今回はハマスのイスラエル攻撃と、それに続く中東危機に関する私の見解をお伝えします。これは、精神界の了承を得た、お伝えできる限界のことだと考えてください。
この二千二十三年の十月七日に開始された攻撃を、世界最高の諜報機関であるモサドが、知らなかったのか、という疑問がメディアで語られていますが、それは、いまのイスラエルが、分裂しつつある背後にある力の存在から目を遠ざけるための言説ではないかと、私は考えています。
戦争をはじめたくて待っていた人間グループは、イスラエル側にも居たということです。このイスラエルという人造国家の歴史的使命は、ある特定の人間グループにとっては、旧約聖書のエゼキエル戦争の現実化にほかなりません。イスラエルは、千九百四十五年の日本の敗戦から三年後の千九百四十八年に建国されました。
この国の建国がなければ、聖書の最終戦争は起きようがありません。
そして、いまの世界は、第三次世界大戦という名のこの最終戦争に近づきつつあると、多くの人間が考えています。
精神学的には、聖書の物語は終っています。しかし、現実の人間界では、この聖書の物語を現実化しようとする人間グループが、いまの世界の事実上の支配者として君臨しているといってもいいのでしょう。
これが、現在、進行しているというのは、彼らが事の成就に自信をもっているか、あるいは、この世界で、それらの悪意の存在に気付いた人間が増加していることに危機感を感じて、二千二十四年のアメリカ大統領選挙の前に、戦争をはじめることを画策したかのどちらかでしょう。
世界は、これほどの危機にあり、あの共産党の中国も、このゲームの主要なプレイヤーとして参加しているにもかかわらず、この日本国だけは、この流れの外にいるようです。
精神界は、日本列島を取り戻すために、活動していますが、それと同時に、日本なき世界が、どのようになるのかを見ているともいえます。それはまだ生まれていない、暗黒面に落ちたたましいが、やがて、行くであろう、暗黒宇宙の覚醒プログラムになるものだからだろうと私は考えているのです。
この物語宇宙は、もうすぐ、光の宇宙と闇の宇宙に分れることになっています。
闇の宇宙とは、地獄へ落ちた無数のたましいが、光なき世界で光のようなものを自ら作り出し、再創造されると私が想像している世界ですが、そこにおける光に正義はなく、神理もないエネルギー集合体の中で、やがて秩序が生まれ、その出口に向かうベクトルが生まれるのかどうかが問われます。
自ら進んで、闇に落ちたものが、真の光に覚醒することがあるかどうかが試されるのです。
いまの地球の日本なき世界の闘争は、その暗黒の宇宙の予行演習のようなものだといえばいいのでしょう。
日本神界は、あえて、日本列島を西洋文明の背後にいる悪魔に差し出して、そこから、自律的に、脱出するというプログラムを、日本の仕組みとして用意しました。それが完成したので、この世界が、日本という光のもとを失った状態で、どうなるのかを、観察しているといってもいいのです。ここでは、あえて日本神界と書きましたが、日本列島に長い間、逃れていた地球の各地域の神格が、次々と帰還を果たしており、それらの神格は、一神教の時代が終わったことで、改めて失われた地の神気を回復することになるので、それらの存在も、この一神教の最終戦争を興味深く観察中のはずです。
このイスラエルという国家とパレスチナ側のイランという国家の対立は、それぞれの背後にいるアメリカとEU、ロシアと中国という構図によって分るように、植民地主義から資本主義に到った西欧の支配力と、それに対応する反西欧的な力との縮図なのです。
このイスラエルとパレスチナの対立の原因は、もともとイギリスの植民地政策にありました。さらに、そのイギリスの経済をコントロールする力を、ユダヤ系のロスチャイルド家が持ったところに、ナチスによるホロコーストという事象が加わった結果の、いわば西欧文明の負の遺産といえるものです。この先、日本なき世界の未来が、どこまで暗くなるのかを、日本人が知ることで、覚醒に進むことを期待しましょう。
神紀三年(二千二十三年)十月二十六日 積哲夫 記