2973「何に感謝するのか」2023.2.15 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年02月08日の記事を紹介します。

「何に感謝するのか」

私たちは黄泉の国から来て、この現世(うつしよ)での計画や、目的が達成されれば、

再び黄泉の国へと帰っていきます。

神々の世界は黄泉の国。

黄泉の国は主に国津神が統括しています。

黄泉の国と現世と、循環しながら行き来を繰り返します。

ですから、私たち人間から見た「死」は、決して悲しいものではなく、循環の過程でしかありません。

私たちの魂は永遠に存在すると同時に、黄泉の国、そして現世にも存在しますから、

愛で結ばれた魂にとって永遠の別れはありません。

必ず再び出会います。

それでは今日は「何に感謝するのか」というお話です。

斎藤一人さんもくどいほど仰っていますが、魂的な視野からいうと、自分に起きるトラブルや問題は「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。。。

そうおっしゃっています。

また神道的には、私たちは「感謝の心」を学ぶために生まれたのだとも言われます。

何故かと言えば、私たちは魂を、進化させ輝かせ、神々に近づこうと、進化の旅を永遠に続けていますが、そのために、人生のタイムラインに沢山の仕掛けイベントを置いておきます。

それらは、喜怒哀楽、激しく感情を揺さぶりますが、結局は「感謝の心」を学ぶための仕組みです。

逆のことを言えば、「感謝の心」を得てしまえば、目的は達成されたのですから、人生の中に、艱難苦難の起こる必要性は、もうなくなります。

従ってそれらは起きないことでしょう。

神様は無駄なことをしないからです。

では、そのような観点から私たち人間の、全ての悩み苦しみに対応できる、

共通の解決方法についてのお話です。

神様や自然界、宇宙からのサポートをふんだんに得るためには、「感謝」が大切なことなのですが、その具体的な方法を、別の角度からご紹介します。

小林正観さんの著作からです。

<転載開始> 転載元

講演会が終わって、初めて二次会に来たという方が私の右隣に座りました。

そして「質問していいですか?」と私に声をかけてきました。

「実は、今日のお話のように自分はたくさんの幸せを感じ、とても恵まれていて、 悩み・苦しみがないのですが、一つだけどうしても超えられない悩みがあります。」

ということでした。

「どんなことですか?」

「実は結婚して十年経つのですけれど、子供ができません。

いろいろなことをしているのですが、どうしても子供ができないのです。

それだけが悩みで、ずーっと悩んで苦しんでいます。」

というお話でした。

「そうですか。結婚して十年経って、子供がほしいを思っているということは、

ご主人がとてもいい人で、優しい人なんですよね?」

というふうに問いかけました。

「ほんとうにそうです。とても優しくて、いい夫です」と彼女は答えました。

「舅姑との関係が悪くて、頭にきて腹を立てるような日々だったら、 多分、その家の子供が欲しいとは思わないでしょうから、舅姑との関係のいいのでしょうか?」と、

私は問いかけました。

「ほんとうにそうなんです。舅さんも姑さんもとてもいい人で、私は恵まれてほんとうに幸せです」と、彼女は答えました。

「そうですよね。親戚の人もみんな、いい人なのではありませんか?」

彼女は答えます。

「ほんとうにそうです。

私はほんとうに優しい人たちに囲まれていると思います」という答えでした。

「では、伺いますが、その方たちの一人にでも、手を合わせて感謝をしたことがありますか?

自分がどれほど恵まれているかということに、手を合わせて感謝をしたことがありますか?」

と聞きました。

「え?」

と小さく声を発した彼女は、わーっと涙を流し、二十分ほど泣き続けました。

私は、その泣いている彼女の耳にこういう言葉を伝えました。

「もし私が神さまだったならば、あなたのその唯一のお願いごと、頼みごとを、絶対聞かないと堅く決意したかもしれない。

そして、もし私が神さまの友人であったならば、神さまがこの人のいうことを聞いてあげようと思ってやってきたときに、神さまの目の前に立ちふさがって、この人のいうことを聞いてはいけないと、邪魔をするかもしれません」

というふうに申し上げました。

なぜなら、子供ができないことばかりを挙げ連ねて、実はそれ以外に、自分がどれほど恵まれているか、ということに感謝をしていないのではないのですか。

もし、自分がどれほど恵まれているか、ということに気が付いたならば、恵まれてない、その一点を悩み・苦しみだといって挙げつらうのではなくて、来る日も来る日も、自分が恵まれていることに、手を合わせて感謝をしているのではないでしょうか。

そういうことに全然感謝をしないで、ただひたすら、「これが足りないから、これをよこせ」

「あれが足りないから、あれをよこせ」と言い続けている人には、神は微笑まないような気がするのです。

自分の思い通りになったら感謝するけれど、思い通りにならない状態では、感謝をしない、

というのはほんとうの感謝ではないのかもしれません。

恵まれているもののほうに目を据えて感謝をする。

足りないものだけを挙げつらねて「神さま、これをください」というのは、ほんとうは、

神さまや宇宙に対する冒涜なのかもしれません。

この話にも後日談があります。

一年ぶりに彼女が私の前に現れました。

「相談したときに言われたことはショックでした。でも、そのショックは「確かにそう・・・」と思え、体中にしみ込みました。なんと、私は今、妊娠七か月なのです・・・」

みんなの猛烈な拍手。

受け入れて「感謝」することを始めたら、なんと授かった・・・

奇蹟はあちこちで起きるのです。

<転載終了>

ここでもやはりポイントは「置かれた場所で咲きなさい」と同じことです。 

何か足りない、何かが無いから不幸だ。

と無いもの、与えられていないものに不平不満を言うのではなく、今与えられているものに感謝すること、自分が置かれた環境に感謝すること。

足るを知ること・・

それが大切なんだよと教えてくださっています。

私たちを、今の環境に置いて下さったのは神様です。

そしてそれは、私たちが生まれる前に、神様と私たち自身が一緒に決めてきた環境です。

これを摂理と言います。 

苦しくて辛い環境も、決して私たちを苦しめるために、神様が用意して下さったわけではありません。

その辛い環境、悩み多き環境を経験することで、私たちの魂を引き上げようと、してくださっているからです。

ですので、その悩みは決して永遠に続くものではありません。

破滅への道ではありません。

どうか安心なさってください。

そして、置かれた環境、周りに居てくださる方々に感謝してみてください。

笑顔を向けてみてください。  

きっと、それが幸せになるための答えですから。