不思議は靴箱で起きました。
そのお店は二階です。靴を脱いで各自の靴箱に入れて、昔のお風呂屋さんのような鍵をかけて各自が保管します。その日私は午後6時ほぼきっかりにお店に着きました。前には3名の方が先着です。5名の席ですが、お一人は遅れているようです。Hさんの左隣に私。そして対面、右奥のSさんと正面に主催のIさんの席次です。
私の後ろには衣文賭けがあってすでに見えていた方たちのコートがかけてありました。一旦の乾杯が済む頃に、最後のHさんが到着されて再び乾杯です。そして毎度のお話が始まったのです。
集いが終わりみんなが靴箱にいきました。ところが私と一番奥に座っていたSさんの鍵がないのです。私は鍵も携帯も一度も失ったことは今までの人生でないです。その私の鍵があらゆるポケットに見当たりません。そしてSさんの鍵も、コートにも服のポケットにもないのです。でもそこで摩訶不思議、上がりかまちに落ちていた一つの鍵をSさんが発見します。
その時にその鍵は自分のものと直感しました。やはりそうでした。それからが大変です。懸命に座席や服やコートやかばんなどを探しましたがみつかりません。全部の靴箱で鍵がかかってないところを空けましたが靴は見つかりません。もう一度靴箱を点検しているときに鍵発見の声がしました。
「あったあ~~~」
それがその鍵があった場所がなんと、一番最後に到着して鍵をなくしたSさんとIさんを挟んで座っていたHさんのコートのポケットの中だったのです。
すこしわかりにくいお話ですが、当事者としては普通では絶対にありえないことが起きてしまったのです。いつも伊路波村を時々は見てくださるコートのポケットHさんと私の隣にいたやはりHさんは不思議をあるかもと肯定される側、鍵をなくしたSさんとIさんは不思議否定的な側です。私は不思議大好き派ですが。
家への道その否定的派のIさんとSさんが同じ道の徒歩です。私はダメ押しするかのように道すがらあんでるせんの絵について、時間の前後の話をしていました。未来が今にあるお話です。
その日の午前5時にマスターの久村さんが書いた絵とお客様の名前と、その日の午後あんでるせんのお客様でくじを引いてあたり、自由に書いた絵と自分の名前のがぴったりと合ってしまう不思議現象です。おそらくなおさらに不思議の波を立てたことでしょう。そうしても出会える人生のご縁に感謝して私達に等しく与えられている「ほんとうのこと」への探求のチャンスが互いに広がりますように祈りました。そしてほろ酔いでふらふらと歩き、家間近の白龍神社に差し掛かって空を見上げれば十六夜の月が笑っているかのようでした。素敵な夜をありがとうと 皆さんに感謝しました。