光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.800+30+62
嵯峨天皇と平安京
この二千二十三年の十二月に、平安京の成立に大きく貢献した、嵯峨天皇が長い眠りから覚醒されました。たぶん、嵯峨野の現状を見られたのでしょう。京都と日本を取り戻すために、カミになりたいと伝えてこられたのです。嵯峨天皇といえば、大覚寺というものが連想されるので、大覚寺があるのでは、とお伝えしたのですが、違うらしく、カミとしてマツレというご希望のようでした。
あちこち調べて、空屋になっているお社へ、ご案内し、すでに、そこに立たれておられます。これによって、京都の神社や仏閣、さらには霊界にも、ある種の激震が走っているという情報も伝わってきています。
カミとしてハタライて、日本を取り戻すという、明確な意志と、ある種の波動を持たれているので、平安京の各種の結界を作った、和気清麻呂や安倍晴明、空海や最澄なども、何らかの参画をすることになりそうです。
なぜ、いま平安京なのかというと、日本の平安京を、エルサレムと重ねる人間界の傾向に、ある種の警告をするためだと考えられます。
失われた十支族が、日本列島に来て、さらに、レビ族なども来て、失われたアークが日本にあるというような物語が進行しつつあります。さらに、いまの世界では、イスラエルのガザ侵攻という事象に伴ない、アメリカの存在感が揺らぐということも進行しているのですが、その動きと日本の精神界は一線を画しておきたいということのようです。
日本の天皇という存在は、日本列島に来た信仰の民であった古代のイスラエルすらも、同化した何かのシンボルであったということなのです。それは、仏教の伝来についても同様で、日本列島では、仏教と共に、インドの神々も、移り来て、そこに長い間、保持され続けてきたということがあります。その仏教が、存続した背景には、やはり、天皇の存在があるのです。この文明史の記録保管庫としての機能を持つ都が京都で、それは、エルサレムとは違うものだという主張をするために、嵯峨天皇の復活があったのだと考えてみてください。
平安京は、もともと日本で成立した古神道といわれるものが、仏教も、一神教もというように、それらの世界宗教に関与した意識体の存在を認めて、共存するという、ある種の実験場として、何らかの意図を持つものによって作られたということなのです。私が知っているのは、嵯峨天皇がもともと、ある種の神格を与えられて、日本文明の原型を作り、その目的を完成させるために、天または神界によって、目覚めさせられたというストーリーになります。
これによって、いまの世界で進行している一神教の物語の最終章に、日本が登場し、ポスト一神教、ポストキャピタリズムの時代のモデルを世界に示す用意が整うことになります。
ここで、平安京を引き継いだことになっている東京という都市でも、ある種の覚醒が進行しているというストーリーになります。
嵯峨天皇に先立って、オオモノヌシと同じように古い、大山咋という神格も、覚醒されました。この神は、東京の日枝神社のご祭神ということになります。
この神の復活に合わせて、永田町界隈で、マネーをテーマにした動きが出ていることを冷静に観察すれば、何かが分るはずです。私が日本神界から教えられていることは、日本が大きく変わる時には、神や神々がまず動き、やがて、人間界が、それを反映するというルールです。
明治維新の前には、それがありました。そして、それは日本のためでした。
いま起きていることは、日本列島を精神界が取り戻すということは、日本と日本人のためのものではなく、地球全体、あるいはすべての人間、すべての生命のためのものであるということです。この大変動は、いまも急速に進行中で、この二千二十三年が終わるまでには、いまあるマネーのパワーとその背景にある電気と電力網との関係についても、何らかの問題解決策が提示されるはずです。これが出るタイミングで、波動コンピューターの本当の目的を人間は知ることになります。それは、宇宙的な物語であり、そこには宗教的知識に留まる人間には理解不能な時空が広がっています
神紀三年(二千二十三年)十二月十四日 積哲夫 記