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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年08月29日の記事を紹介します。
「信じて祈ること」
わたしたちにもし子供がいて、
・その子が苦しんでいるとしたら、
・その子が、苦労の道に進もうとしているとしたら
何が何でも、手を出し、口を出し
その子の意志に関係なく、その子を、親である私たちの信じて疑わぬ道に
軌道修正しようとすることでしょう。
ですが、ちょっと待ってください。
それは、本当に子どもにとって、子供の魂に取って、良いことなのでしょうか?
今日はまず、斎藤一人さんの次の言葉をご紹介します。
<引用開始>
もし身近な人が苦しんでいるとしても、過剰に心配しなくて大丈夫 。
それよりも信じてあげること。
「今、神様の愛によって、全てがうまく行っています」と
祈ってあげると良いですね。
祈りっていうのは愛だから。
<引用終了>
あなたは身近な誰かのために、
密かに、一所懸命に、祈った経験はありますか?
私たちは誰もが、神様の分け御霊を頂いた生命体です。
全ての生命体には神様の与えてくださった役割として、
・他の役に立つこと
・他と調和して
・宇宙の生成発展に寄与して、それを維持すること
と言う役割があります。
その大きな役割の中で、生命の進化の過程で、今人間として生まれて来て、
動植物含め、全生命体の調和の調整という役割が与えられています。
そして自らの魂も進化させるために
この3次元地球に肉体を頂いて、今生きています。
その目的を果たすために、いろいろな舞台が用意されています。
それは、一人一人全部違います。
交わる部分もあります。
深く交わる部分は、家族や恋人、友人などの役回りかもしれません。
ですが、私たちは、他の誰かの人生に決して介入することはできません。
例え親子、家族であっても・・
人それぞれの魂の目的が違いますし、その方法論も違います。
「良かれ」と思っても、決して自分の思い通りに人を動かすことはできません。
でも心配することはありません。
全ての人は、それぞれが、
神様と約束し、この地上に降りて来ました。
私たちがそうであるように、
その人(身近な誰かも)も、常に神様に守られています。
人間の情の部分からすれば、
親なんだから・・・
家族なんだから・・・
と、どうしても、自分の価値観で
口酸っぱくとも、アドバイスしたくなりますし、
思いが伝わらなければ、怒ったりもしたくなります。
ましては、生死が関わるとなれば、なおさらです。
ですが、たとえ家族であろうと、
その人の魂の目的や、魂の欲求を無理やり変えることはできません。
別個の魂だからです。
彼らは彼らなりに、今回の人間の人生をかけて、、
この方法ではうまくいかない。
そんな学びを一所懸命、苦しみ、悲しみながら
命がけで学んでいる最中かもしれません。
神さまの目から見たら、肉体の生死はあまり関係ないようです。
永遠の魂の方を見ているからです。
必要があれば、今回の人生の教訓を
直ぐに生まれ変わって、次の人生のステップに生かしていくことでしょう。
その時は、もう私たちに、親子関係などなく
赤の他人としての人生を歩むかもしれません。
先ほどご紹介した一人さんの言葉には、
このような意味があります。
感情は、生きて肉体を持つ間にしか生まれません。
私達今生きている人間にとっては
少し薄情(情が足りない)に思えるかもしれませんが、
きっと、一人さんの仰っていることは真実だと思います。
情の目で見れば「かわいそう」な出来事かもしれませんが
彼らの魂は、その過程を楽しんでいるかもしれません。
過程を通じ、魂が学んでいるのかもしれません。
何者も、どんなことをしても、魂に傷をつけることはできないのですから。
一人さんの言うように、それよりも信じてあげること
「今、神様の愛によって、全てがうまく行っています」と祈ってあげると
きっとこちらの方が魂的には本質的で良いことに思います。
彼らが計画してきた、この地上での苦しい、悲しい経験が、
その目的を達成することで、魂の進化・向上に役に立つのであれば、
周りの親しい人々は、信じて祈ってあげる事、
彼らの心願が成就することを祈ってあげることが 本当の愛かもしれません。
晴れて彼らの心願が成就した時、
その魂の目的は達成されたのですから、
その手段だった彼らの悲しみ、苦しみも、
記憶の遥か彼方に消えてなくなってしまうことでしょう。
その時こそ、生まれて来た時に持っていた
本来の魂の輝き、神々の光が現れてくる時です。
どうか、その子の魂を、その子も守られていることを、
信じてあげてください。
祈ってあげてください。