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今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年09月04日「与えることから始まる」と2023年09月07日「心が作り出す世界」の2つの記事を紹介します。
「与えることから始まる」
今日はマザーテレサと、ブッダのお話をご紹介します。
幸せになるためのコツについてです。
まずは、マザーテレサ。
財団法人富士福祉事業団 理事長 枝見太朗さんのお話です。
<引用開始> 引用元
マザー・テレサは50年近く「貧しい人と共に生きる」という活動を続け、
それが評価されてノーベル平和賞を受賞しました。
僕は約15年間、彼女と一緒に仕事をしたのですが、常に目の前にいる人、本当に最も身近な人を助けていました。
「お砂糖坊やの捧げ物」という有名なエピソードがあります。
マザーの孤児たちの施設「シシュ・ババン(聖なる子どもの家)」に、
ある時、裕福そうな夫婦が3歳くらいの坊やを連れて見学に来られました。
そのお父さんが「一番足りないものは何ですか?」と聞くと、
マザーは「子どもたちが食事をする時のお砂糖です」と答えました。
家に帰った坊やは、次の日から毎日のお茶の時間に、
自分の飲む紅茶に入れるお砂糖を、その分だけ小さなビンに入れていきました。
そして再びその家族が施設を訪れた時、
坊やはお砂糖がいっぱい溜まったビンをマザーにプレゼントしました。
マザーは大喜びでした。
すでにそのお父さんから大量の砂糖を寄付してもらっていたのですが、
「お父さんからいただいたお砂糖も大変嬉しかったけど、
私はこの小さなビンに入ったお砂糖が何倍も嬉しい」と言っていました。
それからマザーは、
「あの小さな子どもが施設の子どもたちの痛みを共に分かち合って、
自分が我慢をして溜めたお砂糖は、何トンものお砂糖よりも重いものです」と
修道会でよくお話をしていました。
この「お砂糖坊や」の視点は、「持てる者が、持てない者へ」ではなく、
「共にその痛みを分かち合うことの必要性」を言っているのだと思います。
日本では「ボランティア活動=奉仕活動」と理解されています。
でもボランティア活動は、実は奉仕活動とは意味が違うんです。
それは「持てる者が持てない者へ、力の強い者が力の弱い者に施す」感覚ということです。
そんな「奉仕活動」に象徴されるような考え方が
日本の福祉の発展を大きく妨げてきたのではないかと私は思っているんですね。
「お金のある人が寄付をすればいい」と思っていると、
寄付をもらいにいく時にどうしても企業やお金持ちの家に行ってしまいます。
ところがマザーはそうじゃないと言うのです。
「貧しい人、貧しさを知っている人たちから、
少しずつでいいから、その痛みを分かち合ってもらえるような
寄付の集め方をしてごらんなさい」と。
<引用終了>
このマザーテレサの教えてくださったことは、ブッダの教えの、「托鉢」と同じものです。
托鉢とは、笠をかぶったお坊さんが、家々を回ったり、道路の脇に立ち、
手に鉢をもって、その中にお布施を頂くというものです。
ブッダは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。
お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って、托鉢をしてきなさいと。
弟子たちは、驚きました。
「お金持ちの家から、お布施を頂くのではないのですか?」
ブッダは弟子たちに、こう言ったそうです。
貧しい人たちというのは、今まで、自分が貧しいと思って、
他人に対して、施しをしてこなかった人たちである。
それ故に、貧しさから抜け出すことができずにいる。
だから私たちが布施をいただきに行くのは、このような貧しい人たちを、
その貧しさから救ってあげるためなのだから、貧しい人の家を回って来なさい。
托鉢に金額は関係ありません。
これも宇宙の法則 与えるものが、受け取るもの
と同じです。
貧しさから抜け出す最初の一歩は、まず他人が喜ぶことを
自分から、先にすることなのかもしれません。
だから托鉢は、
お坊様たちが自分たちで食べるものをもらうために行う行為ではありません。
与えるものが受け取るもの この言葉が意味することはひとつ。
全ては、自分が与えることから始まるということ。
これは、財産だけでなく、健康や、幸せもそうかもしれません。
・健康でない時
・いじめにあっている時
・家族で病気の方がいる時
・経済的に苦しい時
人は、自分が幸せではないと思って、他人に対して、笑顔や、やさしさ、思いやりを
施してこなかったかもしれませんね。。
ですが、これを機会に、ちょっとだけ決意を新たにして、
・不平不満、愚痴、悪口を口にせず
・人の幸福を喜び
・人の悲しみに、ともに涙し
・日々の糧を与えてくださる神々に感謝し
・苦しみや、悲しみの出来事を起こし、魂を磨こうとしてくださる神々に感謝し
・ともに、笑い、泣いてくれる家族や友に感謝し
一日を過ごしてみませんか
きっと運命が良い方向に向かって回転していくと思います。
「心が作り出す世界」
空海が教えてくださったことに、次のようなことがあります。
私達が、この世の中で見たり聞いたりすることは、
全部、もともと私達の心の内にあるものである。
心の中にあることしか、私達は経験できない。
・不平不満、愚痴、憎しみ、ねたみ、
・自分さえよければ、人より優位に立ちたい、
・お金が全て
・世の中の不正に対し、常に激しい憎しみ・怒りを向けている人
そう思っている人は、その通り阿修羅の世界の中に生きて行きます。
逆に
・感謝や笑顔、
・優しさ、
・思いやり、
・助け合い、
・お陰様
心の中がそれらで満たされている人は、
その通り美しく、優しい世界で生きて行くことになります。
これは1200年前に空海が教えて下さった真実です。
空海が仰った 即身成仏、
私達は生きている内に、天国でも地獄でも行ける
とはこのことです。
ですので親の生き方を見て育つ子供たちは、
親と同じ道を歩んで行くことが多くなります。
親の私達自身が心の中を天国にすれば、私達も幸せになりますし、
同じく繋がっているご先祖や、
子供たちも本当の幸せを手に入れることが出来るでしょう。
さて、それではお金もかからず、簡単に出来る
「心を天国にする方法」の一つをご紹介します。
良寛さんが大切にした「和顔愛語」です。
良寛さんは新潟で生まれました。
江戸時代末期を生きたお坊さんで、
詩人として多くの人に知られています。
良寛さんは多くの人に慕われ、愛された方でした。
その良寛さんが大切にされていたことが
「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉だったそうです。
「和顔愛語」とは、その字の通り、
和やかな顔で、温かい言葉を口にする。ということを言います。
良寛さんは、人に与えるようなお金やモノを何も持っていなかったので、
誰かに何かをあげることはできませんでした。
ですが自分の言葉なら贈り物にできる。そう考えました。
ですので良寛さんの口から出てくるのは、
・温かい言葉や感謝の言葉、
・人を勇気づける言葉、
・人を明るい気持ちにさせる言葉、
・人を癒す言葉
ばかりでした。
良寛さんの「和顔」というのは、人への素敵なプレゼントだったのかもしれませんね。
2500年前のブッダも同じことを教えて下さいました。
ブッダの教えに無財の七施(むざいのしちせ)というものがあります。
無財の七施とはお金をかけなくても相手のためにできることですが、その中に
・優しい言葉、思いやりのある言葉で接する
・温かい笑顔で接する
ということがあります。
笑顔で優しい言葉を口にする人の回りには、
同じように笑顔の人が引き寄せられて集まってきます。
でも、いつもいつも笑顔で優しい言葉をかけ続けるのは大変なことかもしれませんね。
うまく笑えない時や、優しい言葉など出ない時ももちろんあります。
ですが、そうありたいと思うだけで、
後は私達の内に居らっしゃる神様が後押しして下さいます。
私達が住む地球には、次のような法則があります。
与えたものが、受け取るもの、相手に対して、厳しい言葉をかければ、
自分も同じように人から厳しい言葉をかけられます。
優しい言葉をかければ、人から優しい言葉をかけてくれる人が現れます。
良寛さんはきっと、優しい言葉をまわりに投げかけ続けた人だったのですね。
だから多くの人に慕われ、愛されました。
笑顔の良寛さんの周りには、きっと笑顔の人達が集まってきたのでしょう。
そう考えると、笑顔の人達に囲まれ、幸せになる一番簡単な方法は、
自分が笑顔でい続けることなのかも知れません。
私達も良寛さんのように、人様に愛される人間になりたいものです。