―― いまITの時代が始まろうとしていますね。
日本は大分遅れているようですが、要は時間、空間をどれだけ自分の中に
感じる生き方ができるかということでしょう。それこそ、「妄執の差別を
時と名づけ、座を立たずして一切の仏事を成ず」で、全ての人がITから
始めて、大慈悲に生きる時代が来る、そのように祈るばかりです。
人類が生き残り、繁栄をつづけるために、人間が自分たちにもらっている
能力を次々に見つめていく。気がつく分量のなかに科学も宗教もみなあっ
たわけで、これはどこまでいっても、本質的には一つでありながら二つで
すし、二つでありながら一つでいかなければならない。そんなふうに思い
ます。人間の認識の能力として、どちらか一つということはないんです。
「皆即」ということだと思います。
ふつうのわれわれが、普遍と思って暮らしている地位とか、名誉とか、権
力とか、お金などという世俗に囚われた表層的な心の底の底に、一人一人
、誰でも必ず宇宙意思に連なるレベルの心があるのです。そこでは、宇宙
の一切合切が、はっきりと認識されていて、仏さまそのものなのですが、
浮きだった暮らしに慣れた私たちは、そのすばらしさを忘れているんです
ね。
一家の主人が知っている情報を、家族が知らずにあれこれすることで、そ
の一家が、レベルを下げた暮らしをするようになるのと同じことですね。
しかし、もし、その深い心のレベルにちょっとでも触れることがあると、
一つひとつの事象や判断、行動の中にそれが表われて大自在の暮らしがで
きるはずです。
人間の理想として、「語言の道を出過し、諸過解脱するを得て、因縁を離
れたり」(『即身成仏義』)というところまで行きたいものですね。大自
在の生きざまをしながら、ますます全ての存在から慕われ、高められる生
きざまに永遠性がでてくる「金剛位」を得ることでしょう。全てのことに
対してゆらぐことのない状態なんです。
先ほどITと申しましたが、科学の進歩が人間自身の高まりを助長し、風
彩をそえながら、世界中が時間を共有し、場所を越えて連なってきて、つ
いにはやがて、各人のよき波動や、さまざまな波動をお互いに感知し感応
する。そうなることで、お互いがみずからをかえりみ、高まりあい、いつ
くしみ、供養しあう、そのような世界になって行くことでしょう。われわ
れが、未来をつくっていくんです。
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大いなる<いのち>に目覚める 中村公隆:著 春秋社:刊
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