感激家たれ
真に大きく成長してやまない魂というものは、
たとえ幾つになろうと、どこかに一脈純情な
素朴さを失わないものです。そこで諸君たち
としては、自分の情熱の乏しいことを悲しむ
必要こそあれ、自分は感激家であることに
対して、ひけ目を感じる必要はないと思います。
その上、さらに一歩をすすめて、
感激を安っぽく仰山そうに現わさないで、
内に深く燃やしつづけるような工夫をこそ
なすべきでしょう。
世間では、哲学者というものは、冷静でなくては
ならぬと言われていますが、そしてそれにも
一面の道理がないわけではありませんが、
しかしこの言葉をもって、哲学者とは
何ら情熱も感動もないもののように考えたら、
それは大きな誤りだと言えましょう。
それというのも、真の哲学の世界は、実に
果てしも知れぬ深くして、かつ大なる感動の
世界でなくてはならぬからです。そして
真の哲学とは、このような偉大な情熱の
澄み切るところに、初めて生まれ出るもの
だからです。